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御伽怪談第二集・第四話「ケラケラ笑う」

  一

 歌舞伎なんぞで幽霊の出る時は、ドロンドロン・ドロドロドロと太鼓が鳴り響き、奈落の底からり出して、
——魂魄こんぱく、この世にとどまりて、恨み晴らさでおくべきか。恨めしや……。
 七三に構えた手で、おいでおいでと引き寄せて、強者つわものどもに退治されてしまう。武士もののふには化け物を退治しなければならない運命があった。
 はるか昔、聖徳太子の時代。滅ぼされた物部の残党から、武士と物怪もののけ使いが別れてゆく。
 一族を再興させようとする一派が武士となり、国を作り繁栄させて行った。
 だが、同じ一族でも、恨みを晴らそうとする一派が物怪を使い、この世に厄をもたらしたのである。この〈物怪〉と申す言葉は、滅びて行った物部もののべ一族の恨みの念を意味する〈物気もののけ立つ〉が変化したものである。
 残党同志として互いに許せなかったのであろう。武士と物怪の戦いが歴史の中で繰り返されることとなった。そのため、武家に生まれた者は、化け物を見れば必ず退治しなければならない運命を背負った。そして、彼らがそれを意識していようといまいと、運命の持つ力によって、武士は物怪に出会ってしまうのである。

 さて、時は延享三年(1743)、徳川様の時代がはじまって百四十年ほどが過ぎた頃のことである。
 江戸に旗本に仕える血気盛んなサムライがいた。名を藤堂作兵衛と言う。彼は見るからに武芸の達人で、容姿も体格も人並み外れ、キリリとした眉をしかめて睨む姿は、なかなかの迫力であった。実際、藩内では無敵として知られ、他藩からも一目いちもく置かれていた。
 ただ、作兵衛の口癖を聞くと、やれやれと言う感じであった。
 作兵衛は、常々、
拙者せっしゃほど、強いサムライはおらぬであろう」
 と自慢していた。
 たまに否定しようとする者がいたとしても、その時には、
「いやいや、拙者はわが藩で一番でござろう?」
 と笑うため、言い返すことも出来なかった。
 そんな時は、
「だからと申して、世の中で一番と言うことではござらんぞ」
 と、悔し紛れを言うしかなかった。
 彼は、確かにサムライとしては優れていた。しかし、それを自慢することはなかろう。良いサムライとは、謙虚で自画自賛などしないものだ。それが常識であり、だからこそ自慢する者は嫌われた。さらに悪いことには、作兵衛が常に自らを誇り、
——世の中に怖いものなどあるものか。
 などと、口にしていたことである。この心を〈慢心まんしん〉と呼ぶ。強いからと申して慢心するのは、人として最も嫌われた。たとえ、それが真実であったとしても、誰からも忌み嫌われていたのである。

 ある日のこと、作兵衛があまりに吹聴ふいちょうするので、まわりの者たちも困り果てていた。
 作兵衛が笑いながら、
「たとえ、それが化け物であっても、何をか怖れることがござろう」
 と申すので、つい、同輩が、
「駒込の下屋敷に化け物が出るそうでござる。そこのかずの間で肝でも試しては……」
 と、茶化してしまった。売り言葉に買い言葉……作兵衛も引くに引けなくなり、とうとう駒込に泊まることとなった。


   二

 三月三日の夜であった。作兵衛は、駒込の下屋敷に宿泊を願い出て、化け物退治をすることとなった。もちろん、この世にそんなものがいるとは思っていなかった。形式的にであれ、化け物屋敷で一晩を明かし、帰って来れば良いのである。もし、万が一、何か現れたとしても、切れば済むと軽く考えていた。力自慢の者は自信を持ち過ぎる。現実を軽く考え過ぎている。だから、自分の常識を超えた何かに出会う時、大変なことになるのだが……。
 その日はひな祭りであった。〈上巳じょうしの節句〉である。作兵衛がこの日を選んだのは、
——節句料理を振るまえば、多少、無理を言っても……。
 と考えてのことであった。
 屋敷の者たちに話を通し……迷惑料と言うつもりはないが……持参した食材を料理してもらい、下働きの者たちにも振るまった。
 夕食の時、厨房の三太郎親父が挨拶した。
「今夜の食事は、なかなか豪勢で、ありがとうござんす」
「まぁ、今宵は上巳の節句。たまには贅沢も良いでござろう」
 作兵衛が笑った。室内に笑顔が満ち溢れていた。
 夕食に同席したのは、厨房の三太郎親父と娘のおしの、屋敷の警護の市原八右衛門と七爺ななのや藤兵衛、下女のお浜とお六であった。
 作兵衛は料理を説明しようと思ったが、自慢以外はなにぶんの口下手。代わりに厨房の三太郎親父が、今夜の食事についてのウンチクを述べた。
「よござんす。では、あっしが本日の料理について、ご説明いたしやしょう」
 皆の前に空のお善が置かれ、酒が用意された。
「まずは、酒でごぜぇやすが……昔は、桃の花を酒に浸した桃花酒を飲む風習がごぜぇやした。これが、今の徳川様の頃から白酒を飲むように代わったものにごぜぇやすが、本日は、白酒に桃を浸して桃花酒と洒落てみやした」
 白酒とは、粘りのある白濁した酒のことだ。甘味があり、独特の香りがした。
 三太郎親父が続けた。
「次に、縁起をかついだはまぐりのお吸い物でごぜぇやす」
 蛤の入ったお椀が運ばれて来た。
「蛤は他の貝とは貝殻が合わず、仲の良い夫婦を表して……と申しても、あまり関係ある者もごぜぇませんが……」
 三太郎親父が笑った。娘のお篠が、
「嫌だよお父《とっ》つぁん。妙なこと……」
「すまねぇなぁ」
 三太郎親父が頭をかいて、また、ウンチクを続けた。
「最後はちらし寿司。この中の海老は長生き、レンコンは見通しがきき、健やかにマメに働けの豆がへぇっておりやす。すべて本日の食材は、こちらの旦那様から提供されてごぜぇやす。ありがとうごぜぇやす」
 皆が頭を下げた。
 作兵衛は口下手なりに挨拶した。
「迷惑をかけるのは、拙者なのだし……」
 やがて食事の途中、作兵衛が切り出した。
「ところで、あの噂の開かずの間のことを、詳しく伺いたいのだが……」
 一瞬、皆が黙った。食事の手は止まり、沈黙の時間が流れた。
 作兵衛は我慢しきれず、
「ささ、誰か答えぬか?」
 とかすと、三太郎親父が頭をかきながら、
「旦那様、それだけはご勘弁を……」
 皆、大慌てで目を伏せた。


   三

 普段の作兵衛なら気にはしないが、さすがに押しかけて来た以上、まずいと思った。作兵衛が口を開いた。
「なに、その、拙者も武士の端くれ。化け物が出ると聞けば退治せねばなるまい」
「はぁ」
「例え開かずの間が如何様いかようなる化け物の棲家であろうとも、もう安心せよ。当藩随一の、拙者の腕前を持って退治てくれよう」
 作兵衛の大きな笑い声が響いた。
 屋敷の者たちは済まなそうに頭を下げた。だからと言って、開かずの間のことを話す者はなかった。
 開かずの間は、どこにでもあるものだ。行けば行けないことはない、微妙な遠さにあることが多い。好んで近づく者はない。また、行こうとしても、途中で分からなくなって諦めるのがオチである。行けないのは霊的なものが阻んでいるからではなく、単に曖昧すぎる話だからだ。
 特に古くて大きな建物には必ず開かずの間がついてまわる。正体を確かめると物事は単純な話になってしまう。ただの勘違いが多いのである。真実、開けると祟りがある……などと言うものは、滅多にないことであるのだから……。

 やがて食事も終わり、開かずの間に案内された。警護の市原がローソク片手に小声で、
「ささ、こちらが、あの……」
 と口ごもり、それからゆっくりと申した。
「……例の座敷にござりまする」
 作兵衛は明るく聞き返した。
「あぁ、開かずの間でござるか」
 市原は身震いして、作兵衛にローソクを押し付けると、そそくさと逃げるように去って行った。ひとりになった作兵衛は、がらんとした廊下を見渡した。手元のローソクの明かりだけが頼りの廊下は、奥まで見えなかった。開かずの間を見ると、釘などを打ちつけている様子もなく、単に開けないだけの部屋のようだった。ふすまに手をかけると簡単に入ることが出来た。
 行燈あんどんを探して火を移すと、ぼっぼーと明るくなった。刀掛けに刀を置き、部屋の中をぐるりと見渡すと、今日がひな祭りだからであろうか、くしかんざしなどが散らばっていた。さっきまで誰かが使っていたような雰囲気があり不気味であった。畳に埃はなかった。誰がするものか、掃除は行き届いている様子である。
——だとしたら、散らかっているのは何故だろう? 誰かがさっきまで……そんな筈はない。
 作兵衛は頭を振って否定した。慢心する割には怖がりである。怖がりが慢心すると、それはそれなりに厄介だ。
 部屋の中を見ると、鏡が落ちていた。櫛には女の髪の毛が残っていた。作兵衛は身ぶるいした。部屋の隅々までハッキリ見ると、嫌な妄想に心が囚われるような気がして、書見台に持参した戦記物『古今軍鑑』を開き、行燈を引き寄せた。そして、きちんと正座して……元気を振り絞って……声に出して読みはじめた。
「それ、武士として名をこうむり、弓矢を取る身ならば、忠義を旨としておごりを止め、私くしに邪欲を忘れて礼法を正しくし、主のため、自らの命を軽くして、危うき時には救い、負け戦に追われた時も、けして志を変えるべからず……」
 適当に開いて読んだのだが、書物に〈奢りを止め〉と書いてあった。今夜、ここにいるのは自分が奢りを持ったからであろう。そんなことには気がつかなかった。
 深夜に向かって時は過ぎた。だが、何事も起こる気配はなかった。


   四

 そろそろ退屈になって欠伸あくびをした時、行燈の火がチチチッと音を立てて暗くなった。
 作兵衛は、ふと、妙な視線を感じ、本を閉じて見上げた。すると、長押なげしの上に女の生首が浮かんでいた。
 生首は横向きになっていた。休んでいるのか、引っかかっているのかは分からなかった。首自体は刃物で切った風ではなく、滑らかに肌が張って、血は出ていなかった。生首の開いた目が、作兵衛をジロリと眺め、カラカラと乾いた笑い声を立てた。
 作兵衛はひるんだが、それでもなお歯を食いしばり、頑張って、相手を睨み叫んだ。
「おのれ、なんの妖怪ぞ?」
 刀掛けに手を伸ばすと、手が震えている。何とか指先が鞘に触ると、落ち着いて息を吐いた。しかし、作兵衛が刀を取る前に、生首はニヤリと笑い、かき消すようにいなくなっていた。
——無念……。
 高鳴る胸を押さえ、深くため息をついた。
 それからはまた何事も起きなかった。時々、外にトラツグミの鳴き声がした。夜の物音にひるんでは、何でもないことに安心した。そんなことが何度も繰り返された。
 作兵衛は、自分を励ますようにつぶやいた。
「ただこれだけのことか。案外、他愛のないものだ」
 その言葉に勇気が湧いた。
——気の迷いによって現れるなら、迷わねば良い。
 作兵衛は、そう思うことにした。
 とかくする内に厠へ行きたくなった。暗い廊下をローソクだけを持って歩く。もちろん刀は持って行かなかった。安心し切っていたこともあり、臆病者ではないとの自負もあった。
 雨戸の隙間から見える夜空に三日月が輝いていた。三月三日月の夜……と言えばひな祭り。幼い娘のいる家ではひな人形をしまう時刻であろう。だが、娘も姉妹もいない作兵衛にとっては、ただのひま祭りに過ぎなかった。
 厠に入ると、窓の外から怪しい気配がした。先ほどの生首が、じっと作兵衛を見つめていたのである。彼はとっさに刀を……と思ったが、ないことに気づき焦った。
 生首がケラケラと笑う。
 ひとすじの汗が流れた。ゾッとして背筋が寒くなる。心臓の音が太鼓の乱れ打ちのように鳴り響いた。作兵衛は口をパクパクするだけで、言葉にならない呻き声を上げた。頭が真っ白になってゆく。しかし、なぜか分からなかったが、目を閉じて静かに用を済ませ、手を洗い、暗い廊下を歩いていた。座敷に着くと、さも落ち着き払ってゆっくりと行燈の横に座ったのである……と、彼もそこまでは覚えていた。それから先は、血の気が引いて何も思い出せなかった。

 作兵衛が気がついた時、屋敷の人々に介抱されていた。しかも厠の前の廊下から、少しも離れていなかった。確かに座敷に戻ったと記憶していたが、現実は違っていた。すでに夜が明けかけていた。雀の鳴き声が庭で元気に遊んでいた。
 こんなことがあってからと言うもの、作兵衛も懲りたのであろう、慢心する心を持たなくなっていた。化け物に出会うわざわいは得たが、
「その後は、何も怪しいことは……」
 と申していた。果たして本当のことであろうか? 作兵衛は慢心を捨て、精進する者に変わって行った。あの時、ろくろ首を成敗出来なかったことを後悔していた。サムライとして世の憂いを祓うのは先祖代々の勤めであった。それは遥か昔、物部の時代に決められた掟である。『怪談老の杖』より。〈了〉

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