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御伽怪談第二集・第八話「飯炊きの名人」

  一

 女もしたる、ろくろ首と申すものを、男もしてみんとて……ではなけれども、その多くは首の長くなるものなどではない。首が抜けるのをろくろ首と称するが、広い世の中には珍しい男のろくろ首もいると聞く。
 江戸時代も後期のこと、今は浄国寺の先代住職・隠源いんげんが、まだ芝増上寺の寮に住んでおられた若き日の出来事であった。
 隠源和尚は、かの有名な隠元豆の禅師のことではない。彼に憧れた別な和尚の物語である。
 その朝はとても暑くて隠源はイライラしていた。暑いと人はどうしてイライラするのだろう? ミンミン蝉が、さらに暑さを増すかのように鳴いていた。夏の朝から鳴く蝉は、うるさいばかりで何の役にも立たない存在である。
 隠源は厠から出て、手を洗おうとしていた。すぐ近くで蝉が鳴く。ふと、手火鉢に水がないのを見た。手火鉢は灰を満たして火鉢として使う物である。しかしこの寺では、普段から水を入れて手洗いに使っていたのである。
 隠源は寺男を呼んだ。
「佐平、佐平はおらぬか?」
「へぃ……」
 遠くから佐平の返事が聞こえた。続いて佐平の足音がドタドタと近づいて来る。間もなく佐平が現れた。
「和尚さま、何でござりましょうか?」
「手火鉢に水がないぞよ」
 佐平は首を伸ばした。
「あっ、空っぽでござりまするな。灰を入れて火鉢として使いましょうか?」
 と笑った。
 隠源はイライラしてつぶやいた。
「暑いのに何を申しておる」
「ですが和尚さま、これは元々火鉢ですぞ。手水にするには、もったいのぉござりまする」
「分かっておるわい」
 また、ミンミンと蝉が鳴いた。
 ふたりは顔を見合わせると、互いに汗が額から落ちた。佐平が笑いながら申した。
「暑いですなぁ」
 隠源はイラつきながら申した。
「早く水を持って参れ」
「はい、すぐに持って参りまする」
 佐平はふたつ返事で井戸へと走った。
 それが、である。なかなか佐平は戻って来なかった。隠源のイライラは蝉の鳴き声と共に募って行った。
「佐平はいったい何をしておるのじゃ」
 隠源はつぶやいたが、もちろん誰にも聞こえる筈もなかった。
「佐平、佐平はまだか……」
 と叫んでみた。やはり返事はなかった。
 返事をするのは暑苦しい蝉ばかりである。
 隠源は手洗いを待ちながら、廊下につっ立っていた。待ちぼうけのまま、別に立っている必要もないのだが……。
 やかてのんびりと佐平が現れると、重い水桶を両手で抱え、ゆっくりと歩いて来て申した。
「和尚さま、お待たせいたしやした」
「水ごときに何をいたしておるのじゃ」
 と思わす隠源はどなっていた。
 隠源は怒りやすかった。佐平もそれは分かっていたが、暑すぎて少しカチンと来た。暑いのに、重いのに、水桶を抱えて一生懸命運んで来たのである。それを少し遅くなったくらいで怒らなくても良いだろう。佐平は最近、隠源に怒られ続けたストレスも溜まっていた。佐平が手火鉢に水を移すと、桶に半分残ってしまった。
 隠源は、
「水桶には、半分で良かったじゃろ」
「重いのに、先に言うてくだされ」


   ニ

「何を、口答えするな」
 佐平はムッとして黙ったまま頭を下げ、台所へ戻って行った。その日一日、佐平はむしゃくしゃしていた。隠源とはなるべく顔を合わせないようにしていた。
 隠源は怒りやすかった。いつもイライラしていたが、暑い日は特に苛立っていた。隠源自身もそのことはわかっていた。まだまだ修行が足りないとは思っていたか、暑いものは、どうしょうもなかった。佐平の態度を見て、隠源は少し反省をし、また後悔をもした。これはいつものことであったが、だからと申して改善する訳ではなかった。

 その日の夜のことであった。隠源和尚が奥座敷でスヤスヤと寝息を立てていると、足元から近づく何やら重い感触を感じた。物苦しさに目が覚めて、深くため息を吐いた。びっしょりと寝汗をかいていた。胸のあたりまで重さが来た気配がしたので、隠源はうす目を開け、あっと息を呑んでしまった。暗闇の中に、人の生首だけが見えたのである。首はうっすらと光っていた。青白く光っていて、薄ら笑いまで浮かべていた。目は閉じていたが、体があるようには思えなかった。ただただ重いだけの頭が、隠源の胸に乗っていたのである。
 隠源は驚いて、どうして良いのか分からなくなった。しかし、勇気を振り絞って、
「おのれ」
 と、叫ぶと、生首の目が開いて隠源を睨んだ。
 その時、隠源は、驚きのあまり、とっさに、生首を掴み投げつけてしまった。自分でも信じられない行動であった。
 柱に生首が当たり、ボッと破裂音がして消えた。隠源は飛び起きて生首を探したが、どこへ行ったものか、行方は分からなかった。
 外でコノハズクが、ブッポウソウと鳴いた。
 夢ではなかった。確かに生首を投げたのだ。手の中に髪のからむ感触だけが残っていた。

 後の隠源は人格者として名を馳せる僧侶となった。しかし、まだ若い隠源は、未熟な心の持ち主であった。未熟過ぎて、まわりの者をつい怒ってしまう。それでなかなか人が寄り付かなかった。孤独な隠源は、寂しさからか、余計に怒りっぽくなっていた。しかも声が大きく、怒鳴るだけで人を威嚇する雰囲気があった。

 翌朝になって寺男の佐平が、
「気分が優れませぬ」
 と申して朝食の準備に起きなかった。
 隠源は、しかたなく自分で飯を炊いて食べることにした。
 飯は不味かった。不機嫌になるほど不味い飯を食べて、隠源はため息をついた。食事だけが楽しみの毎日であったのに、
——これでは台無しではないか。
 隠源は、またもや深くため息をついた。自分で作った食事である以上、誰にも文句は言えなかった。隠源ほど、旨い物に目がない僧侶も珍しかった。
 だが、隠源にはおよそ料理の才能と言うものがなかった。味は分かるし、僧侶だけに口は肥えていた。不味い旨いは十分に理解出来るのだが、自分で料理をするとなると、からっきしであった。とにかく不味い物しか作れなかった。なぜ、そんな味になるのか、隠源自身にも分からなかった。これが長年にして唯一の悩みの種であった。
 しかも始末の悪いことに、隠元は不味い物を食べると機嫌が悪くなるのである。佐平を雇っていたのは、自分で作る料理が口に合わなかったからであった。


   三

 昼近くになって蝉が激しく鳴く頃、佐平がようやく起きて来た。
 佐平は大きなアクビをして挨拶した。
「おはようごぜぇますだ」
「もう、昼の頃だが……」
 隠源は、今朝の不味い料理を思い出し、少しムッとした。誰が作ろうと不味い物は不味いのである。その味を思い出すだけで、人は苛立ちを感じる。
 佐平は、すまなさそうに頭を下げた。
「そのことにごぜぇます。誠に申し上げづらきことでごぜぇますが……」
「なんじゃ、申してみよ」
「へぇ……」
 佐平は、また、頭を下げた。それから、ゆっくりとした小さな声で、
「……手前にお暇を下さりませ」
 と、告げるのだった。
「えっ、今、何と?」
 隠源の驚きは尋常ではなかった。自分でも恥ずかしいことに、
——それでは、もう旨い飯が食えなくなるではないか。
 と、頭の中で叫んでいた。

 ここで少し、このぐうたらな佐平のことを褒めておこう。佐平は飯を炊くのが上手かった。何よりも増して旨い飯を炊くのである。その味わいは、一度でも食べた者をすぐさま虜にした。
 佐平の飯は、まずくぬぎの枝を選ぶことからはじまる。最近、隠源が佐平から聞いたことだが……旨い飯炊きには椚に限る。しかも、どう炊くものか、絶妙な火加減で竈門かまどを満たし、まったく旨い飯を炊くのである。これだけは誰にも真似出来ない佐平の特技のひとつであった。そのため、何度、仕事を適当にやろうと、どうしても隠源は許していた。その佐平の思いもよらぬ言葉に、隠源は顔がひきつる思いがした。
 佐平は隠源の表情の意味が分からず、困ったような顔をした。
 隠源は半ば怒りつつ叫んでいた。
「なんじゃ、理由を申してみよ」
 佐平は、怖る怖る口を開いた。
「おかしなことを申すようではごぜぇますが……昨夜、お部屋へ、生首が参りませんでしたか?」
 騒いでいた蝉たちが、突然、黙った。
 隠源は、昨夜の出来事を思い出し、少し首を傾げた。
「なるほど、首と思える物が、胸のあたりへ乗って来た」
「どうなせぇました?」
「気が動転して、掴んで柱へ投げた」
 佐平は、痛そうに額をさすり、
「そのことでごぜぇますだ……」
 と前置きして、恥ずかしそうにもじもじした。彼の額には、どこかに打ち付けたような跡があった。佐平は言葉を続けた。
「手前どもは下総しもおさの出でごぜぇまして、在所には抜け首の病が多ごぜぇます」
 隠源は驚いた。
「えっ、首が抜ける病?」
 蝉の鳴き声が激しくなった。
 佐平はうなづいた。
 当時、下総は、抜け首の病が多い土地として知られていた。普通、抜け首の病は女性ばかりがなるものである。しかし、稀に男もなると言う。その珍しい男のろくろ首が、何と目の前に座っていたのだ。
 ろくろ首は気の病である。むしゃくしゃするなどして気が頭に登ると、生霊として首だけの姿を現す。本物の首が抜ける訳ではない。ただ、生霊としての生首は、まったく本物のように見えるとも言う。


   四

 佐平は続けた。
「へぇ、昨日、手火鉢へ水を入れよと命じられ、遅いのでお叱りになられたことがごぜぇましたでしょう」
「あぁ、あれであるか……拙僧も少し大人げなく叱ったもので、すまぬことと思っておったが……」
 隠源は恥ずかしそうに頭をかいた。
 佐平が下を向き、ポツリと申した。
「あれほどお叱りにならんでもと思って、悔しさの内に眠りましてごぜぇます」
「すまんのぉ」
「すると、昨晩のこと、にわかに抜け首となり、お部屋へ参った次第でごぜぇます」
「な、なんと……」
「もし、腹の立つことがあれば、いかに注意しても真夜中に首が抜け出しまする」
 隠源は驚いてつぶやいた。
「左様のことわりのあってのことか?」
 佐平は頭をペコペコ下げ、
「はい、この病を人に知られては、もはや、寺男として務めることも叶いませぬ」
 と、肩を落とした。
 この病の者は悲惨な人生を歩むと言う。
 隠源は佐平がろくろ首でも良かったが、もし、
——寺にろくろ首がいる。
 と、噂になれば、たいへんなことになる。
 まわりから、誤解を受けるのは目に見えていたし、もし、首が抜けた時に誰かに捕まり、間違えて三尺高いところに置かれでもしたら……さらに酷いことになる。
 ろくろ首であるだけでも差別を受ける時代であった。ましてや、晒し首と誤解されれば、身内の者まで差別され、忌み嫌われることともなる。ろくろ首は罪ではなく哀れな病なのである。
 佐平は悲しげな顔して申した。
「下総では、この病を持つ者たちが、たくさん隠れて暮らしておりまする」
 隠源和尚にとっては、ろくろ首持ちはただの哀れな病人でしかなかった。隠源は武家の出ではなかったし、佐平がろくろ首であったとしても、少し怖いが、即座にどうこうしようと言う気はなかった。むしろ旨い飯炊きがいなくなることを残念に思っていた。
 しかし、もし、
——あの寺にろくろ首いる。
 と噂にでもなれば、腕自慢のサムライたちが手柄欲しさに成敗しにやって来るだろう。それも可愛そうなことである。隠源は旨い飯を泣く泣く諦め、清水の舞台から飛び降りる覚悟をして、佐平に暇を出すことにした。
 心の内では、
——明日からの食事は、どうしよう。
 と途方に暮れていたのであるが……。『蕉斎しゅうさい筆記ひっき』より。

 抜け首は生霊の一種である。それも、半分だけ実体化することが出来る種類の生霊である。生霊には、全身を見せるものや、部分的な姿を見せたり、その部分だけ実態に近くなるものがある。
 実態に近くなった霊体が、ある程度の速度で壁などに当たると、破裂音がして消えることもある。生霊を出した者は、霊体が破裂すると怪我をすると言う。全身を持つ生霊を刀で斬ると、離れている筈の本体も刀傷を受けて死ぬ。
 様々な資料を読むと、
——唐の飛頭蛮と言う病も生霊が含まれているのでは?
 と思う。飛頭蛮は唐土からくにの病の呼び名で、治す漢方薬があるとも言う。わが国にこの薬は伝わっていない。わが国では〈離魂りこん病〉と呼ばれている。〈了〉

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