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2023年1月15日(土)
ふと気になってて、見るなら今かな?
と思ったので、Netflixで映画『聲の形』を見た。
確か去年公開して話題になって賞とか取ってた気がするけど、調べてみたら2014年の映画だってさ。そんなに昔だっけ?
原作漫画を途中まで読んでて、ラストは知らない。
基本的にイジメの話で頭から気持ちのいい話でもないが、評判高いから映画で観たらラストで感動するのだろうか?
と思い観てみた。
話は小学校時代に耳の聞こえない女の子が転校して来て、クラスの人気者男子が次第にふざけがエスカレートしていきいじめになっていく話。
やがて女の子は転校し、主役は周りからいじめられて友達がいなくなる。
そして時が過ぎて高校生になり、女の子と出会い、過去の事の償いをしようとする。
まあ、よくある話と言えば、よくあるのだけど。
基本的には殆どの人が受け入れられない話であろうと思うのです。
虐めていた人が反省して、謝りに来て何かしても
そんなのは絶対に許せないし、それで許した所で虐めてた人がはいOKにはならない。
お互い分かり合えて良かったね。なんてご都合すぎてそんな話見たくないし。
この物語の1番の悪所とも思うのは、虐められていた女の子が虐めてた男の子を好きになる事だと思う。
急に現れて、手話覚えてて、反省してて、歩み寄って来ても、好きにはならんだろ。
更に映画だとかなり家庭の事情や人間関係が省かれていたので、全てが突拍子もなくとんとん拍子で都合良く進んで見える。
でも、それを知っていたところで、人間関係が気持ち悪い作品なのは変わりなく。
1番共感できるのは耳の聞こえない女の子の妹なのかもしれない。
中学生でしっかり者だけど、不登校で、生き物の死骸ばかり撮影してて、お姉ちゃんを守ってて。
でも、お姉ちゃん共々母親からは半分見捨てられたような生活で、唯一話を聞いてくれて自分を見てくれていたお婆ちゃんが死んだ時、その顔を写真に収めて。
それだけで見るに値するドラマがある。
他の人たちは基本的に虐めていた人達なので、ドラマの主役になるには難しい。
どんな理由であれ、どんな感情であれ、虐めていた事はいつまでも許されないから。
そして虐めていた側は大人になって、あの時は悪いことしたなぁ。
と思うことは全て過去の思い出でしかなく、反省ではない。他人事としての感覚でしかないので、共感は得られない。
得られる共感はいじめていた人が虐められたり不幸になる姿を見てスッキリする事かもしれないが、それこそ人間の闇の部分で、アメリカだとよく作られる勧善懲悪の世界。悪人は死んでもいい。の物語だ。
しかし、日本では仮面ライダーでさえ怪人を殺せなくなって来ている。
どちらにしろ、この映画だけ見たら、登場人物全員嫌い。で終わりそうな映画だった。
期待していたラストシーンもなんだこりゃ。
な展開だった。
虐めから始まった物語が、素敵なラストシーンで終わるなんて、それは可能なのだろうか?
そう思って楽しくもない漫画を読み進めて来た。
やはりスタートの時点でこの物語はハッピーエンドなんて無いんだよ。
でも、強引にハッピーエンド風に持っていっているから気持ち悪さが倍増する。
それが狙いなのかもしれないし、
もしかしたらこの物語でも号泣して大感動する人もいるのかもしれない。
常に胸糞が悪くなるキャラクターたち、それがリアルな「人間の心」というわけでもないから、また気持ち悪い。
虐められるのには必ず理由がある。
それは、顔が悪い、肌の色、変な癖、意見を言わない、返事をしない、頭が悪い、空気が読めない、運動神経が鈍い、ワガママ、等々理由は些細なことからわかりやすいものまで絶対にある。
無限にある。
だから、いじめを無くすには方法は無限に広がるから難しいのだ。
よく
『虐められるのに理由はない!いじめる方が悪いんです』
という人がいる。
そんな大雑把な正義感だから本質が見抜け無いわけで。虐める方が悪いなんて百も承知で、当たり前で、誰もが理解している事だから、その先の話をしているのに『理由があるから虐めていいにはならない!虐める方が全て悪いんです』
と思考停止してその先の問答へと入っていけないし、解決する気もない。
虐められるには理由があるんです。
でも、理由があるから虐めていいという事にはならないだけで。
この世の現象で理由がない事なんてない。解決するにはそれを変更すればいいんだけど、それが難しいからみんな困ってるのですよ。
ウジウジしてる子がそれが理由で虐められるなら、ウジウジを辞めて、ハッキリ物を言えば状況は変わる。それだけだけどそれが難しい。
内向的な子に急に外交的になれと言ってすぐ変われるもんではないし、大人になっても変わってるかも怪しい。
それは他人がどうこうできる事でなく、本人がふとしたきっかけで、あ、もっとこうするべきだったんだ。って気づかないと人間は変わらないのだ。
だから、虐めていた側が、虐めていた心理であったり、実はコミュニケーションをとっていたんだ的な理由を見せられても、そんな事は「なるほど!」とも思わないし、目から鱗が落ちたりもしない。
なんじゃそりゃ。
と思うのが普通の感覚なんじゃなかろうか?
結局、障害を待って生まれたせいで父親に捨てられ、シングルマザーで2人の子を育てて、心に余裕もなく、手話も覚えない、まるで子供が迷惑のように育ててきた母親との説明も無いまま、虐めていた男の子と親ごと仲良くなっていくこの映画は、観てて奇妙千万、ご都合主義に見えても仕方がない。
嘘のような小さな理由でバラバラになった友達が、また嘘のように集まって来る気持ち悪さ。
いや、もうこいつらと仲良くしなくていいだろ。
とさえ思ってしまう。
主役の聴覚障害の女の子が、見た目もかなり可愛い子として描かれている。それだけで商売的には良いのかもしれないが、この子が不細工だったとしたら、きっとこの物語は成立しないんだろうなぁ。
いや、むしろ不細工だった方がリアルに心の中を描けて良かったんじゃ無いかとさえ思ってしまう作品でした。
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