コールセンター

目の前にある電話機のランプが、ずっと赤く点滅しつづけていて、早く電話を取れと言っている。赤いランプの点滅は、このコールセンターに着信した電話で、まだ応対されていないものがあるということの知らせなのだ。
僕はすぐさま着信拒否解除のボタンを押し、「お電話ありがとうございます」と言い、見知らぬ誰かの電話に対して応対を始めなければならない。でも赤く点滅するランプの横に表示された、24という数字を見ると、とても応対する気にはなれず、思わずあたりを見回してしまった。
僕の周りには、電話機から伸びたコードにつながったヘッドセットを頭にはめた人たちが何人もいて、みな、ここにはいない誰かと話をしている。
僕の頭にも、周りの人と同じようにヘッドセットがはまっている。僕の前には電話機と、パソコンが二台あり、座っている椅子から腰を上げてみると、僕と同じように頭にヘッドセットを付け、僕と同じように電話機とパソコン二台を当てがわれた席に着いた人たちが、ずらっと横に並んでいて、その列がずっとこのフロアの端までつづいていっている。このフロア全体でいったいどれくらいの数の人間がいるのだろう。
このフロアは、この町で一、二を争う規模のオフィスビル内にあり、かなり上の階にあるので、窓からはこのコールセンターがある地方都市が見下ろすように見渡せる。
地方都市と言えども100万人が住むと言われている町には、たくさんの数のビルが建ち並んでいて、そのビルのひとつひとつにはいくつもの窓があり、その窓の向こうには人がいて、そのどこからでもこの場所に電話が掛かってくる可能性があるのだと思うと、それだけで気が重くなる。
そのうえ、電話は窓から見えるこの町からだけでなく、数十キロ先にある別の場所からでも、あるいは数千キロ離れている別の場所からでも、番号さえ間違わなければ、この場所につながるのだ。ここの電話番号を知っている人間は、つまりこのコールセンターを運営するインターネットプロバイダーの利用者だから、どんな人間であっても、オペレーターの僕はお客様としてその人間に応対しなければならない。
そんなことを考えて、また目の前の電話機に表示された数字を見ると、数字が24から27に増えている。ちょっと考えごとをしている間に3人新たに電話を掛けてきたのだ。待ち時間も出ていて、5分37秒と表示されている。いちばん先頭の人間は、5分37秒も電話を待っているのだ。5分37秒も待って、わざわざ話したいことはなんだろう。いったい何を言いたいというのだろう。十中八九、クレームに違いない。
いま電話を取れば、そのクレームが僕に向かって爆発のように炸裂する。電話がつながらない間に溜まりつづけたイライラが、何キロも先、あるいは何千キロも先から、僕の元まで瞬時にやってくる。いったい誰がこんなものを作ったのか。どこからでもつながって、話ができるなんて、世の中便利になると思って、作ったのかもしれない。そのときにコールセンターなんてものが将来出来るとは、誰も想像していなかったのかもしれない。
コールセンターに電話を掛けてくる人間のほとんどは、不機嫌だ。ちょっと控え目に言っても、直ぐに不機嫌になる可能性がある人がほとんどだ。そもそも不機嫌になるようなことが起こったから、コールセンターに電話を掛けてきているのだ。
日本中から、不機嫌な人間が集まって来ている。
それをお客様として応対するように言われている。
応対待ちの人数が、32にまで増えている。
目の前のパソコンの画面に、『応対を完了しているオペレーターはデータの投入は後回しにして、応対を開始してください』とメッセージが表示された。
 横のオペレーターのパソコン画面にも、同じメッセージが表示されている。
また、椅子から腰を上げて見ると、縦横ずらっと並んだオペレーターの席にあるパソコンの画面全てに、『応対を完了しているオペレーターはデータの投入は後回しにして、応対を開始してください』とのメッセージが表示されているようだった。オペレーターの席の列は向かい合う形で設置されているので、僕が座っている方向と逆向きの列のパソコン画面はどうなっているか見れないが、同じメッセージが表示されているので間違いないだろう。
メッセージの発信元は事務室にいる社員のPCになっている。このコールセンターの入り口を入ってすぐそこに事務室があって、そこに派遣社員として雇われている僕らオペレーターとは違う正社員が、このコールセンターのセンター長を含めて五人だけいて、僕らオペレーターを管理している。
こんなメッセージを飛ばされたら、応対完了から時間の経っているオペレーターは、嫌でも電話を取らなくてはならない。下手をしたら呼び出されてしまう。派遣元そのものにも迷惑が掛かるかもしれない。
僕は一瞬、また以前のように、深夜のコンビニでアルバイトとして働いている自分を思い浮かべた。誰も来ない真夜中の4時に、バフと呼ばれる床を磨く器械を動かしている自分の姿を。
僕しかいないのに、店には有線が入っていて、スピッツの『楓』という曲が流れてきて、「人と同じような幸せを信じていたのに」という歌詞を聴いたときの、あのときの気持ちを思い出す。
電話を取らなければ、でもクレームで二時間コースになったら応対件数のノルマをこなせなくなる、でも取らなければ、でも取ったらおそらくクレームだ、怒鳴られて、詰られて、僕に決定権などないことで、どうすんだ、どう責任を取るんだとか言われつづけるんだ、パワハラじゃあないか、なんで金さえ払っていたら、暴言や暴力的な態度で逆らえない相手を威嚇してもいいと思うんだろう、と考えていたら、電話の応対待ち人数が減っていた。
僕と同じように、応対が終わって様子見をしていた人たちがたくさんいたらしく、メッセージを飛ばされ、最初に諦めた誰かが電話を取ると、次々と電話が取られ、応対待ちの人数が減ったのだろう。
でも、それでも、十数件の応対待ち電話があると表示されている。
『応対を完了しているオペレーターはデータの投入は後回しにして、応対を開始してください』とのメッセージがまた飛んできた。
 そんなに電話の積滞を無くしたいんなら、自分も電話を取ったらどうだ、と思う。そもそも電話の積滞が起きているということは、自分が今日の入電数の予測を誤ったということじゃないのか。それなのに自分は電話は取らない。たとえどれだけ手が空いていたとしても、正社員は電話を取らない。
 オペレーターの仕事は辛い。コールセンターのオペレーターは、常にハラスメントの恐怖に怯えて仕事をしている。電話越しに暴言や暴力的な態度を取られるような目に遭うことは避けられない。コールセンターで電話を取るということは、ハラスメントという弾丸が一発入ったリボルバーをこめかみにあてて、一日八時間のうち、十数回は引き金を引きつづける日々を過ごして行くということだ。だからみんな電話が取れなくなり辞めていく。
50人いた同期のうち、半年経たないうちに半分が辞め、1年経ったら10人ぐらいしか残っておらず、3年経ったいまでは5人しかいない。事務室にいる社員は、3年前から同じメンバーで、誰も辞めずに働いている。誰も電話を取ることはない。そもそもコールセンターに電話が掛かってくる原因を作った人間、インターネットサービスプロバイダーの本社の人間は、誰も電話を取らない。問題や不具合やクレームの原因を作った人間はその責任を取っているのだろうか。代わりに僕らに電話を取らせながら。
まだ応対待ちの件数が0になってない。
もう僕はかなり長時間電話を取っていない。このままでは社員じゃなくとも、応対状況をときどきモニタリングしているSⅤ(スーパーバイザー)には呼び出されてしまう。僕はまた、深夜のコンビニに戻ってバフで床を磨いてる自分の姿を思い浮かべてしまった。
僕は意を決して電話機の着信拒否解除ボタンを押した。でも電話がつながった途端嫌な予感がした。
クレームの電話だった。ハードなクレームの電話だった。2時間コースだった。僕は顔をゆがめて電話の応対をしながら、ふっと、いつまで電話を取っていなければならないんだろう、と思った。
インターネットがなくならない限りは、電話はここにつながりつづける。電話を取らないと、何してんだと言われる。電話を取っても、今度は電話の向こうから何してんだと言われる。僕は謝りつづける。明日も明後日も明々後日も。どうしたら、電話かインターネットがなくなるんだろう。ジャンボジェット機でこのビルに突っ込んだらなくなるだろうか。いやそんな多くの人に恨まれるようなことまでしても、電話もインターネットもなくなりはしない。

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