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【短編小説】注釈男 世界は踊る 第6話


【第6話】

「あんたが殺したんでしょ!!なんで!?」

 電話に出るなり、悠里が泣きわめいた。

「ちょっとまって!いったい何の話?誰を殺したって?」

「とぼけないで!公彦さんよ!血だらけなの!死んでるの!あんたがやったんでしょ!」

 状況が全く理解できなかったけれど、パニック状態になっている悠里を必死に落ち着かせ、まずは救急車を呼ぶこと、警察に連絡すべきことを伝え電話を切った。
 その後、こちらから何度か電話をしたが、悠里が電話に出ることはなかった。

 これはあとから知った話だ。 

 悠里の不倫相手の岸田公彦は、注釈によって妻に不倫がバレて、激しく責め続けられたあげく、自ら家を飛び出し悠里のアパートに転がり込んだらしい。もともとヒモ体質の岸田は生活力に乏しかったので、悠里を頼るしか術がなかった。悠里は、注釈が消えた後も実家に戻ることを許されず、僕が前に訪れた安アパートにまだ住んでいた。悠里は、昼間はスーパーのレジ打ち、夜は場末のいかがわしいバーで働いて二人の生活を支えていたそうだ。

 あの日の朝、仕事から帰ってきた悠里が見たものは、ベッドの上で血塗れになってこと切れている岸田の姿だった。何十か所も刺し傷があって、飛び散った血で壁まで真っ赤になっていたそうだ。公彦の胸には小ぶりのサバイバルナイフが突き立てられたままで、悠里はとっさに殺したのは僕に違いないと思い込み、パニック状態で電話をかけてきたらしい。

 その状況は完全に怨恨殺人の現場だし、僕が容疑者として警察から目を付けられたのは当然のことだろう。別居している妻がつきあっている間男を、未練たらたらの夫が殺したなんてありがちなストーリーだ。

 でも、僕は悠里にもその相手にも全く興味を失っていたし、正直なところ、岸田が死んだと聞いても何の感慨も湧かなかった。
 僕はその日、厭々ながら明け方までお得意様を接待していたという明白なアリバイがあったので早々に容疑者リストから外れたらしい。まあ、嬉しくもなんともない。ただただ迷惑なだけだ。

 この頃から日本中で殺人事件や不審死がじわじわと増えていった。

「ワールド商事勤務山田希美さん(29)、自宅アパートで絞殺される」
「石田由紀子さん(45) 石田彩音さん(20)母娘、何者かにより鈍器で惨殺される」
「惨殺された石田さん母娘の夫、石田邦夫さん(49)単身赴任先で自死?」
「無職佐々木和彦さん(30)と内縁の妻川上芳江さん(53)荒川河川敷で謎の焼死体で発見される」
「主婦鈴木真知子さん(46)、地下鉄ホームから転落し轢死」
「無職 大木成男さん(66)交通見守り運動中、暴走車にはねられ死亡」
「東京都職員田中克己さん(47)、路上で刺殺される。通り魔殺人か?」
「品川興産会長墨田雄一さん(73)、自宅付近を散歩中に暴漢に襲われ死亡」
「永光商事勤務 鈴木正義さん(42)、歩道橋階段から転落し死亡。事件性の有無を含め捜査中」

 次第に社会全体が言いようのない不穏な重苦しい雰囲気に包まれていった。
 それと同じくして、ネットではある噂が広がっていた。

「どうやらかつて注釈を付けられた人々が世界中で次々に殺されているらしい」
「注釈を付けられた人々の膨大なデータベースが存在するらしい」
「世界中で『注釈男の意志』を名乗る集団がデータベースに登録されている人々を殺し回っているらしい。」
「データベースのことを『注釈男の意志』は『聖書』と呼び、それによる殺人を『聖戦』と呼んでいるらしい」
「日本でもとうとう『聖戦』が始まったらしい」
「『注釈男の意志』は、注釈を付けられた人々を全て殺すと、注釈男がこの世に復活し、世界を浄化すると信じているらしい」

 いつものように泡盛をなめながら真夜中にダラダラとネットサーフィンをしていた僕は愕然とした。

 なんで注釈が付いたやつらを皆殺しにしたら注釈男が復活するんだよ?
 僕がいつそんなことを言ったんだよ。
 大体、何人殺してもキリがないだろうが。
 なんで僕が世界を浄化するんだよ。
 勝手に期待するなよ。
 勝手に暴走するんじゃねえよ。

 そもそも注釈は、僕のちっぽけな欲望を満たすためだけのものだ。
 僕は世界を変えようだなんてこれっぽっちも考えたことはない。
 勝手に変わっていったのはお前らだろ?

 しかし…
 僕の知らない所で、しかも僕が原因で、人が殺されていくのは気分が悪い。
 もう興味も何もないけれど、もし悠里がそいつらに殺されたら寝覚めが悪い。

 いい加減にしてくれ
 もう僕に係わるな
 そんなに注釈が欲しいのならくれてやる
 お前らの望む世界にしてやる

 僕は、半分ほど残っていた泡盛のボトルをラッパ飲みし、一気に胃の中に流し込むと、今や注釈男の『聖地』と化した掲示板に一言だけ書き込んだ。

「やあ、注釈男だ。また祭を始めるよ。」

 

そして、注釈が復活した。

(続く)


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