沖縄のよさこい踊り団体にいての記憶 リーダーについて
沖縄のよさこい踊り団体にいて。記憶。20年前のこと。
当時好きだった女性を意識しすぎて、一方的に言い過ぎて嫌われた。今思うと大したことのない女性だった。どうかしてた。
些細な言葉にリーダーは反応して、改めることを求めてきた。
入って1年過ぎた時から。その後「コバンザメ」と、この団体のブログのコメントに記したら、削除すると言ってきた。削除されて、更に批判した。
思うにこのリーダーは世間体しか気にしてない。前から些細な言葉に対しても、団体の事とは関係ないのに言ってきた。世間以外にも、のれん元の踊り団体にバレることを恐れていたのかもしれない。火消しに躍起だった。
その後、沖縄の人の特有の行動と分かった。
沖縄の基地問題を考えるためのヒント 樋口耕太郎×藤井誠二 (6)(藤井誠二) - 個人 - Yahoo!ニュース の文章で、
・・・・という文章があるが、自分の経験した事にも近い。
創価の人間である事もあり、どこか宗教的で自己陶酔的だった。そして権威をことのほか崇拝する。
この人は訂正というよりも、自分にとって都合の悪いことを封殺をしているように感じたりもした。
ほにやの栄光話ばかり語る、そして高知ほにやとしてよさこい祭りに出て賞とったことを募集チラシを作る時に、賞を取ったのを肩書きにして入れてた。
今思うと、うらやましい限りだ。
価値だと言うそうだが、こちらは童話のコンテストやラジオcm等に何個か出しても、当たるのは二つしかない。
踊り団体のリーダーのような人間は創価であるためか、価値を出すために、効率的な結果しか関心がない。だからブランドの暖簾分けから多くの結果を出して勝ち誇る。そしてその価値に自己陶酔して錯覚したりする人もいる。発言に電話で訂正を求めてたのは、ブランドのためだろう。
自分等の価値と対等でないものには、自己満足と見なしてた。常に発展の幻想で、衰退に対しては、希薄だった。永遠の価値にて発展を見てた。
ああ、これは沖縄ほにやの時代の物だ。
何かに失敗すると出てくる。整理しながらでないと、「病院行って相談しろ」、Γ楽しいこと考えろ」と言われるだけになる。
楽しいこと考えろと言われても、覚えてない。共感し合うことは自己満足としつけられたからか? その年でもないか。
それ以外は、創価に入ればよくなると言う誘惑のみになるが、自力本願で、人々を煽ったり、父性のふりをするのがいると、選挙で人を総動員したりとなる。義務の強要になりやすい。
きつかったから、コバンザメ発言は消されても、反論した。奴らは黙ったままだ。
この団体の社会構造分析しても、まともに反発するやつはいない。人に言いすぎて、正義感で反発され返されたことはあっても。
沖縄ほにやは、自分等の社会構造を分析したことあるのかわからない。あのグループの中のいると、主観的で自己陶酔して、よさこい踊りやほにやを賛美する体質になるから、あの中にいても、客観性は乏しいのかもしれない。客観的にできるのは、踊りへのダメ出しのみか。 踊りを指導する側は、ダメ出しはされたことなかった。そういうものか。
良い経験だか理不尽なものだ。
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