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近世百物語・第八十夜「テレビの中の女」

 ある時、テレビを見ていると、そのまま寝てしまったのか放送が終わっていました。画面はノイズの嵐になっていてザーッと言う音だけが深夜の室内に響いていました。目をこすりながら電源を切ろうとした時、ノイズの嵐の中に、一瞬、女の顔が写りました。それは画面に反射したとかではなく、明らかにテレビの中に写っていました。その目があたりを物色するように眺めると、私を見付けジッと見つめはじめたのです。と、そのまま目眩めまいがはじまりました。
——やばい、憑依のりうつられる。
 と思い、慌てて息を飲みました。ほとんどの場合、これが悪いのですが、ハッとして気を取り直し、ゆっくりと深呼吸をはじめました。息を途中まで飲みかけただけで、完全には飲み込んでいませんでした。
 多くの場合、霊的なものたちは人の口から出入りします。恐怖に叫ぶ人は、必ずその口を開き、かえって怖ろしいものを取り込んでしまうのです。
 祓いの中には、悪霊に対峙する時、口を両手で塞ぐ技法もあるくらいです。
 人が驚くと口を開きます。そこから魂が少し抜けることを〈魂消たまげる〉と言います。これは関東の方言で、本来は〈たまがる〉と言います。魂が口から上がることを意味しています。
 驚いた時に誰もが口にする、
「ああ、たまげた」
 と言う言葉はこの〈魂消る〉から来ています。
 この時、息を完全に飲んでいたとしたら、テレビの中の女に憑依されていたかも知れません。憑依されると、多くは霊体が頭の片隅に入り込みます。憑依されると、本人にはその意識はありません。しかし、その憑依したものが、自分の知らないところで勝手な行動を取ることがあります。
 たとえば、知らない内に、親しい友人と喧嘩別れしていたり、知らない人の悪事に加わっていたりすることもあります。それとは逆に、自分の勝手な思い込みで人に敵対するようなことを言ってしまう人もいます。これらは優柔不断な性格の人か、感情的に不安定な人に起こりやすい現象です。すべてではありませんが、多重人格の多くも憑依現象です。
 また、偉人の生まれ変わりと自称している人たちの記憶の多くも、憑依したものの記憶である場合がほとんどです。正確な偉人の生まれ変わりの現象は、前世の記憶と才能を引き継いでいるのです。それらの人物は、とても卓越した知性にあふれ、そして感情に振り回されることすらありません。
 生まれ変わりと称して、自分の感情に振り回される種類の人々は低俗な霊体に憑依されていて、そのものが使う嘘に惑わされているに過ぎません。彼らは、生まれ変わりと憑依の区別がついていないだけです。この生まれ変わりの概念については近世百物語・第五十八夜「首括りの木」にも少し書いています。また、自称生まれ変わりの人々のことは近世百物語・第七十四夜「奇妙な人々」に書いていますのでそちらもご参考に……。そして、これら憑依については近世百物語・二十八夜「鬼が憑依する」に鬼に憑依されることについてと、六十四夜「狐憑き」に野狐やこに憑依されることについて書いています。そちらも参考にしてください。

 さて、テレビの中の女は私に憑依しようとしました。しかし、私は深呼吸することで一時的に難を逃れました。深呼吸をすると、霊的なわざわいから別な世界に心を移すことが出来ます。相手と同じリズムで呼吸するので相手の心が入って来るのです。
 これは人と人との間でも起こります。そもそも催眠術などは他人の呼吸を支配しようとする技法です。また、武術でも真剣勝負は呼吸が長い方が勝ちます。特に呼吸を支配する種類の技を使う勝負は、呼吸力のある方に勝機があるのです。

 また、深い呼吸をする種類の祝詞をあげると、霊的なものは強い息の霊力に圧倒されて入り込むことが出来なくなります。強い息の力は、そもそも呼吸そのものが神の力なのです。そして、その呼吸によって神の言葉、祓い清めの波動を流せば低俗なものや悪いものは、その存在を維持することが出来なくなります。
 もし、あなたが嫌な波動を感じたら、口で息を吸わないようにしてください。嫌なものは常に口から入ります。口から息を吐くのは良いですが、息を吸う時には口を使わないでください。鼻から吸うのです。

 テレビはノイズであふれていました。ノイズのところどころに女の顔がフラッシュ・バックのようにチラチラと見え続けています。そして私が深呼吸をし出したので、テレビの中の女が怒ったような怖ろしげな表情になりました。
 普通はここで驚いて口を開らくのでしょうが、私はそうではありません。テレビの中の女は、怖ろしい表情をして見せても意味がないことを悟ったようです。次の行動に移る瞬間しか反撃のチャンスはありません。と、私は落ち着いて、ゆっくりと祝詞をあげ、女をにらみはじめました。
 睨み勝つことを〈目勝まかつ〉と言います。
 目勝つは祓いの基本です。イザナギの大神が黄泉の国で、数々の魔物に目勝つの祓いを掛けています。それを心にイメージしながら、目の力、そして息の力に宿る神力を信じて祓うのです。

 テレビの女は祓いをかけると消えてしまいました。またいつか、やって来るかも知れません。それに備えて似たような経験を思い出してみました。すると、子供の頃に体験した、電話のノイズの中を移動する魔物か亡霊のことを思い出しました。この思い出は、外れた受話器のノイズの中から出現し、近くの人に憑依する種類の霊現象です。
 その頃は、まだ電話の受話器が外れると、中から、
「もしもし、もしもし、こちら交換ですが……」
 と声が聞こえ、それから切れていました。
 その後、ピーッと言う受話器が外れている音を自動的に出すことになったようです。
 受話器が外れていて交換手が話しはじめるくらいの時、受話器の中からノイズのようなものが聞こえました。
——妙な音がするな。
 と思い、電話の方を見ると、外れた受話器の近くに小さな女が立っていたのです。
 それはとても怖ろしげな、それでいて陰気な顔をした女が、まるで受話器から出て来たような気がしました。覚えたての祓詞を唱えてすぐに受話器を戻しました。それから何ごともありませんでした。祖母にそのことを聞いた時、
「言葉を伝える種類の機械には悪い霊体が移動する道のようなものがある」
 と、言っていました。
 言葉を伝えるすべての機械には、そのような副作用のようなものがあるそうで、その頃、一般的になって来たテレビも、
「やがて、悪い霊体が移動する手段として使われる日が来るだろう」
 と、祖母が言っていました。
 テレビの中の女を見てそのことを思い出しました。
 最近、出た、
——テレビさえ見なければ、多くの人は幸福に過ごせる。
 と言う研究結果を見ても、真実だと思いました。

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