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同調性

「個性を尊重する」。沖縄で学生時代してた時によくサークルのモットーで先輩が言っていた。しかし実際は言ってみるとその言葉はないに等しく、縦の関係に服従することが多かった。

その言葉は建前に思えて、悔しく思った。
しかし最近思うと、「個性を尊重する」と言う言葉に主語がかけていることにきずく。それは個性が主語でない。主語が最初から抜け落ちている。

それは、「個性を尊重する(サークルの)」となり、カッコに主体性が含有されることになり、最初から抜け落ちている。括弧に入るのは、サークルという全体的な社会性になる。他にはサークルの扱う物や部長の権限が入ることがある。

昔いた踊りのサークルでも、同じ。
このサークルは高知のよさこい踊りをのれん分けされて成り立っているが、このサークルでも「個性の尊重」が建前になっているが、人の個性の尊重ではない。先に挙げたサークルの例と同様に、「個性の尊重(よさこい踊り)」又は「個性の尊重(リーダー)」となり、カッコの中に主体性となる存在の要素が入っていく。最初から括弧の要素は隠されて宣言されている。

もっと言うと、トーテムと言うシンボルということになる。トーテムは未開部族などのシンボルで、ある集団と生物種又は非生物種との間に特定の関係があるとする信仰に基づく社会組織、宗教形態を意味する。
現代的な意味でいうと、サークルの中にあるサークルのモットーとカッコに入れられた主体との関係と言うと思う。

この関係の中でトーテミズムは関係を作り、同調性となる。
踊りと言う個性はそこに所属する人間が同調することになる。当時はよくわからなかった。それ以前に入っている人間、中心になっている人間たちが同調し、自己陶酔している姿を見ていて理解に苦しんだ。

沖縄特有の物なのだろう。
しかしながら、楽しむこと、笑顔で踊る事に同調することには今も理解できてない。同時にあの人たちは、のれん分けされた踊りをありがたがるのみで、踊りの型の解釈がしていなかったと思う。そのくせ、踊りを教える側は、教えられる側にダメだしすることで、自分たちの特権性を持っていて、マウントとる事しか覚えていない。それで高知のよさこいは楽しいだ、この価値はこうだとか、伝わるものはなかった。

あの人らにとっては、単純に楽しむための物だったのだろう。沖縄は「楽なこと考えろ、難しい事考えるな」という所だから。

トーテム 図式-1


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