【氷河期三郎のコンビニダイヤリー/第2回】初日

夜中のシフトの募集に僕は申し込んだのに、はじめのうちは夕方からはじまる時間のシフトで働くことになった。そこで基本的な仕事を覚えて欲しい、と言われたのだった。これから仕事を教えてもらうという、バイトの先輩は、まだ17、8ぐらいの、男子高校生かな、という感じの子だった。
10も年下か、これが社会のレールから外れた人間が通るという、年下の先輩というやつだ、と僕は思った。僕が20歳の時この子は10歳、小4?と思いながら、氷河期(ひょうがき)と申します、よろしくお願いします、と僕は頭を下げた。
「あ、よろしくお願いします」
と言って、感じのいい声で挨拶を返された。だが彼は、なぜか彼は、僕の方を見ようとはしなかった。最近の高校生ってこんな感じなのだろうか?なぜ僕の方を見ようとはしないのだろう。僕はこれまで27年の人生で、いつの間にか嫌われていたことも何回かあったので、実はもうこの数秒のうちに嫌われているのかもしれない。僕は何かキショい、ビクビクしている、と言われたこともある。僕は人の目線やほんの一瞬の表情が気になってしまう。

紹介されたときには横にいた、どこから見ても禿げて腹の出た中年男である店長は、じゃあわしは後ろに行くから、と言ってバックヤードに入っていった。僕の方を見ないで、ただいい声色だけで何となく挨拶しただけの若者、10も年下の先輩は、何か訊ねたりすれば仕事を教えてくれたが、こちらを見ないというか、目を合わせないというか、お互いの間には透明な、見えない壁があるような感じがする。ただ何時間か一緒に働くことになって、同じ場所にいる者同士、という関係だが、それ以上は完全に見えないシャッターを下ろして、それ以上中には入って来させない、という感じだった。それが最近の若者の流儀なのだろうか。
「渡辺さんは(年下の先輩の胸には渡辺という名札が付いている)、ここで働いてどのくらいになるんですか」
「そんなに長くないですね」
「僕はこの時間でどれぐらい働いてから深夜のシフトに入るんでしょう」
「知らないです」
終始このような感じで、相手にそんな気はないのかもしれないが、会話がつづかないようにされてしまうのだった。
僕は禿げて腹の出た店長に、仕事はこの年下の先輩に習ってくれ、と言われたのだけど、レジ打ちの方法とかは教えてくれて、仕事は覚えられそうだけど、ずっとこの感じだと何だかつらいな、と思った。仕事が一段落して客も店内にいない二人っきりの時など、何だか間が持たなくてそわそわしてくる。

一通り仕事の段取りを習い終わって、僕はカウンターに立っている。あらためて店内を見回した。番号で分けられて、メンソールだとかライトだとか、憶えられそうにない何種類もあるタバコ。少し時期が早いと思うが、もう提供し始められているおでん。カウンターの奥にはフライヤーがあって、そこでからあげとかを揚げて、レジ横の場所に切らさないように置いておかなければならない。入口の入ってすぐにはスポーツ紙や競馬新聞などが、それ用の棚に面出しするように置いてあり、宅配便の受付の場所もある。パンもおにぎりも弁当も、ガラスの扉の向こうにはペットボトルが何本も並んでいるのが見える。タンポンだとかひげ剃りだとか、細々とした生活用品も。雑誌なども売っているのが見える。どこにでもあるコンビニの店だけど、まさか自分がコンビニの店員として働くことになるとは思ってもいなかった。僕は古本屋の店員として歳を重ねて行くはずだったのに。いまはコンビニのカウンターに立っている。立っているカウンターの直ぐ後ろを振り返ってみると、棚に、本当にこれを買うやつがいるのか、という贈答用の菓子詰め合わせセットの箱が置いてある。貰っても嬉しくない安っぽいやつだ。お前のこと大事にしてませんよ、と言われているような。渡辺という名らしい(そう名札に書いてあるのだから)年下の先輩は、カゴを持った客がやってきたので、レジに入って会計をし始めた。

僕は27歳の日々の何時間かを、この店にやって来て、働きながら過ごすかわりに、金を貰う。隣には、17か18の毎日の何時間かを、ここで働きながら過ごしている、渡辺という若者がいる。ただ同じ場所で一緒に働いているだけで、おそらく別段親しくもなりはしない。どちらかがバイトを辞めてしまえば、もう二度と会うこともない人なのだ。

そんなどうでもいい間柄なのに親しくしとかないと、と思う僕が、人間関係が苦手ゆえの意識過剰がある。

僕の方が、どうでもいい関係なのに、妙に距離を詰めようとして、親しくしようと、バカ丁寧に、まるで西川きよしのように、距離を詰めて行っても。そういう感じが、僕にはあるよな、そこが嫌われるんだよと、僕はそうなんだよと。

西川きよしでございます、妻はヘレンと申します、どうぞよろしくお願いいたします。子どもは三人おります、と訊いてもいないのに距離を詰めて来られたら…『西川きよしが転生したらコンビニの店員でした』という話ではないのだ。僕はどうしてこんなやつなんだろう。西川きよしみたいな…

それから僕は出来るだけ淡々と、与えられたコンビニのアルバイト店員という役をこなすゲームをしているかのように動いた。別に仲良くなったり、年下の先輩の家族構成や好きなものを知ったりする必要はないのだ。僕は西川きよし病に掛かっている。こじらせると西川きよし穴に入って出て来れなくなってしまう。

僕は淡々と、自分に似せて作ったキャラを動かすようにして働いた。割り切ってそうすると、ずいぶんと楽だ。

でもなんだろう、ゲームのように意味もなく壁にずっと突進し続けるとか、商品の並んだ店の棚をひっくり返してまわるとか、そうしてる自分を一瞬思い浮かべてしまうというのは。しかしゲームじゃないからそんなことは出来ない。

17、8の渡辺という人は、いかにもコンビニの店員です、という感じで働いていた。僕もそうやって働いた。

しかし次の日、同じ時間に店にやってくると、渡辺という年下の先輩はいなかった。今日も一緒に働くはずなのに来ていない。バックヤードでは首から上を真っ赤にした店長が電話で何事かを話していた。無茶苦茶怒ってるみたいだが、禿げた頭が真っ赤になって、まるでタコみたいに見える。
「ふざけるなよすぐ持ってこいよ」
「用事があるってそんな問題じゃあないだろう」
「金がないんで月末にならないと払えないってどいう事だ」
「もういい、親御さんの電話番号を教えろ」
などと電話の向こうに怒鳴っている。

あとで話を聞くと、渡辺先輩は昨日レジの金を盗んだらしい。昨日だけではなく、合計2万程抜いていたらしく、レジの金が時々合わないので防犯カメラで確認していたら、昨日盗んでいるところが映っており、どういうつもりだと電話をしたら、途中で電話を切られ、それ以後電話が繋がらなくなり、警察に言うとメールをしたらまた電話が繋がるようになったが、当然バイトの時間になっても店にはやって来なくて、店長が電話で渡辺先輩と話して?いるところに僕がやってきた、ということのようだった。ついでに渡辺先輩は高校生ではなく、近くにある専門学校の学生らしかった。

店長が怒り塗れで語ったところによると、あくまでちょっと借りただけで、テスト前なので金を返しに行くのはもう数日待って欲しいと言ったらしく、何がテストだ明日返しに来いと言ったら、明日はデートがあるので行けないと言い、話にならないから親の電話番号を教えろと言うと、親とは関係ないことだ、と言い出して、いいから親の電話番号を教えろと言うと、また電話を切られた。何度か電話を掛けるとつながって、今月の、今日までのバイト代で相殺できるのではないですか、と言い出し、レジから金を抜いたことは別として、働いた分だけのバイト代を貰う権利はあるはずだから、ちょうど同じぐらいの、いやバイト代の方が多い金額なので、それが相殺というのはそちらの利益となることを言っているんですよ、とまで言っているようだった。

警察に被害届を出せばいいのに、と僕は思ったのだけど、店長はまだ若い彼には将来があるから、警察沙汰にするには忍びないから、と自分に言い聞かせるように言っている。

シフトのバイト(渡辺、店の金を盗んだバイト)が来なかったので、代わりに働くことになった店長から、一緒に働きながら僕はこの話を(聞きたくもないのに)聞かされたのだけど、僕に話を聞いて貰って少しは気が落ち着いたのか、まだ働いて二日目なのだけど、店長は勝手に僕をこの店で働くバイトの一員として認めてくれたようだった。

自分に言い聞かせていても渡辺のことを時々思い出すのか、ええいクソ、あのクソ野郎、と店長は突然吐き捨てるように言ったりするので、まだ入ったばかりでひとりで仕事を出来ない僕はすごく気を使いながら働かなくてはならなかった。

バックヤードの床で寝ているぐらいなので、店の経営は順調ではなく、それなのに金をパクるバイトがいて、死活問題なので頭に来るのは当然だと思うのだが、僕に一通り話したあとも、僕の近くでコンビニの制服を着たおっさん(店長)は何かブツブツ言っていて、突然悪態をついたりもするので、僕は気の休まる暇がなかった。

辞めたいなこの店、と僕は思って、あらためてカウンターから店内を眺めると、窓から夕陽のさす店の中はなぜだかすごくきれいで輝いているように見えた。店の外を見ると、通りを路面電車や、車や、学校帰りの自転車に乗った学生などが行きかっていた。僕はいったい大丈夫なのだろうか。


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