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ちょっとカッコつけて書いた決意表明

 

これから

 たぶん、僕達はとてつもない時代の変革期に立っている。今まで生きてきた世の中のルールや常識が全く通用しない、文字通り全く新しい世界が始まるのかもしれない。いったい誰がこんな混乱がやってくるなんて想像出来ただろう。

 2019年12月に中国武漢市で発生したと言われている新型コロナウィルス感染症(COVID-19)は、ちょうど100年前に世界中で多くの人の命を奪ったスペイン風邪以来の感染爆発を起こし、現時点で215万人以上人が感染し、14万5千人以上の人が亡くなった。世界中でこの未知のウィルスを封じ込めるために外出禁止の措置がなされ、生活を維持するために必要最低限のお店しか営業を許されず、世界中の経済活動はリーマンショック以上の打撃を受けている。日本では全ての対策が後手後手に回り、欠陥だらけの条例や法律、無能は政治家達のおかげで、感染者数は拡大の一途を辿っている。メディアはピントの外れた罵り合いと、不安を煽る映像や文言を羅列するばかり。まるで出口の見えない長いトンネルの中にいるようだ。

 もしかしたら自分が感染してしまうかもしれない。大切な人たちが感染してしまうかもしれない。今の世の中の現状を見る限り、その可能性は決して低くないようにさえ思える。仮に感染しなかったとしても、仕事もなくなりつつある現状から考えて、今まで通りの生活が保障されることはない。


 こんな状況下で自分には何が出来るのだろう。そのことについて何日も考え続けていた。

 不安で不安でしょうがないから、朝から晩まで色んなことを調べて、目が真っ赤に充血して頭の中がごちゃごちゃになって、結局何が何だか分からなくなるような毎日を過ごしてきた。そんな中でやっと、本当にやっとの想いでずっしりと重たい腰を上げることにする。今の自分に出来ること、それは“書く”ことだ。


 今までにも“書く”チャンスはいくらでもあった。特に令和元年7月の出来事は、のほほんと怠惰と快楽を貪って生きてきた僕にとって、今一度生き方、働き方を深く考えさせられる一大事だった。それは最愛の妻が肺尖癌と診断され、ステージ4、つまり末期という宣告を受けたことだ。全身から血の気が引く感覚を人生で初め経験した。目の前が真っ暗になるって、よく絶望を表す文章の表現として目にするけど、あれは単なる表現方法なのではなく、実際に視界がなくなる様な感覚になるということも体験した。彼女と結婚してまだ5年だ。知り合って1年、交際を始めてたった半年で結婚したから、彼女という女性を愛してまだたった6年半しか経っていないのに、本当ならこれから何十年も人生を一緒に歩んでいくはずなのに…。この出来事のことは、語るにはあまりにも長いストーリーなので、また別の機会にじっくりと書きたい。つまり、そんな大きな出来事があったにも関わらず、僕はいっこうに“書く”ことをしなかったのだ。

 何故か、正直に言えば自分にもよく分からない。なんで書かないのだろう。いや、書けないと言った方が正しいように思う。大学に通っていた19歳からサーフィン雑誌の編集部で働き始め、30年間締め切りのたびに何千ワード何万ワードという文字を書き続けてきたのに、締め切り以外の時間で何か書き物をしたことがないのだ。一時期真剣に小説家を目指してポプラ文学賞に応募するために一本だけ長編のストーリーを書いたことがあるが、読める代物ではなかった。その時に向いていないことがはっきりと分かって以来、マクラ部分だけ書いて放置していた十数箇の文章も、長編ストーリーと一緒にPCを新調したタイミングでこの世から抹消した。それ以来、フリーライター&エディターという生業にも関わらず、魚が釣れた時にだけアップするインスタグラムの投稿時以外で文章を書くことはなかったし、書きたいと思っても書けなかったのだ。

 でも、今は書くしかないと思っている。それしか僕に残された道はないんだと思っている。自分の人生を折り返し、日々衰えていく体力と気力を自覚する年齢になって、そして新型コロナウイルスという、この100年間人類が忘れてしまっていた脅威に、世界中が嫌が応なしに変わらざるを得ない未来がやってくる現実を目の前にして、日々の変化を書き続けなくてはいけないと思った。毎日起こる大小の出来事をここに書いていくつもりだ。

 もし、気が向いたら、海辺でのほほんと暮らすジジイの備忘録をのぞいてみて、ああだこうだ言ってもらえたらありがたい。

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