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日本の大学教育に感じる3つの疑問

某大学を退職し、隠居暮らしをしている。暇を持て余して、ぼやっと往日を回想する時間が多い。
現役の頃から、日本の大学教育に疑問を抱くことが多々ある。いっそのこと回想ついでに書き残しておこうとふと思い立った。

学部時代に香港中文大学に留学し、教職に就いてから北京大学とハーバード大学に訪問研究員として籍を置いたことがある。便宜上これらの大学と比較してみるが、あくまで比較であって優劣を論ずるものではない。

一 出席

日本の大学では、授業で出席を取るのが一般的である。語学などは特にそうであり、大教室の講義科目でも出席シートを回して記名するケースがある。
香港・中国・米国で多くの授業を履修・聴講したが、出席を取る授業は皆無である。
ハーバード大学の場合は、以前の記事「ハーバード滞在記」でも触れたが、教室での授業自体はオマケであり、メインは膨大な参考文献の読み込みと、ほぼ毎週課されるレポートの提出にある。授業で使用したパワーポイントやハンドアウトなどの講義資料は、授業後即座に学内のネットワークにアップされるので、学生は授業に出席する必要がない。大教室の講義科目の場合、授業そのものを全て録画してアップすることもある。
日本の大学では、出席が成績に少なからぬ割合を占めるので、学生は単位を取得するために出席せざるを得ない。米国の大学では、出席やら単位やらは問題にも話題にもならない。ここに日米の大学生の学びに対する姿勢の根本的な違いが表れている。
米国から戻った後、所属校でハーバードの形式を取り入れて授業を行ったところ、思いも掛けず、一部の同僚から批判を受けた。学生が出席しなくても済むような授業は、教室管理が甘くて宜しくないということらしい。
日本の大学における出席重視の状況は、そもそも大学側と教員がそのような認識であるので、学生がそれに従わざるを得ないのである。中高とは異なり自主性を以て学ぶべき大学において、些末で重要でない出席を学生も教員もことさら重視するという現状に日本の大学教育の危うさを覚える。

二 生活指導

所属校では、学生が欠席を重ねると事務局が連絡して呼び出し、専任教員が面談をする。
冷たい言い方で語弊があるかもしれないが、授業に出てこない学生は放っておけばよいと思う。大学は義務教育ではない。学びたい者だけが学びに来ればよい。授業に出てこない学生の多くは、学問に興味がなくなったか、あるいは何か他のことに興味を持つようになったかであり、それは悪いことではない。他にやりたいことがみつかったなら、退学すればいいだけのことだ。大学側と教員が、授業に出るのが学生の本分だという固定観念を持っているので、授業に出てこない学生イコール劣等生ということになる。
学生は学生という身分である以前に多様な個性を持った一個の人間である。個性を尊重し才能を開花させる機会を与えるためには、大学が余計な干渉をするべきではない。
生活面、精神面の問題であるならば、学生支援部署やカウンセラーに任せればよい。特にメンタルな問題に関しては、素人の教員が下手に扱うと逆効果で却って有害にもなり得る。
日本の大学教員は、教育・研究以外に事務的な仕事で多大な時間と労力を費やしている。専任になると大学運営に関わるあれこれの委員や役職を兼ねることが義務づけられ、本来事務方がやるべき業務も教員が担っていることが多い。
諸外国、とりわけ欧米の大学では、教員の役割は基本的に教育と研究に特化されており、授業の担当コマ数も少ないので、じっくり腰を据えて論文執筆に取り組む余裕があるが、日本の大学にはそれがない。日本の大学が世界の大学ランキングで悲しいほど低い順位にいる所以の一つである。

三 短期留学

現在はコロナ禍で中断しているが、海外研修と称して短期留学を実施している大学が多い。所属校では、中国での語学研修が関連の専攻の教員によって立ち上げられた。
私はかねてより大学が主催する短期留学に疑問を持っていた。実施期間は、春休みか夏休みの2~3週間であり、当該語学を習い始めたばかりの学生が参加するので、研修とは言え学習効果は薄く、ちょっとした体験留学に過ぎない。
これもまた語弊があるかもしれないが、この類の行事は教員の負担を増やすだけなのでやめた方がいい。やる必要があるのであれば、旅行会社と提携して丸投げすればよい。現に、民間企業が主催する短期留学には、かなり充実した内容のものがある。
海外の大学にも語学研修がないわけではない。北京大学に滞在中、カリフォルニア大学サンディエゴ校の学生が20名ほど留学していた。第3学年の1年間を留学に振り替える制度だが、学生は留学前に集中的に中国語を学ぶので、留学開始時にすでにペラペラの状態だ。留学中は専門研究に取り組み、帰国後その成果を生かして卒論を書く。中国現代史の教授が1名派遣されて学生をサポートするため北京大学に滞在し、その傍らご自身の研究も精力的に続けていた。
こうした有意義な留学の例を見ているので、所属校の語学研修には積極的に参与しなかったのだが、案の定、同僚の顰蹙を買った。ところが、研修は、数年続けた後、コロナ禍を待たずして廃止になった。教員の負担が大きすぎて継続できなくなったのだという。
短期留学の件がいい例だが、日本の大学は、何かをやり始める時、その意義や効果や持続可能性を十分に考慮せず、ただやること自体に意味があるとしている節がある。したがって、打ち上げ花火のように一時の盛り上がりだけで終わってしまう行事やプロジェクトがしばしば見受けられるのである。

ここで述べたことは、あくまで私個人が所属校と海外の3校で経験したことを基にしているので、情報は限定的であり、日本の大学全般について言えることではない。いずれも、あれは無駄、これは無意味という否定的な見解ばかりで、大学教育に携わり日夜奮迅されている先生方には甚だ不快な暴論になってしまったかもしれない。提言などという大それたものではなく、閑人の愚痴に過ぎないので、どうか聞き流してご寛恕願いたい。

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