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息子のイライラの理由

最近、息子がしょっちゅうイライラしている。何かにつけてすぐに反発したり文句を言うし、姉の嫌がることをしたりする。そして姉もそれに応戦し、ケンカが起こる。それに私はイライラする。負の連鎖。まぁそもそものイライラの発端が、私の不機嫌さからくる場合も多々あるから、あまりエラそうなことは言えないのだけれど。

もちろん、成長過程のある段階として、自我が強くなってきたとか、心と体の成長が伴わないとか、そもそも異国の地にいるストレスとか、いろんな原因があるだろう。それにしても、ここ1〜2週間の不機嫌さは、度を越している気がしていた。

今日も、夕飯前に姉に理不尽に当たり散らし、それを私に咎められ、悔し紛れに私と姉に暴言を吐いたため、私はさらに怒り、息子を冷たく突き放した。いつもなら3人で食べる夕飯を、息子の分はなし、と言い放ち、娘と2人で食べ始めた。息子は相変わらずふてくされて、リビングでボールを蹴りながらぶつくさ言っていたけれど、私も娘も何も構わずそのまま放っておいた。

しばらくして、息子の方から「さっきはごめんなさい」としょんぼりしながら歩み寄ってきた。自ら謝りに来た息子に、「自分から謝りに来てくれてありがとう。でも、なんで最近そんなにいつもイライラしてんの?」と尋ねた。その質問をすると同時に、「あ、これは私、地雷を踏んだかも。私がイライラしているから息子もイライラするんだ、と返されるやつかも」と思ったが、もう尋ねてしまった後だった。しかし、息子から返って来たのは思いがけない返事だった。

「最近、学校の友達がボクにだけ嫌なことしてくるんだもん。鬼ごっこのときとか、ボクだけに違うルールを言ってくるし、やめてって言ってるのにやめてくれないんだもん」泣きながら、息子はそう応えた。どうやら、学校での友達関係で上手くいかないことがあり、その不満がつのり、家族へのイライラとなって現れていたらしい。これは予想外だった。
と言うのも、「○○と△△、□□がよく嫌なことをしてくるし、何回言ってもやめてくれない」と言う話はこれまでにも聞いていた。しかし、学校の登下校中(つまり、私が一緒にいるとき)に彼らに会うと、息子の方から「○○!」と声をかけたり、前方に△△を見つけたら、彼を追いかけて走っていく。また□□については、来年も同じクラスになりたい人を応えるアンケート(そんなアンケートが実施されているらしい)に、彼の名前を書いたと言っていた。だから、たとえ彼らが息子に何がしかのちょっかいをかけていたとしても大したことではなく、仲良くやっているのだろうと思っていた。
しかし、今日の息子は、とにかくそれが悲しいとポロポロ泣いていた。「そっか。そんなに辛かったんか。それに気づいてあげられへんでごめんね」と言って抱きしめたら、さらに泣いた。いろんな思いを、ぎゅっと胸に溜め込んでいたのだろう。

しばらくそのまま泣いて、落ち着いた頃に、「確かに最近、いやなことされるって言ってたね。でも、あなたは帰り道にその子たちに会ったら、いつも自分から声かけたりしてるやん?それは、嫌なことをされても、やっぱりその子たちと仲良くしたいってことちゃうの?」と尋ねた。すると息子は頷いた。
恐らく、その友達は、いわゆるイジメのような、本気の嫌がらせを息子にしているわけではないと思う。遊びの延長で、少しからかっている程度。途中入学でやって来た、英語が不得意な日本人の息子が、からかいやすい対象であることは容易に想像がつく。
息子自身も、彼らが本気で自分をいじめているわけではないことは、わかっているのだと思う。嫌なことをされてもまだその子たちと仲良くしたいと思っているのは、そういうことだろうと思う。しかし、たとえ些細なことであっても、それが毎日続くとやっぱり辛いのだ。ボディーブローのように、息子の心を少しずつ、でも確実に傷つけているのだ。そこにちゃんと気がついてやれなかったことは、母として申し訳なく感じた。

「何回言ってもやめてくれなくて、あなたがずっと嫌な思いをするんやったら、一度、先生とかお友達のお母さんに相談してみよか?」と尋ねると、それはしなくていいと彼は応えた。大人に解決してもらうことは簡単だけれど、それはしたくないという、息子なりのプライドなのだと思った。
「じゃあ、どうしたい?どうしても辛かったら、学校を休んでもいいし、何をされてもやっぱり仲良くしたいんなら、今まで通り学校に行ったらいい。相手に正面から向き合って戦っても(ケンカをしても)いいし、戦わずに違う道に逃げてもいい。逃げることは悪いことじゃない。あとは、もうすぐ夏休みやから、それまでは少し我慢をして学校へ行ってみる。夏休みが終わったら、みんなも嫌なことをしなくなってるかもしれへん。時間が解決してくれることもある」そんなようなことを、私は息子に伝えた。それを息子は、黙って聞いていた。
最後に、「家の中でのことは、お母さんはあなたにいろいろうるさく言うて、あなたの味方をしないことはたくさんある。やけど、外でのこと、学校やお友達とのやりとりの中で、あなたが辛く感じてるときには、お母さんは必ずあなたの味方をするからね。だから1人で悩まんと、今日みたいに話してね 」と伝えた。息子は、またしばらく泣いていた。

日本で幼稚園に通っていた頃、息子はどちらかと言うとクラスのリーダー的存在だった。同年齢の男子の中では口もたつし、しっかりしている方だったので、遊びの中心になることも多く、ルールを決めるにあたっても、息子の意見が大いに反映されていたのだろう。きっと、そのまま日本の小学校に進学していたら、小学校でも同じような立ち位置にいたかもしれない。

しかし今、私たちはロンドンにいて、彼は、言葉の壁がある現地校に通っている。しかも途中入学で、まだ3ヶ月しか経っていない。そんな彼が、クラスの中心に立てるはずがない。日本ではいつもみんなの中心にいた自分が、除け者にされる。その悔しさは、彼の中で、今まで味わったことのない感情なのだろう。その悔しさに苛立ち、涙しているのだ。今、彼は、言葉だけではない大きな壁にぶち当たっているのだ。

そんな息子に、私は、大人の手を借りることや、逃げることを提案したけれど、反応を見る限り、彼の中ではどちらも納得のいく方法ではなさそうだ。何事にも全力で真っ直ぐな息子の解決策は、そこにはないらしい。この大きな壁を、息子はどう乗り越えるのだろうか。どうぶち破るのだろうか。そしてその先に息子が見る世界には、どんな景色が広がるのだろうか。
私にできることはただ、見守り、寄り添うことだけだ。

こどもがイライラするのにも、それなりの理由があるのだ、ということを再認識させられたできごとだった。でも、ちゃんと向き合って話を聴くことができたことは、とてもよかった。私はいつも、目の前に起きていることだけに囚われがちだけれど、何事も、特にこどもの変化においては、表に見えないところにこそ、心配りをしなければいけないなと、改めて肝に銘じたできごとだった。