君のにゃは?
(前回のお話+α)
保護猫ちゃんと暮らし始めたMIKKO。いまやお猫様として君臨するみーちゃん(もうすぐ2歳 ♀)のストーカー行為に対抗するべく、モフモフ大作戦なるものを繰り出すも、余計に遊んでくれるママと認識される。最近、毛づくろいらしきものも頻繁にしてくれるのは気のせいなのだろうか。今回は、みーちゃん(本名:ミライ)の名前を付けた時のことを思い出してみた。
■名づけ親狂詩曲
みーちゃんを引き取る前。「そういえば、猫の名前は何にする?」と皆で話をした。これから一緒に住む、大切な家族だ。名前もしっかり決めたかった。ところが、いざ名付けようと思っても、中々良い名前が出てこない。ぶっちゃけ、中二病的ネーミングや、ファンタジーなどに出てきそうな名前ならば次々と出てくる。ちょうどその時書いていたのがファンタジー物の原稿だったのがいけなかったのかもしれない。
名前は、大事だ。猫も自分で認識するし、病院でも猫の名前で呼ばれる。人間がそうであるように、猫だってその名前が人生(猫生?)に大きくかかってくることは間違いない。きらきらネームを名付けられた子供の気持ち。そんなことを想像してみる。ちなみに、実家で飼っていた犬の名前は「スギゾウ」だった。ある意味、近所でも動物病院でも一発で覚えてもらえ、広い範囲で愛されていた犬だった。純和風な名前ね!とよく言われたが、その由来は当時妹が好きだったバンド「LUNA SEA」のギターのSUGIZOUだとは言えなかった。
■原点に戻って、考える
そこで、原点に戻ってみた。
これからやって来る子猫に、何を想っているのだろうと。
元気に成長してほしい。伸び伸びと生活してほしい。これから長いこと一緒に住んでいくことになる大切な家族。
――そう考えたとき、ふっと浮かんだのが「ミライ(未来)」だった。
子猫の明るい未来、一緒に住んでいく楽しい未来。それを想像するワードを、そのまま名前にしてしまおうと。
そこで、「猫の名前はミライにする!」と主張し、子猫の名前は「ミライ」となった。
が、実際のところ、私も含め呼ぶときは愛称の「みーちゃん」。「ミライ」と呼ぶのは病院のみ。市に登録しているので「登録証」のナンバーを鈴と一緒につけている首輪には「***ミライ」とちゃんと記載しているものの、恐らくみーちゃん自身も自分の名前が実は「ミライ」だとは認識していない可能性が高い。
うちのみーちゃんの「みー」は、未来のミライ。
別に新海作品インスパイアされたわけではないことも、一応最後に付け加えておく。