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カモシカがいる森が与えてくれたわたしの習慣

こちらに引っ越して初めてカモシカを見たのは、夫の運転する車に乗っていたある日の夕方でした。
大きな塊が視界に入り、ギョッとしているわたしをよそに、その塊は道路を横切り茂みに入っていきました。

「あ、カモシカ!」

と夫が言ったことで、それがカモシカだと察しました。
シカっていうくせに丸い。なんか黒かったし、どちらかと言えば足の長い猪みたいな。

そのときのわたしは、野生動物がうろちょろしていることにいちいち驚くくらいにはこの町に慣れていなかったので、とにかく感動しました。

家に帰ってカモシカを調べると、シカの仲間ではなくてウシ科であることが分かり、シカとは似ても似つかないあのフォルムの謎が解けました。


その次に見たのは近所を散歩中の昼間。
なんか視線を感じる……と思った先にカモシカがいました。
まさかのカモシカと対峙。その距離20mくらい。
散歩中なのでわたしは丸腰。散歩じゃなかったら丸腰じゃないのかと言われたらまあそうじゃないけれど、だってバッグも何にも持っていないし剥き出しだし。言わば裸みたいなもんだし。
前回は鉄板で覆われた車の中だったので感じなかった、恐怖みたいなものが湧き上がりました。
ゴツゴツしていて骨張っている感じ。それに遠くから見てもわかるゴワゴワした毛並み。
野良猫がチョロチョロ歩いているのとは訳が違います。デカい。

でもあっという間にそいつはまたもや茂みへ去っていき、ほんの数秒の対峙だったけどとにかくドキドキしたのを覚えています。


そして3度目は近所の森にセットしているトレイルカメラ越し。

悲しかったのは、このカモシカが足を怪我していたこと。
おそらく害獣駆除のために仕掛けられた罠に引っかかったのでは?と推測しています。
カモシカは天然記念物。彼らを傷つけることは許されません。
ただ、民家がある森での害獣駆除が難しいのはわかります。
わかるけど……。
あまりにもずさんだと感じるのは、わたしが甘いのでしょうか。

話が逸れましたが、この頃にはもう、この町で暮らすということは、カモシカをはじめとする野生動物と共存することなんだと自覚していました。

近くにいるとわかると、やっぱり写真に撮ってみたくなる。
肉眼でももっと見てみたくなる。
でも欲を出すとまったく出会えない。
まるで恋愛のような駆け引きを経て、とうとうわたしたちはその日を迎えることになりました。


それは今年最初の登山、サクッと登れる東篭ノ塔山に登った帰り道。
助手席からぼんやり森を眺めていたわたしの目に、あの黒い塊が入って来ました。

わたしの「ストーップ!」の声にビックリした夫が車を停め、ふたりで黒い塊のほうを見ると、そこにはやっぱりカモシカがいました。
これまでと違ったのは、じっとこちらを見つめ返してきたこと。

逃げる素振りを見せなかったので、夫が車を降り、カメラを取り出し…そのあいだもカモシカはこちらをただただ見つめています。

無心でシャッターを切る夫。
肉眼で見ているわたしの目にもはっきりそのディテールがわかるくらいの距離。

よ、ようやく撮れた!!


まるいおしり……きゃわ……

どのくらい撮っていたか。
たぶん2、3分は撮っていたと思います。
そのあいだ微動だにせず、ただただこちらをじっと見つめていたカモシカ。わたしたちがこれまで見てきた、人間に近い森に生息するカモシカとは様子がずいぶん違いました。
ここにいるのは毛並みもよく艶もあり、ころころと肉付きがいい、健康そうなカモシカ。
信じられないくらいかわいくて、撮った写真を何度も見返しました。
同時に、近所で見たカモシカたちがあまり元気ではなかったことを確信して、その現実にやるせない気持ちでいっぱいになったのです。


森の中で森の主に会うと、ヒィッと息が止まるような感覚になります。
最初はビックリしただけだったけど、それが少しずつ変わっていって、今は彼らの住むテリトリーに、こちらが土足でお邪魔しているという申し訳なさみたいなものが先に来るようになりました。
彼らからしてみれば、私たちは言わば不法侵入者以外の何者でもない。

目で見えなくても、トレイルカメラにたくさん映る動物たちの存在を知ってしまった今は、森の中を歩くときはいつも、見えないどこかで彼らがいることを意識するようになりました。

今日もおじゃましますね。
ここを歩かせてもらって、ありがとう。
そう思うことが、習慣のようになりました。

山に入るときは謙虚でいなければ。
我が物顔で人間が歩くなんて言語道断。
そんな思いを持ちながら、今日も森のそばで暮らしています。

最後まで読んでいただきありがとうございます。よければまた、遊びに来てください。