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【小説】 鳥 第6話

第6話

彼は仕事で悩み事なのか、すごく疲れた様子だった。

「おかえり。どうしたの? 悩み事?」

「ちょっとね」

「仕事の事?」

「いや、仕事は順調すぎるくらい順調だよ。また新しく大きな仕事も決まったし」

素直に良かったね。と言ってあげたいのに、心の中の私が呟く。『またか。……嫌だな』そんな自分のことばかりがすぐに頭をよぎる私は、きっと彼の様にはなれない。

「……そっか。じゃあ、何の悩み?」

「——君には分からないよ」

「そんな事ないかもよ? 話してみたら?」

「……いいよ。きっと言っても何のことか分からないから」

——そうだよね。私にはきっと分からない。

「じゃあ、いいよ」

「……」

彼の側に紙袋が置いてあった。きっとまたファンからのプレゼントだ。
「これ、またプレゼントもらったの?」

彼はチラリと紙袋に視線を向けて答えた。
「うん。まあね」

彼は私と違って人気者だ。
「いいなぁ。人気者で。モテすぎて困っちゃうね」

「……」

彼はそんなに嬉しそうでもない。どうせ彼にとってはいつもの事。
「こんなにプレゼント送ってきてくれる人とかがいるんだよ? 何かに秀でているって、良いね。何でも持っていて……羨ましいな」
なんだかやっぱりひがんでしまう。

「確かに、人には恵まれているのかもね」彼はそっけなく答えた。

「その容姿だって、羨ましい。私もそんな風に生まれたかったな」
……ずるい。なんでも持っていて。

「どうでもいいよ。そんな事」

やっぱり、わかっていない。どれだけ自分が恵まれているかってことに。
彼のそんな一言に、私の黒い部分がうねりを上げた。

「……どうでも良くなんかない!」

コントロールの効かない怒りが、急に爆発する。ダメだと分かっているのに、暴れ出した自分の中の悪い部分を、私は野放しにする。

後で自分を責め続けるのも分かっていた。けれど、止められない。暴れ出すそれは、いつもは見つからないように押し込めているだけで、ずっとあった、私の一部。

「何を君がそんなに怒ることがあるの?」

「言ってもどうせ分からない」

「そんなにイライラされても、僕には分からない」

「……モデルの仕事をして、結果も出して。何でも器用で。あなたはずっと恵まれてる。……もちろん、努力しているのだって知ってる。——だけど——」

「別に、恵まれている訳じゃないよ。モデルの仕事だって、自分に出来る事をやっているだけ」

「ほら、どうせあなたにとっては、特別な事じゃ無い」

「何でそんなに急に喧嘩口調なの? 君だって、仕事頑張ってるし。そんなに怒り出されても、こっちは訳がわからないよ」

「だったら、放っておいて」

「何でそんなに投げやりなの? 僕、何か悪いことした?」

「……」

——理想の自分に程遠くて、落胆する。

綺麗になりたくて、人に優しくなりたくて、自分にしか出来ない心が躍るような仕事をしたい。

思い描く自分はあるのに、そうなれないのは……何で?


——分からない。

沈黙している私に向けて彼が口を開いた。
「……気まぐれな君と一緒にいるのに、疲れたよ。……別れたい。他に好きな人が出来たんだ」

突然の事だった。

いや、突然じゃ無いのかもしれない。どこかでずっと予感していた事。

——こんな私じゃ、彼には不釣り合い。

ずっと不安だったから、別れたいと言われて『ああ、そうだよね』と心の中で思った。妙に納得した。

「……分かった」

彼の為には、それがいい。私は笑顔をつくって答えた。

「じゃあ、何日か引っ越すための時間をちょうだい。荷物が多くてごめんね」

——すぐに片付けをしないと。

そう思って目の前にあった狐の置物を咄嗟に手に取った。

けれど、体は血の気が引く様な感覚で、力が上手く入らず、手に取った小物を持っているのがやっとだった。

「分かった」と答えたのに——いつからだろう。どうすれば良かったのだろう。と、あまりにも遅すぎる解決方法を永遠と探していた。

探したところで、ダメなところばかりで、一体どうすれば良かったのか、答えは出ない。


彼は静かに自分の部屋へと入っていった。

急に安全な場所から閉め出された様な、どうしようもない不安感が押し寄せた。——でも全部、自分のせいだ。

優しい彼なら、分かってくれるって、許してくれるって何処か、寄りかかっていた。

彼と居る時間が当たり前になり過ぎて、幸せな道がいつもの道に見えていた。安全で、一緒に居ればどこまでも道は続いているように見えた。

けれど、今の私の足元には、崩れ落ちて先には進んで行けない崖のようなものしかなかった。

一人になって、立っていられる場所の狭さに今になって気づいた。

この先の道は、どうやったら現れてくれるのだろう。



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