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御伽怪談第二集・第六話「夜中に伸びる」

 世に、ろくろ首と言われるものは、ある種の奇病である。あるいは、これを〈飛頭蛮ひとうばん〉と称し、
——夜中に屋敷の中を飛び回る。
 などとも言う。首が伸びるのではなく、首が抜ける種類の病であると言う。

 享和年間(1800)、俳諧師に遊蕩ゆうとう一音ひとねと言う者がいた。
 彼は、まさしく、ろくろ首を目の当たりにした。しかも、抜ける首のものではなく、珍しい伸びるろくろ首である。
 一音はいわゆる優男やさおとこであった。色白で、武士には似合わぬ弱々しげな風体に、時として人に揶揄からかわれることも多かった。性格は、多少、堅物と申すか……あがり症のところがあり、女性を前にすると妙にギコチなくなった。立派な武士にはほど遠かったが俳句だけは上手かった。一音はろくでなしかも知れなかった。だが嘘だけはつかない男であった。

 ちょうど初夏の頃、一音は浅草裏の新吉原で美しい花魁おいらんを見つけ、運命的な出会いを感じた。すっかり夢中になってしまったのである。
 花魁の名は明かせぬが、ここでは夕梛ゆうなぎとだけ呼んでおこう。花が咲くように美しかったが、苦海に落ちたからであろうか? どこか影のある女であった。
 一音は、さっそく吉原に一泊し、夕梛と親しく交わった。彼にとっては思い切った行動であった。
 朝になって帰る時、一音は友人宅へ立ちよった。美貌の花魁を見つけて親しく接したことを大いに誇り、誰かれとなく自慢したかったのである。
 たかだか花魁に大枚はたいて親しくしてもらっただけの話である。向こうは商売であったが、とにかく自慢したかった。
 一音が、
「……それが、夕梛と申す花魁であって、いたく美しい女性にょしょうでござった」
 など、話していると、友人宅に武術の稽古に来ていた数人の少年たちが、皆、手を叩いて笑った。友人宅は町道場を営んでいて、早めに来た少年たちが集っていたのである。
 あまりに彼らが笑う故、
「なぜだ?」
 と、一音が眉をしかめると、悪ガキ風の少年のひとりが指差して、
「知らんのか? あれは、ろくろ首と言うやつだぞ。何ぞ、怪しいことはなかったのか?」
 一音は少しムッとして、子供に言い返した。
「何を申すか悪ざれども」
 すると、別な少年が笑って、
「首がヒョヒョッと伸びるでござるぞ」
 その言葉と同時に首を伸ばすと、皆が笑った。
 一音は、ただの戯言ざれごとだと思った。しかし、友人たちも、
「なんだ、お主はまだ知らぬのか?」
「遅れておるのぉ」
 口々にあざけるのである。世間知らずと笑う姿は、なかなか止まなかった。
 一音は顔を真っ赤にし、
「ならば、真実を確かめて来よう」
「おぉ確かめるが良いぞ」
「夕梛に化け物の濡れ衣など、以ての外、間違いだとしたら、ただでは置かぬからな」
 と捨て台詞を吐くと、手が震えていた。
 その日は、悔しさで何も手につかなかった。初夏とは言え昼間は暑かった。蝉が鳴くたびに、イライラして悔しさが増していった。一日中、夕梛のことを考えては、悪ざれの顔が浮かんだ。
——今夜は吉原へ確かめに行こう。


   ニ

 一音は、夕方を待って、さっそく吉原へ赴いた。新吉原の大門を見上げ、
——かの渡部の綱が、羅城門に趣く心地もこのようなものでござろう。
 と覚悟を決めたが、虚しくカラスばかりが鳴いていて、自分でもおかしく感じた。たかだか、ろくろ首を確認しに行くだけのことである。芝居がかって大見えを切ったことが恥ずかしかった。これこそ若気の至りと言うものだろう……後になって後悔したとも言う。元はと言えば、単に自慢話をしたからである。慢心の次に自慢が嫌われることは一音も分かっていた。

 大門をくぐると、遠く奥まで見渡せる真っ直ぐな道が伸びていた。たくさんの提灯ちょうちんが並んでいる中を、風鈴と三味線を爪弾く音が響いていた。吉原は、いつものような賑やかさであった。中央を通る道の左右に張見世はりみせがあった。中に艶やかなたくさんの遊女が座っていた。張見世と言うのは、格子の中にいる遊女を見せる部屋のことで、ここで客が指名してくれるのを待つ場所のことである。
 一音は、もちろん夕梛目当てである。他の遊女には目もくれず、一直線に夕梛を目指した。目もくれないと言うより、夕梛のことしか見えていなかった。
 一音は、碌でなしかも知れないが、一途いちずであった。これが初恋と申しても差しつかえはなかった。その夕梛を、こともあろうに化け物扱いするとは、悔しさで心がいっぱいになっていた。
 やがて夕梛を見つけ部屋に上がった。部屋は狭かった。わずか四畳半ほどしかない場所に、寝床がしつらえてある。だが、ここはまだ広い方である。切見世きりみせと呼ばれる最も安い部屋は、この半分くらいの広さしかない。世の中は何でも金次第である。

 一音は、夕梛相手につい遊び過ぎてしまった。酔って疲れてしまい、その夜はグッスリと眠りこけた。
 朝となり、蝉の声にハッと気がついて、
——このまま帰っては報告することも……。
 と思った。
 だが、昨夜のことなど何ひとつ覚えていなかった。恥ずかしいことだ。いったい何しに吉原へ通ったものやら。しかたなく、その日は誰にも会わないようにこそこそして過ごさなければならなくなった。
 その日も、性懲りもなく吉原へ舞い戻った。大門を見上げた時は、まだ、世間は明るかった。昨日は夕方であったが、西日が眩しかった。そのことを考えると、新吉原に早く来過ぎたことを恥ずかしく思った。

 夜は昨夜のことに懲りて、酔ったフリをしながら居眠りもせず、夕梛の様子を伺っていた。一音はすっかりこの花魁に恋していた。誰もが言うような怪しい噂を否定したかったし、金を作って見受けをし、祝言をあげる気持ちになっていた。
 夕梛は、そんな一音の気持ちも知らず、
「今夜の主様ぬしさまは、何やら見つめてばかりでありんすのぉ」
 と笑った。
 一音は照れ臭そうに、
「そ、そなたが、あまりに美しい故」
 何度か笑って誤魔化そうとした。慣れないことは言うものではない。失笑を買っただけで気まずい空気が流れた。夕梛は、時々、うつむきかげんで考えごとをしていた。つまらぬ話に飽きたのか、それとも、別なことを考えていたのか? 華やかな花魁と申しても苦界に落ちた女である、悲しみのひとつくらいあるのだろう。


   三

 一音には心の機微は分からなかった。特に女心など知る由もなかった。
 ふと、一音は、夕梛の目に涙を見た。
 その時、外から拍子木の音がした。
——火の用心、さっしゃりませ。
 一音は、その声に救われたような気がした。照れ隠しに頭をかくと夕梛が笑った。一音も笑った。
 やがて、夕梛は次第に慣れてきたのか、やや心も解けて、うまい具合に居眠りしはじめた。
「もう寝よう」
 蚊帳の行燈あんどんの灯りに蛾が羽ばたいて、チラチラと影が映った。外ではシトシトと雨が降りはじめていた。

 夜半を過ぎた頃のことである。
 一音はふと目が覚めた。外をアマツバメが飛ぶ音がした。雨の夜はこの鳥が建物に向かって飛んで来てグジュグジュと鳴き声をたてる。初夏の風物詩のひとつである。雨がしんみりと降っていた。
——明日も雨であろうか?
 一音は思った。雨の夜は憂鬱である。その時、ふと、自分がなぜここにいるのかを思い出した。
——ろくろ首などあるものか。
 そう思いながら、眠たい目を開いて部屋を見回すと行燈が薄暗かった。夕梛に目をやると何だか奇妙な違和感があった。
——なんであろう?
 目を細めて首を傾げると、事態が次第にハッキリとしてきた。
 何と夕梛の首が、一尺(30㎝)ばかりも伸びて箱枕を離れ、頭は床についていたのである。
 一音はゾッとした。雨の音だけが耳鳴りのように響いて、意識はハッキリとはしなかった。
 蚊帳の行燈が消えかけた時、夕梛が寝返った。すると、目を閉じたまま歯軋はぎしりする音がガチガチと聞こえた。薄い暗闇のなかで、夕梛の首が奇妙にねじれている。
 最初はなから覚悟はしていた。だが、実際に目の当たりにすると、慌てふためき思わず大声を出してしまった。
「く、くびが……」
 声を聞きつけてドカドカと集まって来る足音が響いた。一音は、思わず両手で口を塞ぎ、押し黙って聞き耳を立てた。
「どこかでお客人が襲われたようだ。皆、集まれ」
 こもった男の声がする。
 ここで醜態を晒しては……一音は何とかその場を取り繕おうと焦った。廊下へ通じる戸を開くと、暗闇を照らす強盗がんどう提灯ちょうちんを持った男衆と目があった。明かりが眩しかった。明かりの主は二階回しであった。くるわの男衆、特に寝ずの番をする者たちを〈二階回し〉と呼ぶ。彼らは廓の警護も兼ねていた。
 一音の顔を見た二階回しが、ふと、首を傾げた。
「お客人、叫び声がしたが、なんぞあり申したか?」
 顔がひきつる一音であったが、何とか言い訳をした。
「すまぬ、迷惑をかけ申した。夢に寝ぼけて叫んでござる」
 他の部屋の花魁たちも起きて、あくびをしながら顔を覗かせていた。
「なんでありんす?」
「寝ぼけたらしい」
 二階回しが部屋を提灯で照らすと、夕梛も起きて来た。蚊帳をめくり覗かせたその顔は、もう長い首ではなかった。


   四

 このまま眠ろうかとも思ったが、
——また首が伸びては……。
 そう思うと、背筋に寒いものを感じた。
 起きて来た夕梛に、何だかんだ酒を勧めては夜を明かすしかなかった。
 このまま帰れば、きっと友人たちの物笑いの種になることだろう。武士として化け物にであったら必ず成敗しなければならない掟もあった。だが、この美しい夕梛に巡り会えて、この世にわずかでも希望を持つことが出来た。それを、ここで殺すとなると、どうしても躊躇ちゅうちょしてしまうのだ。
 その時、一音はふと、
——苦海に落ちた女にこれ以上の苦しみを与えるのは、武士として、あるまじき行いでは?
 と思った。
 そう考えて諦めるしかなかったのかも知れない。第一、一音は、吉原で刃傷にんじょう沙汰を起こして無事で済ますような、豪傑なサムライではなかった。
——どうやって言い訳すれば皆が信じるだろう?
 覚悟もなく理由ばかりを考えていた。サムライとして情けないこと限りなしである。

 朝になると、店の主人から豪華な朝食のふるまいがあった。でっぷりと太った番頭が出て来て耳打ちした。
「昨夜は悪夢にうなされたとのこと。もし、怪しいと思ったとしても、けして口外なされまするな。お気持ちもお察しいたしますれども、悪い噂が立っては店の憂いとなりまする」
 と、ねんごろに告げて帰った。
 悪い噂も何も、多くが知ることを確かめに来ただけのこと。少なくとも友人たちは、皆、知っていたのだから……。
 それからと言うもの、一音は夕梛のことを思い出しては身震いするようになった。それどころか、吉原へ行くだけで、長い首の女を思い出した。もう、夕梛の顔は思い出せなかった。記憶の中では別な怖ろしげな女の姿に変わっていたのである。
 もちろん、このことは友人たちには語らなかった。あれから何度か聞かれたが、何となく話題をずらして誤魔化していた。皆は気づいていたとは思う。だが気を使ってくれていたのか、それ以上、話題にしなかった。
 思うに〈ろくろ〉の名のように、首の皮が屈伸くっしんするのは生まれながらの性質であり、心がゆるむ時に伸びるだけではあるまいか? 世間が言うような奇妙な病気とも思えなかった。もとより飛頭蛮のような、首が長く伸びて押下なげしに登るなどのようなことは、きっとないと思った。『閑田耕筆』より。

 この物語は、珍しく首が伸びる種類のろくろ首の目撃談である。今の時代に〈ろくろ首〉と言えば、必ず長い首のことをイメージすると思う。これは見せ物小屋の影響に過ぎない。しかし、ろくろ首の本来の姿は抜け首である。少しでも伸びるのは、数あるろくろ首の中でも珍しい現象だろう。
 ろくろ首は生霊のひとつである。首が伸びるのではなく、本体の首はそのままで、別な、霊体の首がさまよう現象のことをさす。その時、本体の首は煙のようなものに巻かれて、見えなくなると言う。
 この〈ろくろ首〉と言う名は、ろくろが伸びたり縮んだりすることから付けられたものである。ろくろと言うのは、車井戸についている滑車のことで、その縄を〈ろくろ縄〉と呼ぶ。この滑車の縄が細く伸びたり縮んだりするのに似た首なので〈ろくろ首〉と呼ばれた訳である。〈了〉

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