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不登校と新入学〜『我慢すること』をやめた中1の息子の話〜

久々に不登校記事を書きます。

いや、もっと書く予定のものはあったんです。
「不登校 気づかぬ内に誰かの役に立っていた話」
「不登校と卒業式」
「不登校、子どもがWISC検査を受けてみた話」
「不登校と入学式」などなど…。

でも、上記の出来事が3月から4月の間にいっぺんにやって来て、処理するだけで精一杯の怒涛日々。(子どもが3才差のため、新入学がいっぺんにやってくる殺人的忙しさよ…。)

そんなこんなで記事を書く時間を上手く作れず、卒入学シーズンを逃してしまい、いつの間にやら5月に突入。

時間が経ってしまい『書きたい!』という熱量が薄れてしまい、題名だけ考えて放置、となってます。
気が向いたらまた書くかもしれませんが、最近始めた弓道初心者教室も早4回を終え、こちらも書きたいのにまだ1文字も書いてなくて(笑)

書いた所で1円にもならないんですけどね(笑)
なんか書きたいんです。
ドラえもんの『コピーロボット』が欲しい、今日このごろです。

それでは、本題へ…


*******



【4月から中学生になるけれど…】


4月から中1になった、不登校中の息子。

小3の当時、世間はコロナ禍真っ只中。さらに担任の先生と相性が悪く、3才上の姉が先に不登校になったこともあり、その後仲よく姉弟で不登校に。
五月雨登校を経て、学校に全く行かなくなって丸2年半のガチ不登校勢。

結局、小学校にずっと行かないまま卒業した息子。
中学校も行くかどうかはわからないまま、一応制服(ちゃんとお店に採寸に行った)やリコーダーなどを購入し、入学準備は一応済ませた。

中学校の入学体験にも参加しなかった息子。今後、もし学校に復帰したいと思った時に、全く行ったことのない場所に行くのはハードルが高すぎるだろうからと、本人と相談の上春休み中に1度、息子と2人で中学校へ出向いた。


【いつでもウェルカムな場所、『フェニックス』】


息子が通う中学校には、支援教室や通級指導教室の他に、学校に来づらい、居づらい子どもがいつでも来れる教室がある。
通称『フェニックス』。その名前には「不死鳥のように、何度でも復活し生まれ変われるように」との願いが込められている。

数年前に学校側からこの場所を立ち上げて欲しいと要請されたのが、この教室の主であるS先生。

教室には5、6人ほどが囲める机のスペース。見られたくなくて1人になりたい生徒のためのパーテーションで囲まれたスペース。奥には畳敷きも。
また、教室には色々なボードゲームやガードゲーム、さらに小さなガスコンロやエアロバイクまで置いてある。これらは全てS先生の私物。

「要請されたのにも関わらず予算がもらえなかったから、家から少しずつ持ち込んでいたらこんな量になっちゃって。異動の時は全部次の学校に持っていきますよ。」と、豪快に笑うS先生。

見た目はキリッとしていて厳しそうに見えるけど、生徒のためならとあちこちいつも走り回っている、愛情深い先生で。(夫は先生を見て「武士っぽい」と言っていた。※ちなみに先生は女性です。しかもいつも仕事やコールレスポンスがめっちゃくちゃ早い。)

娘が卒業する間際には、フェニックスによく来るメンバー(大体5,6人)に少しでも楽しい思い出をと、たこ焼きパーティーやピザパーティーを企画し自腹を切って開催してくれて(校長先生も、見て見ぬふりをしてくれたらしい…w)、その時の記念写真も参加者みんなに配ってくれた。

娘はほとんど教室には行かなかったけれど、フェニックスにはかなりな頻度で通うことが出来た。ここに来れば誰かが相手をしてくれ、話を聞いてくれる。自分のペースで勉強してもいいし、ここに給食だけを食べに来てもいい。(それも、S先生が運んでくれるらしい。)

そんなフェニックスだけしか行けない娘たちを同級生も温かく見守ってくれていて、「さぼっていてずるい」と言うような子は1人もいなかった。
(心の中で思っていた子はいたかもしれないけれど…)
そんな場所が学校にあって、娘は本当に恵まれていたと思う。

【初めての中学校訪問&顔合わせ】


中学校での先生たちとの初顔合わせは、この『フェニックス』で行われた。
制服はどうしても抵抗がある(着るだけでガチガチに緊張する)息子は、いつも着ている「しろたん」のパーカー姿。

娘の入学前にも顔合わせをしたけど、その時は全然勝手がわからなくて一緒に出向むいた夫と2人、ちゃんとしたスーツ姿で行ったけど。今回は私も完全なる普段着。3年でずいぶん図太くなったもんだ。
(娘よ、母の心臓の毛をふさふさにしてくれてありがとうよ。)

顔合わせは、息子と私、娘の担任だったY先生と、新しく赴任してきたらしい先生と、S先生の計5人。

3年生の学年の先生が次の年に1年生の担当に降りてくる、という慣例があるらしく、今年も1年生の担当の先生は恐らく知っている先生になるだろう、という話だったので、この感じで行くとY先生と新しい先生は今年の1年生の担当になったよう。

息子は普段あまりしゃべらない。この日もかなり緊張し、警戒している様子だった。Y先生がかなり気を使いながら、姉が通っていた時の話やゲームの話を振ってくれる。首の上下、左右運動で意志を示す息子。

無理はしなくていい、制服を着るのもキツいなら、ジャージでもいい。教科書も上靴もここに置いておけばいい。勉強も無理に進めたりしない。気が向いたら、来ればいい。

ありとあらゆるハードルを下げに下げ、受け入れ態勢を整えてくれている。本当にめっちゃありがたい。

【校内を見学してみよう】


話の後、先生方が校内を案内してくれることになった。
1年生の教室に来ると、いろんな先生が新学年の準備をされていた。「すいません、クラスをまだ明かせないから…」と、顔見知りの先生が慌てて教室のドアを閉める。あ、机に名前貼ってますもんね…(まだ入学式前で、この時点ではまだクラスと担任は教えてはいけないルール)。

掃除用具を点検して番号を張り替えたりと、すごく忙しそうだった。机の移動なんかは2,3年生の運動部が手伝ってくれているらしい。
そうなんだ。今まで知らなかった~。

トイレ、靴箱、保健室、図書室、音楽室、技術室、家庭科室…順番に各教室を見せてもらう。お~懐かしい感じだなーと感傷に浸る母と、『無』の表情でついてくる息子。カウンセリング室は私も何度かお世話になっていて、『箱庭』が置いてある学校は、実はかなり珍しいらしい。

最後に娘が週一で通っていた『通級指導教室』を見せてもらった。
娘がお世話になっていたのにも関わらず、実は1度も見学したことがなく。
今後お世話になる可能性もあるかも知れないし、ということで、わざわざS先生が職員室まで走って鍵を取ってきてくれた。

中は今までの教室とは少し違う趣。
ソファーがあり、いろんなパズルやフラフープ、バランスボールがある。
整体にあるようなベッドも1台置いてあり、質問すると、通級に通うお子さんは筋力か弱かったり、過度な緊張で力が入り過ぎている場合も多いため、昔はマッサージも行っていたんだとか。

壁を見ると娘の写真が貼ってあり、「箱の中身はなんだろな」をしている場面らしかった。娘は超ビビりの性格。顔がめっちゃ険しい(笑)

Y先生が、「乗ってみる?」と息子にバランスボールを転がしてくれたが、息子はクールに「いや…いいです」と首を振り鮮やかなスルー。
ごめん、まだちょっと距離感近すぎたか~と、苦笑する先生方。

校内を周り終わり、息子がかなり疲れていた様子だったので、今日はこれで失礼します、と学校を後にした。

帰宅後、息子に感想を聞いてみると、とりあえず教室にすぐ入れなくても『フェニックス』みたいな場所があるって知れて、少し安心したと言っていた。Y先生も、合わないということはなさそう。

【入学式は欠席した息子】


迎えた入学式当日。
顔合わせの時にS先生から、体育館に行かなくてもフェニックスでリモート参加も出来ると言われていたものの。
息子は最初から行かない、と言っていたので、入学式終了後に学校に連絡し、書類を取りに行くことにした。

ラッキーなことに、やはり娘の担任のY先生が今年息子の担任だった。

娘も中学校ではずっと不登校で、先生はよく家庭訪問をしてくれていて、息子の状態も知っている。1から現状説明の必要もなく、先生との間にすでに信頼関係も出来ている。それだけで、ものすごく心理的な負担が減った。
恐らく学校側がかなり配慮してくれたんだと思う。

姉弟そろって、手ごわい感じで…。すみません、1年間お世話になりますというと、いえいえ、こちらこそ…と少し苦笑いのY先生。

少し落ち着いたら、S先生と一緒に一度お家にお邪魔したいんですけどいいですか?と聞かれたので帰宅後息子に確認することに。
まぁ、別にいいけど…と息子。

【Y先生&S先生の訪問】


入学式から2週間ほどたった頃、約束通りY先生&S先生が家にやって来た。
先生方を和室へと通し扉を閉める。息子と3人でのお話し会。
娘と違い、基本的に息子は先生との話し合いには母を呼ばない。
親に言いにくいことや言いたくないこともあるだろうし、私も全てを知る必要はないと思っている。

1時間ほどして、お話し会は終了。
先生が持参した学年だよりや各種プリントの説明、日直なんかに使う画用紙の名札を作ったりしたらしい。

さらに、ゴールデンウィーク明けに一度連絡を入れるので、一度放課後学校に来るチャレンジをしてみてはどうか、という話に。
相変わらず『無』の表情の息子。えらくとんとん拍子の話に、意外だなと思いながら、じゃあそういうことで、また来ますねと先生方は帰っていった。

息子はさすがにかなり疲れた様子だった。


【息子の意志を改めて確認する】


その後、もうすぐ家庭訪問でY先生がやって来るとなった、ある日のこと。

息子に、2日にY先生来るけど顔出して話せる?どう?とたずねると。
「やっぱ…無理」と答える息子。

え、でもこの間、放課後チャレンジって言ってたけど、〇〇が希望したんじゃないの?とさらに聞いてみると、「話の流れで…」との答えが。

いやいやいや、ちょっと待て。
「あのね、嫌なら嫌って、はっきり言っていいんやで。気ぃ使って、忖度せんでいいっていうか、逆に先生たち期待しちゃうやんか。そしたらまた結局自分が無理して頑張らなあかん状態になるで。」

「そうなん…?言っていいの?」

「いいって言うか、言わんと伝わらへん。例えば、実は全く行く気がないのに先生たちにその用意をしてもらったら、逆に先生たちその仕事無駄になるやん。それやったら最初からはっきり『行きません』っていうほうがお互いのためじゃないかな、と母は思うよ。
そもそも〇〇はまだ子供やねんから、無理して大人に忖度なんかせんでいいねんで。今は自分の意志を示すことの方が大事と違う?
…で、正直放課後行きたいの?」

「全然、全く行く気ない。そもそも学校に行きたくないって言うか、行こうと思わないし、思えない。話の流れでそうなって、その方が丸く収まるかなって。」

やっぱりそうやったんか…!!!
おかしいと思った。

「そっか~。じゃあ、もうそういうの、やめよう!行きたくないもんは、行きたくない。自分に我慢させるの、やめていこう!
あと、Y先生家庭訪問来た時はどうする?」

「顔を出すのも正直キツイねん。だからこの間先生2人来た時、めっちゃしんどかった。」

もっとはよぅ言わんかいな。

「そんじゃあ、どうする…?まぁ自分で言えればベストだけど、顔見せたくないんやったら「放課後行きません」は、母から先生に伝えたらいいの?」

「…まだ自分では言えないから、ママから言って欲しい。」

わかった。
自分の本当の気持ちを言ってくれて、母はうれしいよ。


【家庭訪問の日がやって来た】


こんにちは、とやって来たY先生。
すみません、今日は息子は顔を出しなくないようで…というと、いや、全然大丈夫ですよと先生。

「先生。えっと、良いお知らせと悪いお知らせがあるんですが…」と切り出すと、先生は何かを察した様子で「じゃあ、悪いほうから…。」

「結論から言うと、息子は現段階で学校に復帰する意志が、全くない事が判明しました。」

あ~…と、なんとも微妙な顔の先生。

「で、良いほうは、その自分の本当の気持ちをようやく出せるようになった、ということで…。前回訪問していただいた時もかなり無理をしていたようで、放課後のお話も気を使って話を合わせていたようで、ものすごく疲れていて…。」

そっかぁ~、なるほど…という風に少し上を仰ぎ見た先生。

「本当に、色々考えていただいている、特にS先生には期待させて申し訳ないんですが…。息子は学校のことを考えるとどうしてもお腹にきてしまって、今、特に過敏性大腸のような症状が出ているので、お腹を治すことに集中したいようで。私も本人の意思を尊重したいと思ってます。
勉強の方も全くしていませんが、今はまだそこに向かう段階ではないのかな、と思います。」

わかりました。先生はそう言って、
「僕もね、学校の勉強は面白くないと思ってるんです(ちなみにY先生は技術の先生)。無理に勧めても、たぶんますます嫌いになると思います。

〇〇君やることなくて退屈だって言っていたので、よかったら学校のパソコン貸せるので、ゲームが好きなら簡単なゲーム作ったり出来るソフトもあるよ、好きに使ってくれていいよって、伝えて下さい。

あと、それだと毎日の欠席連絡もお母さんしんどいと思うので、何か別の方法考えますか?」

と提案が。

話し合いの末、学校へは2週間に1度程度、現状報告の電話を入れることで落ち着いた。
時々のぞきに来てもいいですか?と言う先生に、

「お忙しい中来ていただけるのはありがたいんですが、息子は全く顔を見せないかも知れませんが…あ、でも長女が先生が来ると喜ぶので(笑)。」

この日も先に長女が顔を出し、
せんせー、通信高校今のところ皆勤賞で、電車通学楽しいわ~。今度体育大会あるんやけど、めっちゃ行きたくなくって…などと、先生と楽しくおしゃべりしていた(昔から長女は家庭訪問大好きっ子)。

「じゃあ、また機会を見て来させていただきます。顔は、外からカーテン越しにちらっととかでも構わないので…。」

ありがとうございます。

先生、またね。と言う長女と私に、それじゃあ失礼します、とY先生は帰って言った。

息子に先生、こんな事言ってたよ~と伝えたけど、残念ながら息子はゲーム制作には興味はないらしい。

先生、ごめん…(苦笑)。


【不登校が始まってから、もう3年】


不登校が始まった当初は、今まで何の疑問もなく乗っていた、豪華客船から急に放り出され、行く当てのない小舟に乗ったような気持になった。

今ならまだ、間に合うかも知れない。
子ども達と必死で追いつこうと、親子で毎日毎日泣きながら1年近く五月雨登校を続けていた。ものすごく頑張ってものすごく苦しかったのに、でも結局追いつけなくて。とうとう豪華客船の姿さえ見えなくなってしまった。
そして、子ども達の心の充電も全て使い果たし、完全不登校に突入した。

あそこにいれば、ずっと安心していられたはずなのに。
私達はもう、あそこには戻れないんだ。

船長はいない。地図もない。目的地もわからない。
いったいこれから私達は、どこに向かっていけばいいのだろう。
途方に暮れるばかりの日々。

時間だけが、無常に流れていく。
でも同時に、その時間は癒しにもなった。
学校に行かない日常に慣れ、いつしかよその制服姿の子供を見て涙を流すこともなくなった。

気がつけば、今まで当たり前だった日常が、少しずつ少しずつ、色を形を変え、また新しい日常になっていく。

【ありのままの子どもを受け入れ、愛するということ】


ただ、子どもが生きてくれているだけで嬉しい。

不登校の子どもを持つ親の最終形態は、たぶんここに行きつくのだと思う。

学校にいけなくても。
外に出られなくても。
友達がいなくても。
勉強ができなくても。

それでも、君はここにいていいんだよ。
生きているだけで、いいんだよ。
それが、「ありのまま」の子どもを受け入れ、愛するということ。
そして同時に、「それを受け入れ、信じると決めた自分」をそのまま受け入れ、愛すること。

私はきっと今、試されている。


息子は小3までの勉強しか出来ていない。
足す、引く、掛ける、割るの四則演算の内、掛け算までしか学んでいない。
漢字も、読めない・書けない漢字が山ほどある。

生活に必要な最低限の勉強は、いつかはしなくてはいけない日が来ると思う。本人も、しなくてはいけないことは分かっている。このままけば、恐らくこの先困ることが出てくる日が来るのだろうと、子供ながらにぼんやり想像している様子だ。
でも、わかっていても、それでも、今はまだ向き合えない。


子どもに対し、将来の備えを何もさせない親である私を非難する人は、世の中にたくさんいるのだろうと思う。私はきっと、反論できない。

今回の息子の決断は「不登校を解消する」という意味では逆戻りの動きだ。
でも、私にとっては限りなく大きな一歩となる、歓迎すべき出来事だった。

繊細過ぎる性格のあまり常に周囲に気を配り過ぎ、自分が一体どうしたいのかわからない。「自分の本当の気持ち」を見失ってしまっていた息子。その息子が、ようやく自分の気持ちに正直になり、発信することが出来たのだ。

不安がないわけがない。この先、このままで、本当に子ども達は大丈夫なのだろうかと、泣きたいくらい恐怖を感じる時もある。

私はもう大人だから、失敗も成功も自分のせいだからと、自分で選んだことは、どんな結果であれ納得ができる。でも、私と同じように、子ども達に失敗するかもしれないような経験を、本当にさせていいのだろうか。

心が振り子のように、ブンブンと、大きく左右に揺れ続ける。


でも、息子の方が先に腹をくくった。
「とりあえず、あと3年。どうなるかわからないけど、やりたいようにやってみる。勉強は、どうにかなる気がする。」

そうか。


ならば、親である私も、もう腹をくくるしかない。

我が家はもう、あの豪華客船には戻らないと決めたのだから。


【答えはきっと、自分の中にある】


これまでに不登校関連の本を山ほど読み、インターネットも読み漁り、親の会にも参加してみた。その中でわかったことはただ1つ、答えはその子の中にしかない、ということだけだった。

各家庭ごとに、本当に悩みはそれぞれ。似た例はあるものの、「全く同じ」はありえない。マニュアルは役には立たない。

ただひたすらに、子どもを観察し、自分の心に照らし合わせる。
とんでもなく、地味な作業。それをただひたすらに繰り返す。

そうして親はみんな、気がついて行く。
本当に変わらないといけないのは、子どもではなく親の方であったということに。自分の理想や後悔や心配を子供に押し付けて、それに押しつぶされる寸前の子ども達の姿に、ようやく気づくのだ。

みんなと同じじゃなくていい。
誰かに答えを求めなくていい。
本当にやりたいことは、答えは必ず自分の中にある。

本心と向かい合うのは、死ぬほど怖い。
世間が、常識が「そんなことは許されない」と襲い掛かってくる気がする。
でもきっと、それも全て、自分がそう信じ、採用しているだけなのだろう。

自分のための、自分の人生。
子どもの人生は、子どものもの。

誰の許可も求めなくていい。
その「怖い」を乗り越えた先に、きっと本当の意味での、責任をともなう「自由」があるのではないか。

「やってみよう」と「怖い」の振り子の間で、
私は今日も揺れ動く。
でもそれさえも自分なのだ、と受け入れる。

正解は、外に探しに行くのではない。
正解は、自分の内側にある。

「自分が決めたこと」が、きっと正解になるのだと思う。

今はただ、そう、信じている。

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