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「自分らしさの檻」の中で。

「自分らしさ」というのは、
どういうことなんだろう?
ってえのは、たまに、考えたりする。

そんな「自分らしさ」について、たとえば、
1996年にリリースされました
Mr.Childrenの『名もなき詩』という曲では、、

知らぬ間に築いていた自分らしさの檻の中で
もがいているなら
僕だってそうなんだ
【名もなき詩/Mr.Children】

「知らぬ間に築いていた自分らしさの檻」
と歌われていて。

『名もなき詩』のリリースのころ、
ぼくは中学生で、歌詞の意味は
とくに考えずに聴いていたけれども。
それからその後で聴くときには、
「自分らしさの檻」という表現って、
なんだかよいなあと思いながら、そして、
「自分らしさ」って、どういうことか?!
というのも考えるようにもなったんだった。

それでぼくが考えてみたのはさ、
「自分らしさ」イコール「檻」なのだとすれば、
その中に閉じ込められるようにして、つまりは、
『名もなき詩』で歌われるような、
「もがく」という状態にも成るのかなあ。
とも思いながら、でも、これは、
「檻」が地面にくっついているとしたら、
その中で囚われる、みたいな感じになるけれど。
もしも、その「檻」が
地面にくっついていなくって、
取り外し可能だったとしたら?????
つまりはさ、この「檻」を
両手でつかみながら移動できるとすれば、
自分は「檻」の中に居るんだから、ある意味では
「檻」によって自分の身体が守られる、というか。

たとえば、
「檻」の形状が、
鉄格子じゃあなくって布だとすれば、
「檻」とは「衣服」のようでもあり、さらには、
布じゃあなくって皮膚だとすれば、
「檻」とは「人間そのもの」である、
とも考えられるやもしれないか。
そんな「自分らしさ」とも言えるべき、
檻や鉄格子や衣服や皮膚によって、
自分自身の身体が守られているんだろうか。

「自分らしさの檻」とは、
「知らぬ間に築いてい」るものであって。
すでに築かれてしまっている「檻」を、
こわすことも、ありと言えばありだろうけど、
せっかくならば、
すでに築かれているこの「檻」を
なんとか活用できたら。
みたいなことを思っているのよね。

だけどぉー
あるがままの心で生きようと願うから
人はまた傷ついてゆくぅ〜

令和4年5月22日


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