世界は僕らの顔をしていない
ネットで、うつ病、仕事、採用などとキーワードを入れて検索してみると、僕のようなうつ病歴のある人間を会社に採用しない方法や、職場から自主退職にして追い出すための方法を、社労士や弁護士が企業の人事担当者に対してアドバイスしているサイトが出てきた。
「法的に何の問題もなく、こちらに非はないのですから、わかってもらいましょう」というコメントが書かれていた。
パソコンの画面から目を離して、僕はアパートの二階にある。自分の部屋の壁や天井を見回した。もう僕を守ってくれるものは、この壁や天井だけかもしれない。狭いワンルームのアパートの一室。僕が居られる場所はここしかない。潜伏しているようなものかもしれない。僕はいつまでここに隠れて居ることができるのだろう。家賃が払えなくなれば、ここにいることもできなくなる。うつ病になった途端、世界はそう変わってしまった。
僕は職場のコールセンターに、医者の診断書と共に休職を願い出て、それは許可されたが、休職がはじまって一週間経つか経たないうちに、派遣会社の担当者から電話が掛かってきた。
派遣会社からコールセンターに派遣されているものの契約を、君のせいで来年度の更新時にはすべて打ち切ると言われている、という内容の電話だった。
僕の半年の休職期間は、半月も経たないうちに終わってしまった。本人からの復帰させてください、という強い申し出と、見事な努力によって、それは自主的に短縮された、ということになった。
もう頑張るしか方法がない。
でも、どんなに頑張っても月に十四、五日が限界だった。行けたとしても、他の人と同じように電話が取れるわけでもない。
しばらく経って、僕は部長に呼び出された。コールセンターの親会社であある通信事業大手の、関西支社から出向してきたという新しい部長が、面接をするから別室に来るように言っていると、SVが僕を呼びに来たのだった。
来るように言われた部屋、これまで僕がいちども入ったことのない部屋の扉をノックし開けると、ソファーに男が一人腰掛けていた。見たことのない男で、おそらく新しい部長のようだった。テーブルを挟む形でふたつ置いてあるソファーの、部長が掛けてない向こう側のひとつに、僕は座るように言われた。
親会社から出向してきた部長なのだから当然なのかもしれないが、自分は優秀な人間だ、と自負しているような感じが漂っている。自分の立場とポジションを示すかのように、それに見合ったスーツと腕時計を身に付けている。京大や阪大、少なくとも同志社、あるいは東京の六大学ぐらいを卒業している。そのような人間になるようにお金をかけられ、教育されてきた人間。きっと僕のように寄り道もせず、現役で大学に合格し、新卒で入社し、ここまで最短距離できた人なのだろう。
「体調不良で体の調子がおもわしくないようだが、ここ数日調子はどうだね」と僕は訊かれた。
「はい大丈夫です、良くなってきていると思います」と答えた僕を、親会社からやってきたという男はじっと見つめた。
松山で、カスタマーサービスの一部門を請け負う系列企業が、働いていた一人のオペレーターによって訴えられている、ということを、新聞にもテレビのニュースにも報道されてはいないが(替わりにアイドルが出ているCMはよく掲載され放送されている)、僕はネットの匿名掲示板などで知っていた。
そしていま目の前にいる新しい部長が、突然親会社から出向してきたことを知っている。
テーブルの上にノートパソコンとバインダーがあって、ノートパソコンの画面に僕の情報でも表示されているのか、もういちど一通り確認するようにそれを見た。
彼は僕のことを知らない。僕と彼は初対面で、これまで口を利いたこともない。事務室にいる他の社員とも、僕はこれまで直接口を利いたことはほとんどない。
彼らにとっては、基本僕は電話を取るために配置されている数の一つでしかない。僕だと示されているデータが無ければ、別の人物の名前を名乗っても、普通は気づきはしない(今はうつ病持ちのオペレーターとしてマークされてしまったので、名前ぐらい憶えられているかもしれないが)。本来なら僕がどういう人間なのか、どういう家族がいて、今日までどういう毎日を過ごして来たのか、彼は知らない。知るつもりもない。
インターネットプロバイダーの事業が滞りなく運営されるために、ただ数字として処理されている。僕には4678番という番号が付けられているが、いままでいったい何人の人間が仕事をつづけられなくなってここを辞め、またどれぐらいの人間が僕のような状態になってここを追い出されたのだろう。それが仕事だ、と言うだろうか。
目の前にいる、コールセンターの新しい部長になった人間は、パソコンの画面から視線を外し、しばらくの間自分の足下を見た。
僕も視線をそちらに向けると、彼がイギリスかフランスかアメリカの、よく磨かれた高級靴を履いているのが見えた。
もう一度彼は僕の顔を見る。
そして彼はテーブルの上のノートパソコンの画面が僕にも見えるように位置をずらし、僕の電話応対を録音したという音声ファイルを再生した。
自分の声を自分で聴くのはへんな感じだ。へんな感じがする。
僕のようだが、僕によく似た、でもどこか違う感じの人間が電話で話しているような気がする。だが君は他人から見ればこういうヤツなのだと言われている。
「直接会っていると感じないが、電話だと物腰は柔らかいのだが、何か人を不愉快にさせる響きがあるな」と彼は言った。
そう言われて、僕はどう答えればいいのだろう。
「人は言葉にはしなくとも、実際にはたくさんのことを感じ取っている。君はそのことに注意しなければならないな」と彼は言い、バインダーから紙を取り出して、それを僕に手渡した。
僕が手渡された紙に目を通そうとすると、
「しかし君の応対は丁寧で親切だな、間違った応対はしていない」と付け足すように言った。
紙を見ると、僕のここ最近の応対件数が、他のオペレーターの半分にも届いていないことが示されている。
「それを見てどう思う」
「努力が足りないと思います」と僕は答えた。自分は体調が悪いから、と言い出し難い雰囲気があった。
「君の言う通り、努力は必要だな。毎日は努力の連続だとも言える。いま君がここにいるのも、努力の結果だ」と言って、彼は僕の方を見た。
「面接や研修を通して、合格とされた者だけが、オペレーターとして採用されている。いまここにいる君は、合格したわけだ。しかし逆に、研修の途中から姿を見なくなった者もいたはずだ。最終的に残るのは、やはり大学を卒業しているものが殆どだ。実際面接も研修も、それほど難しいものではない。しかし何割かは、それにさえ落ちている」
僕は一緒に研修を受けた人たちのことを思い出した。
ごく簡単なインターネットの概念や、初歩の初歩的なTCP/IPの講義があり、その講義のあとか次の日に、復習テストがあるという日が何日かつづいたときがあった。はじめの日から、いちばん前の席に座って、熱心にノートを取る男性がいた。高校を卒業してからずっと、携帯を組み立てる工場で働いていて、その状態から抜け出したいのだ、と言っていた人だった。しかし復習テストでは、彼は五十点も取れていないようだった。八十点以下は不合格のテストなのだ。ろくに勉強もせず、Fランクと呼ばれる大学に行った僕でも、100点とまでは言わないが、90点以下を取る方が難しい簡単なテストだった。一日目も二日目も、彼はもう明日から来なくていいと言われているようだった。
「お願いします。死ぬ気でやります。一生懸命努力しますから」と彼は研修の責任者に必死に頭を下げていた。
しかし三日目のテストでも彼は合格点を取れてはいないようだった。その日の研修がすべて終了して帰るときに、研修所の出入口あたりに彼と研修の責任者がいて、何事かを話しているのが見えた。彼は突然責任者に向かって土下座をした。
「お願いします。死ぬ気でやります。一生懸命努力しますから」という声が聞こえた。僕はその横を通って外に出た。次の日、彼は研修所にはいなかった。
他にも、研修の途中でいなくなった人たちのことが何人か頭に浮かんだ。
「君の努力のサポートは当然するつもりだ」と目の前の男は言っている。
しかし僕は、以前医者の診断書を提出して休職しようとしたが、休職すれば、そちらの会社から派遣している者の契約は総て打ち切る、と言われたことを知っている。
「ありがとうございます」
「しかしものには限度がある。体調不良で他と同じように働けないというのは、それは君の問題であって、こちら側の問題ではない」
研修の最終段階、一ヶ月の試用期間も終了した時点で、ここでは働けません、と言って来なくなったシングルマザーの人がいた。
「時給が高くて勤めたかったけど、毎日電話を取ると人に酷いことを言われて、それがこれからずっとつづくと思うと……ここ何日か、ささいなことで子どもにあたってしまいそうな自分がいて」と彼女は言っていた。
研修を終えて同じ日から働き始めた人間で、今も残っているのは。あのときの人数の一割にも満たない。僕以外は全員SVになっている。以前何かの経済紙でホワイト企業ランキングというのがあり、このコールセンターの親会社である通信事業大手の企業は上位にランクされていた。
「ここにいるのだから君も最低限の努力はしてきたのだろう。しかし、入った者の中にも優劣がある。その場所で苦に感じなくなるぐらいの能力を身に付けるための努力が必要だ。努力の質は変わっていく。どういう努力が必要なのか」
僕と同期だったSVたちは、一緒に働き始めたときとはどこか人が変わってしまった。今ではここの社員となにか似た感じにもなっている。
「身に付かないのなら、どうするのかは、考えるべきだろう」
しばらく黙っている僕に向かって言った。
「ひとつの考えだが、あきらめも肝心だ。仕事はいくらでもある。人には参加できる平等があるというだけだ。試験やレース、誰でもそれらに参加する権利はある。しかし、自分がどういう位置にいて、どういう努力をするべきなのか、どうすれば効率的か。それを考えなければ、ずっと受からない試験を受けつづけて終わるような人生になる。本来試験やレースとは、それに受かって、その先があるもののためにある」と言って、彼は黙った。
そしてその後、「もちろん、もうこれ以上猶予は与えられないが、君には上手く行ってほしいと思っている」と彼は言った。
「君が正しい選択をすることを祈っている」と言った。
僕は黙っていた。彼は学生や子どもに言うようなやさしい口調で、
「苦しいと感じることも無い場所に行けば、自分はダメだという思いにとらわれることもない。余裕を持って他人に接し、自分に自信を持って生きて行くことができる」と言ったあと、僕に部屋から退出するように求めた。