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『アルジャーノンに花束を』を読んだ感想

感想①

…ネタバレしない程度には、書きたいことを書けただろうか?

すごーく殴り書きの文章。
ただの自己満足的感想記録メモ。

わざわざ覗きに来てくださり、感謝です❀

○・○・○

衝撃を受けた。

なぜ彼は知能を高めたかったのか?

それは、自分のことを好いてくれているであろう周りの人たちに

"もっと好かれるため"。

利口になれば、
もっと皆は自分のことを認めてくれる。
好きになってくれる。
そしてやがては、置き去りにされてしまった
(場合によっては過去の)
母親、父親、妹たちに認めてもらうことが
チャーリィ・ゴードンの目的であったと考える。

結果はどうだ?

蓋を開けてみれば、
チャーリィを
小馬鹿にする者、
嘲笑う者、
厄介だと思う者、
単なるうすのろだと思っている者、、、

チャーリィは、自ら望んだ"利口になる"という目的を達成したが故に、
周囲から向けられていたものが
そんなものでは決して無かったということを嫌でも認識させられる。

無論、そんなものは望んでいなかったのに。

そもそも、望んでいないというよりかは、
あるとすら思いもしていなかったものばかりであっただろう。

その中でも、チャーリィに対して少なからず好意を抱いていた人もいたことが、何よりの救いであると考えてはいる。

だがこちらについても、"知能レベル"という点において
ただひたすらに残酷であるなと思うのは、物語も中盤〜後半に差し掛かってからのことだった。

感想②

このチャーリィ・ゴードンの特殊な経験。

実は、私達はほとんど皆、同じ体験をしているのではないか?

実際、私達は一人の例外もなく
みな幼少期を経て大人になる。

子供でなかった大人など、誰一人としていない。

知能レベルが幼稚であったころ、
世界は輝きに満ち溢れていた。
自分の好き・嫌いに従って、
感情の赴くままに行動していた。
自分のことが大好きだった。
他人からどう思われているかなんて、
そんなことはどうでも良かった。
考えもしなかった。
 
大人になり、
知能が備わってくると人はどうだ?

まさに、チャーリィ・ゴードンと同じような境遇に立たされることもあるのではないだろうか。

チャーリィは最後、すべてを悟った上で
ある決断を下している。

私はその姿に、
認知症の患者の姿を重ね見た。

最後まで、自分の行く末を決定できた
チャーリィ・ゴードンには心から拍手を送りたい。

願わくば、私自身も同じように

最期の時まで勇敢な人生を歩める自分でありたい。

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