ホームシック
九州へ来て1週間が経過した。ここは海が近い。韓国が近い。心なしか、太陽も近い気がする。だけど、私の家がある関東は遠い。
1時間に1本しかない2両編成の電車に乗ってスーパーへ買い物に行く。湿気を帯びた風を浴びながら、カニが横歩きしまくってる道路をずんずん進んで寮まで帰る毎日を送っている。
Twitterを開く。適当なことを呟く。Instagramを開く。友達の投稿にいいねする。夜が来る。そして朝になる。
実家の家族はどう過ごしているだろうかと、海がよく見える位置にある喫茶店で、アイスコーヒーを飲みながら考えた。今日はよく晴れていた。明日も晴れたらいいな。
大阪出身の子と同じ部署になった。住み込みバイトする2か月間、こんなど田舎で暮らしていけるだろうかと2人で話した。私は笑った。
今日路面電車に初めて乗った。地元でたまに乗っていた普通の路線バスと仕組みは変わらなかった。
どこへ行ってもどこを歩いても、ワシワシワシワシと蝉が鳴いてる。夏が来たなって思った。
大きな駅の前のハトは人慣れしていた。渋谷のハトとよく似ていた。
進学を機に東京へ来たとか、仕事のために関東へ来たとか、1人暮らしを始めたとか、私はそんな人たちをたくさん見てきた。
みんな普通に会話をしてくれたし、なにも変わったことはなかった。
だけど今、自分が実家から離れて1人で暮らしてみて、思う。
さみしい。
家族に会えないことだけじゃない。近くにスーパーがあったこと、UNIQLOが自転車圏内にあったこと。標準語を話す友達が近所にいたこと、バイト先の主婦たちとたまに会ってたまに笑い合ったこと。海の無い県に生まれて暮らしていたこと。
その全てが、遠くなってしまって、さみしい。
自分の知らない世界に飛び込むことが夢だった。知らないものをこの目で見てみたかった。そしてそれは全て、九州へ来てみて叶った。この世にはまだ知らないことがたくさんある。それを知ることができた。
だけどそれと引き換えに、自分が今まで馴染んでいた日常が見えなくなってしまったことに、恐怖すら感じている。
ホームシック。
人は私の今の状態をそう呼ぶんだろう。
埼玉の実家にいた頃は軽く鬱っぽくて、今年4月にはパニック障害になったりもしてた。毎晩泣いていた。自分でも引くほど泣いて、過呼吸になったりした。希死念慮に苦しめられて、そのたびに1人で夜を越えた。そんな日々にうんざりして、体力も限界を迎えようとしていた。自分を変えるなら今の環境に居続けたらだめだと感じて、九州行きを決めた。
九州へ来て今日、初めて泣いている。この文章を打ちながら泣いている。
死にてー。とか、布団の上でわんわん泣きながら考えているわけではない。
自分のことを知っている人が周りにいなくてさみしくて泣いている。埼玉のことを知っている人がいない。簡単に言ってしまえばそんなくだらないことで泣いている。
明日になっても、その次の日になっても家族に会えない。家族の顔を見ることができない。友達と会う約束もできない。近所の駅の踏み切りにやたら待たせられることにイラつくこともできない。近所の八百屋の完熟バナナが安くなっているかもしれないのに買えない。
日常に飽きていたのに、日常が離れていったらさみしいなんて、本当に自分は面倒くさいなと思う。
今日、長崎の市街地へ出て、少し観光地を巡って、趣のある絵本屋さんへ立ち寄った。
毎日同じ仕事をする男の人が、ある日突然仕事を放棄して森の奥で遊びまくるという絵本を買った。1540円もした。高い。
その男の人は最終的に元の街へ戻った。元の街のみんなが恋しくなったからだった。
さっきその絵本を読み終えて布団へ入って、クーラーを止めるのを忘れていて、また布団から這い出て、そうこうしているうちにこんな時間になって、ポロンポロンと泣いている。
ホームシック。
私は早く、帰りたい。
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