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表現と技法の関係性。

表現とは、届けたい感情をモノ(作品)に乗せることなんだと思っている。
なのでコーヒーの場合では、ローストによって感情を描くことになる。

コーヒーをローストによって美味しくするための技法(技術:スキル)がある。
技法を学びその使い方を習得さえすれば、思い描く表現が出来るようになるのかと言えば、それは間違いである。

表現を成すために技法が在ることは間違いないが、技法を熟知すれば思い描く表現が出来るようになるという訳ではないことに気づいている。
要は、技法を学ぶことと、表現を学ぶことは別のものであることを認識しなければならない。

表現をするということは、まずは技法を熟知した上に成り立つものであると考えているので、まずは焙煎機を思いのままに操ることができる技術の習得が必要であり、次に感覚から味づくりすることが出来る、感覚とロースト技術の併用が求められる。

そしてそれが出来ることが前提で、表現とは、美しさの中に感情にまで届かせるための何かを乗せたものであり、その何かとは「色」と「形」なんだと思っている。
それは「色」と「形」の特性には感情が含まれているためである。
なので、表現とは「どのような感情を乗せたいのかで、色と形を整えること」のために、技法を駆使しローストを構築することであると考えている。

そのためにはどういった味づくりをすることで、感情にまで届くようになるのかという「仕組み」を学ぶ必要がある。
そしてその「仕組み」に沿うような技法を使い分けることで、感情に響かせるための仕組みを構築することが表現へとつながっている。

歌や楽器に例えるとわかり易いだろう。
歌や楽器で表現をするためには、まず大前提として譜面通りに歌えたり演奏できることである。
それができることが前提で、次にその曲の背景にあるストーリーの考察などから、その曲を演奏するにあたり、独自の表現を加えることで、その曲から伝わる感情の部分を演出することができるようになるのだと思う。
その感情の部分を伝えることこそが表現なのである。

コーヒーのローストにおいての「色と形」とは、「色」はフレーバーや酸味から登場している「香りの色」であり、「形」とは「密度感」になる。
そして、その「色と形」を媒介させるために「光の表現」が必要となる。

これらのコントロールがローストによって構築出来るようになることで、思い描くような表現ができるようになるのだと考えている。

ボクがこれらのことを論理的に理解できるようになった背景には、感覚によって香りの情報が感じられるようになったこと、そして香りの情報を分解して見れるようになったことが大きく関与している。
なので表現をするためには、感覚で感じられることが欠かせないことであるのだ。

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