結果が全て。
結果が全て。
私はそうは思っていなかったけれど、今日はそれを感じさせられる日だった。
今日の午後、息子が地域のクロスカントリーレースに参加した。日本でいうところのマラソン大会である。学内で6年生と5年生から男女各5人前後が選ばれ、大会全体としては各学年100人、合計400人くらいの参加者がいたのではなかろうか。私は保護者ヘルパーとして、学校から大会会場となる公園までこどもたちに帯同し、息子の通う学校の子たちの応援をした。
息子は、長距離走が割と得意である。特段に速い、というほどではないが、現時点では校内トップランナーらしい。レオというライバルがいるが、長距離走では息子がレオに負けることはほとんどないという(短距離ではレオには勝てない)。本人には自分がトップランナーだという自負があり、コーチ(体育の先生)も、周りの友人たちもそういう目で息子を見ている。
今日のクロスカントリーレース参加にあたり、コーチからこどもたちに「もし誰か一人でも3位以内に入れば、今日の参加者全員にアイスクリームを買ってあげる」という提言があったそうだ。こどもたちはそれに沸き立ち、うちの息子(仮名:キンタロー)に「キンタロー!絶対3位に入ってアイスクリーム食べさせてよね!」と何度も声をかけていた。コーチも「キンタローならできるさ!」と激励してくれていた。本人も「みんなボクに期待しすぎなんだよ〜」と言いながらも、みんなに乗せられてまんざらでもなさそうだった。道中の電車の中でも、レース会場に着いても、なんども「キンタロー!アイスクリーム!」と連呼していた。いや、うちの息子はアイスじゃないんだが…と内心モヤりつつも、私はそんな光景を微笑ましく眺めていた。
いざ、息子の学年のレースが始まった。スタート地点および前半のランニングコースは、私が居た場所からはよく見えなかった。ようやくランナーが見えても、私には誰が何番目にいるのかわからなかった。しかし、私よりも断然視力の良いこどもたちが「来たよ!あれキンタローじゃない?いや、違う!レオだ!」と叫びだした。そこからは全員が「レーオ!レーオ!レーオ!」の大合唱。息子は、レオより少し後ろを走っていたが、みんなの視界にはレオしか見えていなかったようだ。私はひとり、必須に息子に向かって「キンタロー!最後まで頑張れ!最後ダーーーッシュ!!!」と声を張り上げていた。
結果、レオは3位、息子は5位となった。レオは誇らしげにメダルを首から下げて、みんなの待合場所に戻って来た。みんながレオを取り囲んで「よくやった!これでアイスクリーム食べれるね!」と大盛りあがりだった。それを横目に私は息子の姿を探したが、すぐには戻って来なかった。どこかでひとりで悔し泣きでもしているのでは、と気になったけれど、そんなときに母親に慰められる姿なんて、息子は絶対に友達には見られたくないだろうな、と思い、あえて探しに行かずに戻って来るのを待っていた。しばらくして息子が戻って来ると、私の予想に反して、泣いたような表情は見られなかった。泣き顔だったら私も優しい言葉をかけたかもしれないが、ケロッとした表情だったので、私は思わず、労いの言葉よりも先に「3位に入るどころか、レオに負けてるやん」と声をかけてしまった。すると息子は「途中で誰かに押されてコケたの。最悪だったわ」とぶっきらぼうに答えた。よく見ると、息子の手のひらや足は泥だらけになっていたので、どういう状況だったかはわからないが、コケたことは間違いなさそうだった。「そっか。それは残念やったね。でも、そんな状況でも5位になれたなら、やるやん。よう頑張ったわ」と、遅ればせながら、ようやく私は息子の頑張りを労った。
レース前に「キンタロー!アイスクリーム!」と叫んでいた子たちは、レース後には「レーオ!アイスクリーム!」と叫んでいた。コーチは、レオを褒め称えた後、息子に優しく何かを語りかけてくれていた。私は少し離れた場所にいたので、コーチがどんな言葉をかけてくれていたのかはわからないが、息子は頷きながら聞いていた。
レース前にはあれだけみんなでうちの息子をヒーローとして盛り立てていたのに、レースが終わるとヒーローはレオになっていた。事前の期待がどれほど大きかったとしても、結果を出した人がヒーロー、結果が全てなんだなぁ、と母親として少しほろ苦い思いを感じた。
帰宅後、改めて息子の話を聞くと、「コースが変わるところまではボクが1位だったのに、後ろから誰かに押されてコケた。レオもそれを見てたから、『あれがなかったらキンタローが勝ってたかもね』と言ってた」と話してくれた。レオも、いつもは勝てない息子に今日勝てたのは、息子が転倒したからだと感じていたそうだ。息子にとっては、それが言い訳というか、救いになっているのだろう。メンタル弱めな彼なので、実はみんなからのアイスクリームプレッシャーを少し重荷に感じていたのかもしれない。「コケたのに5位になれたのはほんまにすごいと思うよ。最後まで諦めんとよう頑張ったよ。その姿を見れたから、お母さんは今日見に行って良かったよ。でも、周りの人は、どんな理由があろうと、やっぱり結果で判断するんやなぁ。悔しいけど、勝負の世界ってそういうものなんやと思う。だから、キンタローが悔しいと感じるなら、次は結果を出せるように、自分で頑張りや」と伝えた。息子は「わかってる」とだけ答えた。
夕方、サッカーチームの練習があった。練習終盤、ふざけ合っていた仲間の足が息子の顔に当たり、息子は倒れ込んで泣いていた。普段、家で泣くことはあっても、外ではカッコつけたがるのであまり泣かない。しかし、その時の息子は、大粒の涙をこぼしながらずっと泣いていた。確かに痛かったのはあるだろうが、昼間のレースで勝てなかった悔し涙を、この時に流していたんじゃないかと、私は感じた。
こどもの成長においては、”結果よりもプロセス”を大切にしたい、と思っている。しかし、年齢が上がるにつれ、勝負ごとが増えてくると、”プロセスよりも結果”を重視する場面も必要になる。息子はサッカーチームに所属し、毎週試合をしているので、本人もそう思う場面が増えていることを実感しているだろう。しかし、それでもまだ10歳。結果にこだわり過ぎると、こどもらしさ、純粋な楽しさを彼から奪うことになりかねない。その辺の塩梅に気をつけながら、彼の成長を見守りたい。
何にせよ、レース後の第一声にはやはり、労いの言葉をかけてやるべきだったな、と母親としての自分が出してしまった結果を、私は反省した。申し訳ない思いもあり、寝る前の息子にマッサージを施した。背中や足を触りながら「悔しい気持ちを忘れずに、成長したいと思って自分で頑張れば、キンタローなら何でもできるよ。結果が全てではなくても、結果を出せる自分になるにはどうしたらいいか考えて行動してみてな。マミーはキンタローが自分て考えて決めたことを応援するから」と伝えると、息子は目をつむりながら、「うん」と頷いた。