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【夏休みの宿題】人権作文を書いてみた!

 私の住んでいる市において、中学生は全員夏休みの宿題として人権作文を400字詰め原稿用紙5枚以内で書かなければいけません。自分自身が学生のときも提出していたので40年以上は続いている恒例の宿題となっています。今回、元教師というレッテルを捨て、生徒の気持ちになって人権作文を書いてみたいと思います。

タイトル『人権作文で人権を考える』

 毎年夏休みにこの人権作文を書いていますが、書くたびに疑問に思うことがあります。僕たちには
人権作文を書かないという選択肢を選ぶ権利がないのか」と。
もちろん人権について考えることは大切であることはわかっていますが、それが夏休みに人権作文を書かなければならない理由にはなりません。そこで、人権作文を書かないという選択権の正当性を主張したいと思います。

その1「夏休みの権利は中学生にあり!?」

 夏休みというのは、高温多湿の環境において座学が効果的でないという理由から休業日と設定されているのであり、さらにその夏休みを利用して、普段では体験できないことに挑戦する余裕を持たせるための期間であるはずです。
 そんな学校を休む権利のある夏休みにおいて人権作文を全員書かなければならないという強制は、上記の内容に矛盾しており、僕たちの人権侵害にはならないのでしょうか。特に夏休みは中学3年生にとって高校受験を控える大事な時期です。人権作文にとられる時間を勉強にまわしたいと考える生徒は多いはずです。人権作文を書いても僕たちの進路保障にはなりませんから、どちらの優先順位が高いか一目瞭然です。
 また、先生たちや多くの社会人は夏季休暇を権利として取得しています。その休暇中に何をするかは各個人の権利ですから、周囲から何かを強制することはできません。大人たちが自由に夏季休暇を取ることができるのであれば、僕たちが夏休みという権利を主張して「人権作文を書かない」という選択をしてもいいのではないでしょうか。

その2「人権作文を提出しない理由」

 人権作文を

 ・自分の自由意志で書かない
 ・自分の意見を言葉にするのが苦手だから書けない
 ・自分の意見はあるが、人に知られたくない
 ・人権について学ぶ機会がそんなになかったのであまり考えることができ
  なかった(文章量が足りない)
 ・正式に人権作文の書き方指導をされたことがないので書き方がわからな
  い

などの理由があったとしても、夏休み明けに提出しなければ、学校の先生に「提出しなさい」と強要されます(学校の先生も別のところから強要されているのかもしれませんが…)。人の幸せを守る権利を考えるために強要という窮屈さを生み出す人権作文は、書けない生徒にとって大きな障害になっています。文章が書けない生徒の権利をどのように保障するのかという観点がなく、特に上記3つ目の理由は、プライバシーに関する権利に抵触する恐れがあるため、人権作文の全員強制は大いに矛盾を生じてしまうでしょう。

その3「優劣」

 人権作文を書いて提出したとしても、全員の作文が選ばれるとは限りません。なぜならば、人権作文コンクールだからです。
「すべての人が生命と自由を確保し、幸福を追求する権利」について考え、表現した作文に優劣をつけるコンクールに矛盾を感じます。大多数の日の目を見ることのない作文の中から選出され、内閣総理大臣賞などを受賞するコンクールが正当であるならば、ボツとなった大多数の意見は劣ったものと判断されていることになります。そして選出する際、審査員の意向で優劣を決めるので、作文の意見ではなく主催者の意見に成り下がってしまう可能性が高いと思われます。さらに、表彰状や冊子掲載などがあるので、入選作文は公費を使って評価されることになります。大多数の作文は0円の価値、入選作品は栄誉と公費による対価が支払われることに違和感を感じます。
 どんな意見であれ、一人ひとりそれぞれ真剣に考えた主張に優劣はなく、それぞれを尊重しようとする姿勢を育むことが人権感覚を養うことになるのではないのでしょうか。

その4「人権作文の目的」

 人権作文を書く趣旨は「人権尊重の重要性、必要性についての理解を深めるとともに、豊かな人権感覚を身につけること」と法務省の実施要領に書いています。であるならば、この人権作文の実施によって、学校のいじめ問題や差別問題などに対してどのような影響があったのかを調査する必要があるのではないでしょうか。税金という公費を用いた活動であるのでその義務があると思われますが、そのような調査は聞いたことがありません。もし影響が少ない、または相関関係が認められないのであれば、別のアプローチを考え、真剣に人権問題に対して公費を投入するべきだと考えます。

【結論】夏休みの人権作文

 以上のことから、夏休みに人権作文を書くことを全員に強制すると矛盾が起こってしまいます。選択制にすれば、夏休みの権利も守れますし、表彰に関しても自分の意志で応募するので問題ありません。だから、夏休みにおける人権作文について書きたい人は書く、応募したい人は応募できる権利を残しつつ、書きたくない人は書かなくていいという権利を選択できるようにすることが、僕たち中学生の人権尊重になると考えます。

現実に戻って

 教員時代、人権作文を提出できない生徒に対して強要していながらも、上記作文のようなことを考え「夏休みなのに気の毒だな」と感じていました。大っぴらには言えませんでしたが、提出できそうにない生徒たちには、がんばって書いてきた生徒がいる手前、提出しなくていいとは言えないので、とりあえず何でもいい、同じことの繰り返しでいいから書いて提出しようとアドバイスしていました。生徒たちも憂鬱だったと思いますが、同じぐらい矛盾を抱えながら指導する私も憂鬱でした。教師になっても9月1日、宿題ができていない夢を見て飛び起きてしまうほどに…
 人権について考えることは大切ですが、それを強要するのは間違っています。こんな人権作文を応募したらどう判断されるんでしょうかね…




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