阿波踊りの番組見て
昨日、NHKの深夜番組を見た。内容は徳島の阿波踊りの話だった。
その中で印象に残ったのが、徳島商業高校の徳商連。踊りの振り付けや曲のアレンジなど、アイディアを出しているシーン。踊り子の側もアイディア出しているとは聞くが、アイディア出すことにどこまで寛容なのか? とも思った。
それもそのはずで、昔沖縄にいた時に、「沖縄ほにや」という踊り団体にいたからだ。この団体は高知の高知ほにやというよさこい踊り団体の、のれん分けされた団体であったが、息苦しかった。
なぜなら、高知ほにやの権威のみアピールする傾向が強すぎて、権威に沿って、踊りは楽しいと言う事ばかりで、その空気ばかりが充満していた。権威という方が強い。のれん元のすばらしさを語るあまり、その型にはまろうとする人がいて、その傾向の人間は、よさこい楽しいと言う人がその型にはまっていたように思う。
ある時団体内で、自分らで新しい踊りを作ることが出ていた。自分は乗ってアイディアを出したりしたが、干されていった。逆に踊り楽しいとはしゃいでいる人たちは乗り気でなかった。あれだけよさこい踊りに、陶酔して楽しもうと言っている人達が。昨日見た徳商連の学生たちと見比べると、楽しみ方に差があるように思えた。前者は、自分たちで作ったり、アレンジしたりしていく事に喜びを見出している。自分のいた団体の踊り楽しいと言ったいて人達は、型にはまった踊りにしか楽しみを見出してないような気がしてきた。アイディア出しても、口先ばかりとも言われた。ほにやのよさこい踊りは作られた時点で権威化されていた。
後者は権威に忠実だったのだろう。権威の中でしか楽しめない。権威に対して忠実で厳しく、その上で笑顔で踊ろうという物だった。この中にいて、私には楽しみを見出すことはなかった。ただ楽しいから、という物だけだで、同意を求められていくだけだった。権威が強すぎると、権威の中では、自由はない。すぐにその価値観は停滞する。
昨日のテレビ番組を見ていて、過去の記憶がよみがえり、あの学生たちのような自由はなかったことに改めて気づいた。権威のみでは何も生まれないのかもしれない。
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