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御伽怪談第三集・第三話「肝試しの代償」

  一

 寛永の頃(1624)のことである。京に住む町人たちが頭を寄せ合い、知恵を絞り、つまらぬ与太話を繰り広げていた。
 奇しくも秋の満月の、しかもひつじの夜だった。遠寺の鐘が陰々と鳴り響く中、虫のも何やら怖れるかのように聞こえていた。そよそよと揺れるすすきの穂が、亡霊のおいでおいでのように見える夜であった。
 九月の未にはろくなことがない。化け物の出る確率も上がるのだが、そんなことは露も知らない彼らであった。もちろん暦は読まなかった。何も知らずにこの日を選んだのであろう。弱り目に祟り目。ただの軽い気持ちの肝試しだと申すのに、最悪の日を選んでしまった。さらに不幸なことには、誰ひとりとして、そのことに気付いていなかったことである。

 話のはじまりはこうだ。
 イチビリの一郎が、昼間にどこぞから妙な噂を聞きつけて、五條天神まで走って来た。イチビリとはお調子者のことである。
 その日、呉服屋の若旦那・三吉は、暇な若旦那たちと五條天神でぶらぶらしていた。若旦那とは言え、何もすることのない暇な与太者たちである。大きな欠伸あくびをしながら、
「何ぞ、おもろいことないかなぁ」
 退屈していた。そこに幼馴染みの一郎がやって来て大喜びで叫んだ。
「皆、聞きや。七條ひちじょうケ原の墓場のあたりに、怖ろしい化けもんがおるらしいなぁ」
 また、懲りずに化け物の話である。一郎はとことん怖い話が好きだった。そんな話題になるだけで、イチビリの心がうずくのである。
 突然のことに驚いた三吉は、
「なんや聞いたことないなぁ。怖いんか?」
「そりゃあ、噂されるくらいやさかい、怖いやろ。わては怖ないけど」
「また、一郎はんのイチビリが出たで」
「せいぜいお気張りや」
 茶化す仲間を無視して一郎は、
「今度のはすごいんやで。ほんまもんやで……」
 と笑った。
 七條しちじょう大路を鴨川から東へ向かうと、三十三間堂の手前は大きな墓場であった。昼間でも人は通らない。誰もが知る葬送の地・鳥辺野とりべのの川側、ここは七條ケ原と呼ばれていた。
 与太者たちが様々に話す内、妙な方向に話が向かった。
「こんなかで、いったい誰の肝が、一番、太いんやろ」
 誰もが手を上げた。
「おれ」
「わしや」
「わてやろ」
「なんやそれ。それならひとつ、試してみよか……」
 別段、競う必要もなかったが、イチビリで負けず嫌いの京男たちである。自然と肝試しになってしまった。

 その夜、小田原提灯ちょうちんぶらさげて、やっとこどっこい集まって、肝試しをすることになった。集合場所は七條ケ原の首斬り地蔵の見えるあたり。この地蔵は処刑された人々の供養として建てられていた。
 元々、彼らは五人いた。だが、せっかくの肝試しも、何やかんやと理由をつけて、結局、三人だけが集まった。
 河原へは五條大橋を渡る。夕方の内に歩けば、暗くならずに準備が整う筈である。そんな予定であった。この大橋は牛若丸でお馴染みの有名なあれである。当時はまだ七條に橋はなく川は浅瀬だった。しかし、ここを渡る者などなかった。


   二

 六條から鴨川を下る中洲に処刑場があった。この怖い怖い河原に三人の若者が、提灯を立てて敷物を敷いたのである。近くに晒し首の台が見えたが、幸いにして首は乗っていなかった。季節は肝試しには外れていた。だが、酒や弁当までも用意して、雰囲気は十分であった。小雨の降った後の湿った土の臭いがした。
「お座布ざぶは持っていひんかったか? なんやこう、腰が冷えて、かなわんわ」
 誰もが無関係なことを口にして、いつになったら肝試しをするのだろう。強がりばかりで、気弱なやからであった。形から入るのは良いが、まず、最初に行く者を決めなければ……。
 少し揉めたので、ひとりが一計を案じ、
「なら、わいが先に行かしてもらいますわ。お前ら、せいぜい後から来て、おこぼれでも頂戴するんやな」
 と、強気に出た。何の強気だ?
 負けず嫌いの若者たちであった。無意味に自慢したり、競うことばかりである。
「な、なんや、ほんなら、わいが行くわいな」
「わしや」
「お前もか……」
 揉めに揉めた末、三吉がポンと胸を叩いて、
「なら、わいに任しとき」
 と安請け合いした。
——なんも見んと、走って行って、すぐに帰ったら勝ちやろ。
 とでも思ってのことか、しっかりと目を閉じて走り出した。友達甲斐のない連中のことである。誰も止める者はなかった。先に行ってくれれば安心である。大手を振って行って来れるのだから……。

 さて、ただでさえ薄暗い七條ケ原。提灯を手にするとは言え、目を閉じては行くこともままならない。途端に転んだ三吉は、膝をしこたま擦りむいた。地面に熊笹が茂っていた。歩くだけでも皮膚が裂け血がにじんだ。
「あぁ、痛てて、かなわんなぁ。唾、つけとこ」
 しょうもないことをわめきちらし、自分を奮い立たせ、目を開けて七條ケ原へ向かうのであった。
「せいぜい、お気張りやす」
 後ろから声がした。
「ここで言うかぁ」
 提灯を振り回してさよならすると、おちょくる笑い声が次第に遠ざかっていった。
 提灯は暗かった。ないよりはマシだが、ほとんど役にも立たず、歩く度にあちこちを擦りむいた。
 夜の墓場ほど不気味な場所はない。虫たちが静かに鳴いて、川のせせらぎも大きく聞こえていた。遠くトラツグミのヒーヒョーと笛のような声がした。この鳥は不吉である。妖獣のぬえはいないと思うが、区別はつかなかった。
 三吉が墓場へ近づくと月が追いかけてきた。風は冷たく、そよぐすすきが手招きしているようで不気味だった。
 夜半に墓場に杭を打ち、証拠の紙をつけて帰る。ただそれだけのこと。簡単なことだと三吉は思っていた。化け物などこの世にいる筈もない。
——見たこともない化けもんなんか、この世におるんかいな。信じるやつは、ただのアホなんや。
 妙に自分を奮い立たせ墓場に到着すると、月に雲がかかって暗く不気味であった。風は吹いていなかった。一瞬、虫たちが黙った。芒が揺れていた。湿った土の臭いがした。秋の満月の夜、だが月は雲に隠れ、真っ暗な中に提灯のまわりだけがぼんやり見えていた。


   三

 墓場の暗がりからザクッザクッと土を掘る音がした。やがて雲の切れ間から明かりが差すと、しゃがむ人影が見えた。墓石、五輪の塔、卒塔婆の影に混じった影は、地面を叩くようにひたすら掘っていた。かび臭い土と共に新仏にいぼとけのものか死臭が漂っていた。だんだんハッキリしてくる月明かりと共に、ただの人影は老婆に変化した。歳の頃なら八十くらい、長い白髪を垂らした老婆が卒塔婆に囲まれて座っていたのだ。
 老婆は長い白髪を垂らし、しきりに地面を掻いていた。風に揺れる白髪の先が、いくつもの蛇のようにうねっている。乾いた青白い肌から皮膚が剥がれ、風の中に舞っていた。顔に月明かりが差すと、目と言うものがなかった。それは怪我や病気でなくなったものではない。まるで最初からなかったかのように、滑らかに皮膚が張っていたのだ。
 三吉は血の気が引くのを感じ、歯の根も合わず、あごがガタガタと音を立てた。思わず腰を抜かしかけて、その場に座り込んでしまった。
「ひぇーっ」
 そう叫ぶのが精一杯であった。
 声が老婆の耳に届くと口元がニヤリと笑った。血に塗れたお歯黒がギラリと光り、口が耳まで裂けた。先の割れた細い長い舌が、毒蛇のそれのように三吉に向かう。
 左手を三吉に向けると、手の平に目があった。目玉がギョロリと三吉を見た。立ち上がった老婆は、ふたり分に少し足らぬほどの大きさだった。老婆とは言え大きな体は足も長く、驚くほどの速さでドシドシと三吉に近づいて来た。開いた右手には目はなかったが、尖った獣の爪が土まみれのまま三吉を掴もうとした。
 思わず逃げ出す三吉は、墓場を出ることしか考えられなかった。すねをしこたま擦りむいて、痛みも血が滲むのも関係なく、河原の方向を目指して走り出した。
 三吉は肝も魂も消え失せて、這々ほうほうていで逃げ出した。提灯が転がって燃え出すと、にわかにあたりが明るくなって、老婆の怖しい姿がありありと浮かび上がった。
 三吉は声を殺すため、両手で口を押さえながら河原の仲間のところへ走った。しばらくすると、せせらぎに混じって呑気な小唄が聞こえてきた。
 ふたりが、ふざけていた。
「会いたさ見たさは飛び立つばかり、籠の鳥かや恨めしや……ぺんぺん」
「なんなん、ぺんぺんって」
投節なげぶしやろ」
「棒読みすんな。唄、下手やねん」
「ええやんけ」
 そこで三吉が、ふたりの間をすり抜けながら叫んだ。
「お前ら逃げんかい」
 ふたりは暗闇の中で笑った。
「なんでやねん、化けもんでも出よったか。ハハハ」
 三吉は焦って、早口で叫んだ。
のゆわんと、はよ、逃げ。わてはもうゆくで。ほな、お先に……」
 鴨川の浅瀬を走って渡ると、向こう岸に明かりが揺れた。寺の影が見えたのである。
 後ろからバシャバシャと水音。だが近付くような音ではなかった。三吉は背中に寒気を感じた。その時、小さく悲鳴がした……と思うと静かになった。妙な気配を背中に感じ、仲間も目印の提灯も、もうどこなのか分からなくなった。ただ首斬り地蔵だけはハッキリと見えた。川のせせらぎも虫の声も聞く余裕はなかった。後ろにビュンと風を切る音がした。恐怖に背筋がゾッとして首をすくめた時、岸の明かりがハッキリと見えた。寺があった。


   四

 三吉は、助かったと思い、慌てて寺に逃げ込むと、
「ば、化けもんが、どこぞに隠しておくれやす」
 僧侶に必死で頼み込むのであった。
 いくら頼まれたからと申して、訳も分からず知らぬ者を寺にかくまうことは出来ない。僧侶はその旨を伝えるばかりで無碍むげなくことわった。
 三吉は慌てていた。もう後ろから化け物が来るかも知れない。だが幸いにして、中々追いついて来なかった。早口でことの子細を物語ると、
「どうか助けておくれやす」
 涙と汗で顔がずぶ濡れになっていた。肩で息をつきながら祈るように嘆願した。
 僧侶も驚いて、事情が飲み込めたものであろう。さっそく、衣類を仕舞う長持ながもちふたを開け、
「ささ、この中にお隠れを……」
 と、その中に三吉を隠した。ドンと蓋を閉めた時、化け物が入り口から首を入れた。
 僧侶はあまりの怖ろしさに、物影に隠れるしかなかった。ガタガタ震える両手を合わせ、必死に念仏を唱えた。チラリと見た化け物の姿は確かに三吉の申す通りであった。その大きな頭が狭い室内をつくづくと眺めた。聞いていた通りに目がなかった。そして伸ばした片手の中に目玉があった。しかし体はそこには入り切らなかった。
 やがて老婆は諦めたのか去って行った。
 僧侶が安心して息を吐くと、長持の近くで、何とも言えない奇妙な音がした。それは野良犬が骨でもかじるかのようなカリカリとした音であった。長持の中からうめく声も聞こえていた。
 僧侶はあまりの怖ろしさにかがんで隠れていたが、化け物が帰ったこともあり、
——ならば救い出そう。
 と、ふたを開けた。
「もうし、もうし、化け物は去りましてござりまするぞ」
 震える僧侶の声が響いた。だが、三吉は返事をしなかった。
「あのような化け物が、近くの墓場におるなど、まったく怖ろしい限りでござりまするな。ですが、安心なされい、昼間は化け物めも出て来られぬでござりまするよ」
 僧侶は、三吉が怖れるあまりに何も言えなくなっていると思い、安心させようとした。
 開いた長持の蓋の中へ明かりをむけると、三吉はジッとしたまま動かなかった。
 不審に思い三吉の肩を揺らそうとした。すると、触れた手に三吉の体が崩れた。あっと僧侶が思わず叫んだのは仕方のないことだった。三吉は骨と肉を抜かれ、擦り傷ばかりの皮になっていたのである。化け物が熊笹の傷を嫌ってのことであろうか? 真意は分からなかった。驚いた僧侶は、朝まで必死に般若心経を唱え、やがて朝日がさすと、ようやく安心したと言う。
 翌日、三吉の仲間を探したが、どこに行ったものか行方は知れなかった。河原の提灯などもなくなって、誰かがいた形跡すらなかったと言う。化け物に喰われたものか、それとも、最初からいなかったのか、いずれにしても不思議なことである……と目撃した僧侶が震えながら申しておった。
 七條ケ原の墓場とは、今の七條通りの大橋を過ぎて、三十三間堂の手前あたりのことである。昔は墓場であった。近くには処刑場があり、怖ろしげな雰囲気が漂う場所であった。ここにあった首斬り地蔵は今は駒止こまどめ地蔵と呼ばれ、近くの蓮光寺で祀られている。無闇に肝試しをすると怖ろしい結果を見るのは今も昔も代わりないことである。『諸国百物語』より。〈了〉

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