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学習においてインプットとアウトプットの割合は?

若き日の私の授業

私は中学教員になった当初、数学を教えるとき、
なるべく多くの生徒たちが理解できることを目標に努力を重ねてきました。

・教材の研究
・学習内容の系統性を考えた授業構成
・説明の仕方(話術)
・言葉の選び方、たとえ話
・黒板のまとめ方
・ノートのまとめ方

など、試行錯誤を繰り返し、
授業中、わかるまで、納得するまで説明することを心がけていました。

その結果、私の授業スキルはどんどん洗練されていき、
生徒たちからは
「わかりやすい」
という感想が増え、
授業中50分間の満足度を向上させることができるようになりました。

しかし、その反面、生徒たちに
高校入試などに対応する実用的な力
身につけさせているという手ごたえはあまり感じず、

(わかりやすくなったはずなのに、なぜ成果に現れないのか)

と長年悩み続けることになりました。

実際のところ、丁寧に説明していたので、
授業中、わかる生徒は増えていきましたが、

翌日以降の授業では、すっかり忘れてしまっていたり
授業で習った形式の問題しか対応できなかったり

というように、なかなか思ったように
学力を身につけさせることができませんでした。

インプットとアウトプット

そんな状況が続く中、
脳科学や心理学などによる学習に関するエビデンスを
独学していくことによって、ようやくその原因がわかりました。

「わかりやすさ」を目指していた私の授業は、
正確に知識を伝えたいがため、
私の説明の時間が授業全体の8割~9割以上を占めていました。
(ほぼ私がしゃべっている状態)

その間、
生徒たちはノートを写したり、
説明を聞いたりするだけなので、
インプットの学習活動しかしていないことになります。

生徒たちにとって

学習した知識を活用(アウトプット)する機会が圧倒的に少ない授業

なのだから、実践力が育つはずがなく、
学力が向上しにくい原因としては当然のことなんですが、

良かれと思って
丁寧に説明することにこだわっていた私は
そのことになかなか気づくことができませんでした。
(何らかのバイアスにかかっていたのでしょう…)

脳はインプットよりアウトプットを重視する

というエビデンスを知ることで、ようやく目から鱗が落ちたようです。

※「わかりやすさ」を目指す授業研究を批判しているわけではありません。
  わかりやすさを追究することで教師のスキルアップが見込めるため、
  これも必要な観点です。
  ただ、私のようにインプット中心の授業になってしまうと、
  生徒たちの学力に還元しにくくなるということです。

学習におけるインプットとアウトプットの割合

ただし、授業のすべてを

アウトプット型(発表する、説明する、問題を解くなど)

するのは難しく、
特に新しい知識を学習する際は

インプット型(聞く、ノートに写すなど)の授業が

ある程度必要になってくるので、
インプットの学習活動を「0」にすることはできません。

そこで、授業において
インプットとアウトプットの割合
どのように設定すれば効果的なのかを考えました。

『ヘンリーⅤ世』の「聖クリスピンの祭日の演説」を
最短で暗唱できるようになりたいなら、
最初の3分の1の時間を覚えることに使い、
残りの3分の2を暗唱の練習に使えということだ。

ベネディクト・キャリー,2015,『脳が認める勉強法』,ダイヤモンド社

これは暗唱に関する実験結果で、
覚える(インプット)時間暗唱の練習時間(アウトプット)
最善の比率を示しています。
私はこれを受けて、授業形態を次のようにガラッと変えました。

すると、
生徒たちの実践的な数学力がどんどん向上していくことを
実感できるようになりました。
私の説明も今までだったら
一から十まで重箱の隅をつつくように懇切丁寧にしていましたが、

(ある程度わかったら、活用させる)
(その知識を使いながら本人が理解を深めていけばいい)
(困っていたら、そのときにサポートすればいい)

と考えるようになり、

【知識は使いながら理解する】

ことが授業のコンセプトになりました。

だから、
説明もなるべく要点だけにしぼり、生徒たちがわかっていると感じたら、
説明を中断して、すぐに演習問題をさせたり、
また逆に
2、3割程度しか理解していないと感じても
演習問題で活用していけば、そのうちわかってくるはず
というアウトプット中心の考え方にアップデートしていきました。

批判されました…

そんな変革期、私の授業を参観しに来たある先生に

「その説明では、生徒はわからない」

と批判されたことがありました(しかも授業中、生徒の前で…)。

正直、不快感は否めませんでしたが、冷静に

「承知しています。
 知識は使いながら理解を深めることをねらいとしています。」

「生徒たちもそのねらいを把握しているので混乱していません。」

「そもそも一を聞いて十を知るという顔回のような理解力を
 もつ生徒は少なく、
 大半が 一を聞いて半分、または、一を知る程度です。
 先生はたった一度の説明で生徒たちが理解できると考えているのですか。  
 それほど素晴らしい説明ができるなら、ぜひ一度お聞かせ願いたい。」

と反論したところ、沈黙されてしまいました。
雄弁は銀、沈黙は金なので、私は負けてしまいましたが、
挫けずアウトプット中心の授業を研鑽し続けました。

こんな経験ありませんか?

学芸会や文化祭などの劇でセリフを覚えるとき、
完全に覚えてから練習するより、

ある程度覚えたら
相手役を誰かにしてもらって練習しながら覚えたほうが
効率が良かったという経験はないでしょうか?

また、
好きなアーティストの曲を

聞く(インプット)だけよりも、
口ずさんだり、心の中で一緒に歌ったり(アウトプット)したほうが、

リズムや音程、歌詞をすぐに覚えられるのではないでしょうか?

学習も同じで、完全にはわからなかったとしても、
とりあえずやってみること
アウトプットしてみること
が重要です。

アウトプットすればするほど
知識は使える知識に進化するので、
覚える作業に3割程度の時間を使ったら、
残りすべての時間は、活用することに費やすほうが効果的なんです。

そう信じた私は、
最終的に授業時間の大半、8割以上がアウトプット型になってしまいました…
過ぎたるは猶及ばざるが如し
と言われますが、実感的にアウトプットは最強です。

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