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近世百物語・第九十八夜「多い人と少ない人」

 ある時、喫茶店に友人たちと入ったら、出されたコップの水がひとり分だけ多かったことがありました。
「数え間違いだったのだろう」
 友人と言いながらお茶を注文すると、奇妙なことに気づきました。ひとり多いのです。喫茶店に入って来た筈の人数より、今、目の前に座っている筈の数が多いのです。何度、数えても同じです。しかし、誰が多いのか分かりません。他の人が数えても、やはり、ひとり多いのです。そしてその人も、誰が多いのか分からないようでした。真夏でお盆に近い時期でしたので気味の悪い感じがしました。この時は、次第に話題が陰気な方向へ傾いてゆき、最後は怪談話になってしまいました。喫茶店を出た時、全員いるかどうかを数えると、今度はひとり足りません。しかし、誰がいないのか誰にも分かりません。ただ、ひとり足りない感じがしただけです。

 子供の頃、真夏にキャンプした時も、ひとりいなくなったことがあります。その時は普通にキャンプをして、みんなで遊んで、夜は怪談話をして楽しみました。子供のする怪談話は単純で怖いものが少ないです。みんな眠くなったので、おやすみを言って各々テントに帰りました。
 朝、起きると、昨夜、遊んだ友達が、ひとりいないことに気付きました。何人かが、
「やはりその子がいない」
 と言って探しました。しかし、引率の大人は、
「全員、揃っているのに何を言っているのだ」
 と首をかしげ、不思議そうにしています。
 やがて、そんなことは忘れて、みんな夏のキャンプを満喫し帰ってゆきました。家に帰ると、キャンプでいなくなった筈の子が、キャンプの前日に事故で亡くなっていたのを知らされました。
——だって、あの時、一緒に怖い話をしたんだし。
 と思いました。そう言えば、その子の話の内容ではなく、話し方自体が怖い感じだったのを覚えています。

 また、ある時のことです。実家の裏のジャングルのような森を探険していて人数が多いことに気付きました。その時、私は一番後ろを歩いていました。人数を数えるとひとり多いのです。
——時々、こんな経験をするけど、いったい誰が多いのだろう。
 と思って確認しようとしました。後ろ姿を目で追いながら、ひとりひとりが誰なのかを確認すると、ふと、気付いたのです。その列の中程を私が歩いていることに……。確かに自分の後ろ姿のようでした。その人が振り向くと、やはり私の顔がそこにありました。
——えっ、じゃぁ、ここにいるのは誰?
 と思い目を擦ると、もうそこには誰もいません。
 前を歩く人に追い付くと、
「あれ、さっきまで前を歩いていなかった?」
 と聞かれました。その時は説明がややこしかったので、
「そんなこともあるさ」
 とだけ言っておきました。
 探険から帰って祖母に会った時、そのことを尋ねました。
「数を数えて確認すると、自分が前を歩いていたんだ」
「それは、人数が多いことに気づいた人のフリをするある種の物之怪じゃ。狐や狸のようなものが、そうやって人を化かすことがある」
 と祖母に言われました。

 また、深夜に友人たちと24時間営業の喫茶店を探して、ぞろぞろと歩いていた時のことです。ようやく店を見つけて入ると、人数が多いことに気付きました。しかし、出されたコップの水の数はひとつ足りません。目でひとりひとりを確認した時、何日か前に亡くなった友人が、うつむき加減で座っていることに気付きました。亡くなった筈の友人の横に座っている人の前に水が出されていないのです。そこに座っている人も、さっきまでとは別人のように押し黙って下を向いていました。ふと、気がつくと、端にいたすでに亡くなっている筈の友人の姿は見えません。それで安心して、その横の人を見ると、まだ下を向いたままです。
——今は夜中でもあるし、少し疲れているのかなぁ。
 とも思い、始発電車の時間までそこにいて、その後、帰りました。
 何日かして、ふと、
——そう言えば、あの時、下を向いて黙っていた人は誰だったのだろう?
 と思いました。顔も名前も思い出せません。人に限って名前も顔も思い出せないことは多いので、それほど気にはしませんでした。毎日、多くの人に会いすぎて、ひとりひとりの顔を覚えるのは苦手です。
 少しして、その時に一緒にいた友人に会いました。
 そこで、
「あの時、深夜の喫茶店で、一番、端に座っていた人は誰だっけ?」
 と尋ねました。
 すると、
「あぁ、それって俺」
 と答えたので、
「そうじゃなくって、その隣に座っていた人のことさ」
 と言うと、
「俺が、一番、端っこだったけど」
 と答え、首を傾げていました。

 また、ある時のことです。終バスで座って眠りかけていると、正面に座っている人のことが気になりました。バスには数人しか乗っていませんでした。区間が長いのか、止まる間隔も長く感じました。
 次のバス停で他の人が降りて、私と正面で寝てる人だけになりました。どうしてその人が気になったかと言うと、下を向いたまま寝ているようで、まったく動かないのです。バスが揺れてもカーブを曲がっても微動だにしません。
 それで、
——もしかすると亡霊かも知れない。
 と思ったのです。しかし、本人に尋ねる訳にもゆかず、
——どうしてくれよう。
 と思っていると、窓ガラスに妙なものを見ました。その人は確かに窓に写っていました。しかし、肩の部分を外から手が押さえていたのです。だからその人が動けなかったようです。ですので、意識を集中して頭の中で祝詞を唱え、キッと手をにらむと、手がそのまま消えてしまいました。
 手が消えると、突然、その人はガクンとなって倒れそうになりました。焦って深く息をしてあたりを見ていましたが、本人は眠過ごしたとでも思ったのでしょうか、慌てて降車のボタンを押して降りてゆきました。
 バスの中でひとりになった私は、正面の窓ガラスに写った自分の姿を見ました。すると、さっきの手らしきものが、窓ガラスの中の私の近くに手を伸ばしています。
——そう言うことするかね?
 と思ってまた睨むと、手が一瞬、ひるみました。
 降りる停留所が近付いたので、そのまま降車のボタンを押し、間もなくバスを降りました。降りる時、ふと、車内を振り返ると、さっきまでいなかった人が座っていのが見えました。それが、亡霊なのか、それともただ人数が多いだけの何かなのかは分かりません。
 ただ、その時、
——この終バスには二度と乗るまい。
 と思っただけです。

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