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沖縄の本土復帰 ドキュメントの動画を見て

ある動画


この前にこの動画を見た。この動画はアメリカ統治時代に前原高校の学生が議論しているもので、日本復帰(復帰の5年前)が決まり、復帰後の沖縄についての議論である。
その中で2人の学生の意見が印象に残った。

抜粋すると
「基地も撤廃して アメリカの援助も途絶えて 今のような生活になるには相当時間がかかると思う」(4分10秒~17秒)

「アメリカの援助なんか そういうのを断ち切られた場合 それに値する産業がおこせるかどうかが問題なわけさ」(4分17秒~25秒)

この学生の意見に対して、ナレーターは「経済面から基地を残した復帰を主張」と言い、テロップをつけていた。以降は基地返還を言う学性の意見だったが、抜粋した二人目の意見は私には本質をついていると思う。

基地を反対する意見もいるが、理想としては良い。しかし反対するための経済基盤もいるし、沖縄自体が自立するための産業を作るための行動もいる。
沖縄ではアメリカ時代に日本復帰運動が熱烈に行われた。そして復帰に向かうにつれて、本土に対して基地問題での鬱屈した感情が出てきた歴史がある。

そして今に至ると、知っている知人が「沖縄は植民地だ」と述べる。
知る限り、被害者意識の強い人もいる。

しかし、復帰運動に際して復帰後の沖縄のビジョンについてはあったのだろうか。


理不尽なことあれども、理不尽なことを前提にして思想するものでないかと思う。復帰運動の過程で復帰後のビジョンがあったと思う。
当時の沖縄の保守(いはゆる)は「沖縄から基地が無くなればイモハダシだ」と言った影響も強いのかもしれない。

少なくとも、イモハダシになっても、紙とペンがあれば、自分の考え方を整理することはできる。私は沖縄にいた時そうだった。おかしくなりはして故郷に戻ったが。アメ公賛美なイカレタ人間に玩具の銃向けられてたな。大変だった。

気質

沖縄にいて思ったが、県民の気質は団結しやすく、冷めやすい。
そして、沖縄の同調圧力は人間同士の共感性から起こり、その方向性は時に同調したり、陶酔したりして、時に誇大妄想になる事もある。

誇大妄想になるのは被害者意識に対してのものと思う。
学生時代のサークルで、沖縄のメンバーが学生部と部室の件で争っていた時に、家内もしないのに誇大妄想に理想を言ってた。

他には自己陶酔性。人または物かのカリスマ性に酔いしれやすく陶酔しやすい。カリスマ的な人いれば、人はその人のカリスマを賛美、陶酔する。
又はブランド的な踊りならば、その踊りという物に自己陶酔して、賛美、絶賛しやすく、依存しやすい。
「食わしてもらう者は、我が主」に由来するのかもしれない。

在沖時代、沖縄県民のこういった気質を目の当たりにしてた。
少しは把握できるようになった。今でもこういった理不尽なこと思い出して
独り言も言う時もあるが。

しかし、沖縄の人はこういった気質を、県民自身分析しているのだろうか?
おそらく、この気質の分析は仲間意識の中にいては不可能と思う。

自身も思考の整理して、それを言おうとしても、当然ながら相手にされにくかった。しかし、思想するには、一人で思考の整理をしないとならないと思う。それが一人であって、無力でも。

感想

この動画見ていて、日本本土がアメリカ軍基地を沖縄に押し付けているのは申し訳ないとも思う。同時に沖縄自身が反戦平和の考えに縛られているあまりに、同じ反戦思想に縛られている日本本土と対立しているように見える。

それは、反戦思想に縛られている限り、基地問題は解決しないと言う事。
もし沖縄が反戦思想の弊害を自覚して、日本本土に意見を提示できるのならば本土の持っている「反戦思想」に幾らかの影響は与えられるのではないかと思った。

沖縄は反戦思想に染まっているが、沖縄戦を経験したからこそ、反戦思想そのものを疑わないとならないと思う。同時に沖縄戦経験者のみの体験でに留まるのでなく、沖縄戦を主観的のみでなく、客観的に見る視野がないと、本土に何も主張できないと思う。

言ってやればいい。
「イモハダシでも生きてやるさと」。
現実は苦しくても、哲学し、思想しないと人は生き生きてけない。



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