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【龍の自画像~中国人が語る中国人】第二章「中国文化の精髄」~張岱年「中国文化的基本精神」を読む


第二章 中国文化の精髄~張岱年「中国文化的基本精神」を読む


張岱年

 張岱年(1909~2004年)は、中国の著名な哲学者、哲学史研究家である。
 河北省献県の出身。清華大学、北平私立中国大学などを経て、1952年より北京大学哲学系教授に就任。
 のち、中国社会科学院哲学研究所兼職研究員、中国哲学史学会会長、中華孔子研究会会長、清華大学思想文化研究所所長などの任に就いた。

 主要著書は『中国哲学大綱』。専門の著書は、ほかに『中国哲学発微』『中国倫理思想研究』『中国哲学概念範疇要論』など多数。
 専門の哲学研究のみならず、中国文化全般に関わる諸問題について論文を発表しており、それらをまとめた『文化与価値』(北京・新華出版社、2004年)の刊行を待たずして死去した。

 張岱年は、中国の伝統文化や民族性に関わる発言が多い。
 今回の「中国文化的基本精神」は、中国文化の精粋として「天人合一」「以人為本」「剛健自強」「以和為貴」の四項目を挙げ、中国の優秀な伝統文化を総括したものである。
 『華夏文化』(1994年12月)に掲載され、のち、『斉魯学刊』(2003年第5期)、『党的文献』(2006年第1期)などに改編を加えた形で転載されている。

 原文の引用は、『斉魯学刊』版を用いた。本版は、傅永聚・韓鍾文主編『二十世紀儒学研究大系』(中華書局、2003年)にて、巻頭の序言に代えて掲載されたものである。
 なお、『党的文献』所収のものは、張岱年没後に、中共中央文献研究室の編纂により発表されたものである。

『二十世紀儒学研究大系』

愛国教育としての伝統文化讃美

 張岱年は論文の冒頭で、中国人、とりわけ大学生ら若い世代の中国人が、自国の伝統文化を学ぶことの必要性とその意義を述べている。

   今の時代、一人の中国人として最も重要なことは、愛国意識を持つことであるが、愛国意識には、一定の思想的基礎がある。祖国を愛すべきものと認識してはじめて愛国意識を持つことができる。
 そして、祖国を愛すべきものと認識するためには、中国文化の優れた伝統に対して、正しい理解をすることが必要である。
 数千年来、中国文化は、長期にわたって連綿と続き、発展を遂げてきた。過去に幾度か挫折を経験しながらも、自らの力で立ち直り、前進を続けているのである。この発展と改新の思想的基礎こそが、中国文化の基本的精神なのである。
【章末原文1】

 この論文が最初に発表された1994年は、折りしも中国共産党が盛んに愛国教育を推進していた時期である。愛国主義を人民に植え付ける手段として、反日教育と並んで、自国の伝統文化を称揚し、祖国に対する自尊心を高めようとしたのである。

 ここで「伝統文化」と言うのは、主に、儒家の伝統文化を指す。儒家は、先秦の諸子百家の代表的な学派であり、孔子を祖として孟子に受け継がれ、人としての修養の法や人間社会における倫理道徳を説いた。

 孔子は、名は丘、字は仲尼。春秋時代の魯の人である。若い頃は、下級官職に就くが、政界で志を得ず、塾を開いて弟子を養成し、儒教の学派を形成した。

 孔子の思想は、「道」の実現を目指す実践的倫理思想である。孔子の説く「道」とは、人間が家庭や社会で本来践み行うべき「道」を指す。これを実現するための根幹となる徳目が「仁」(人を愛し慈しむ心)であり、為政者は、この「仁」の徳によって国を治めるべきであると説く。

 孔子の思想における内的美徳が「仁」であれば、外的規範が「礼」である。それは、単に礼儀作法を指すものではなく、人が家庭や社会において行動する上での倫理的規範であり、また同時に、国家の秩序を維持するための政治的規律であった。

孔子

 孟子は、孔子の儒家思想を継承発展させた。名は軻、戦国時代の鄒の人である。「仁」と「義」(正しい筋道)を並べて説き、性善説を唱え、人間本来の良心を固く保持し拡充すべしとする修養論を説いた。

 政治論としては、武力によって服従させる「覇道」に抗して、仁政を施すことによって、民の生活を安定させ、民を道徳的に教化し、天下の真の太平を実現させるとする「王道」を説いた。

孟子

 儒教は、漢代に国教と定められて以来、中国の思想史上、つねに主流の座を保ち続けてきた。それは、儒家思想が統治者にとって都合のよい思想であるからにほかならない。
 中国政府が、愛国運動の一環として儒家の伝統文化を称揚するのも、そうした政治的狙いがあってのことである。

「天人合一」と「以人為本」

 張岱年の論文は、以下、中国文化の基本的精神を体現する概念として、「天人合一」「以人為本」「剛健自強」「以和為貴」の四つの項目を挙げ、順次解釈を加えてゆく。

 「天人合一」とは、人と自然との統一を肯定すること、すなわち、人間と自然界とが、敵対する関係ではなく、互いに切り離すことのできない関係にあると認めることである。
 いわゆる「合一」というのは、対立したもの同士の統一であり、つまり双方が互いに依存し合う関係にあると認識することである。(中略)
 人は自然界の一部分であり、人は自然を理解し、これに人工的に手を加えて変化させることはできても、自然を破壊するべきではない。
 こうした「天人合一」の観念は、西洋の「自然を克服する」「自然に勝利する」という考え方とは、大きく異なるのである。
【2】

 中国文化は、人間と自然との調和を重視し、自然界を人が克服すべき対象とは見なさず、自然と人類、すなわち「天」と「人」とが互いに補い合い、互いに依存し合う関係にあるものと見なしている。

 「天」は、「地」と並列される概念である。「天地」は「乾坤」「陽陰」「男女」という対応関係にある。天は父、地は母。人も万物も天地の生み出すところのものというのが、古代中国人の考え方である。

 「天人合一」とは、人事(人間界の事象)は、天意(天の意志)を体現したものであり、両者は一体であるとする説である。初め、子思・孟子らが唱え、漢代の大儒董仲舒が、これを受け継いで「天人感応」に発展させた。

「天人感応」は、天意と人事とが互いに通じ合い、関与し合うとするものであり、古代中国人が、天災や奇跡の起こるメカニズムとして捉えていたものである。

 論文は、続いて、第二の項目として「以人為本」(人を以て本と為す)を挙げている。人間を「本」(もと)とする、いわゆる人本主義、人本思想である。

 「以人為本」は、宗教家が神を主体とするのに対する言い方であり、人本思想と称することができる。
 孔子は、天命の存在を認めていたけれども、鬼神の存在については懐疑的であった。孔子は「民の義を務め、鬼神を敬して之を遠ざく。知と謂うべし」と語っている。人生で最も重要なのは道徳意識であり、鬼神に救いを求める必要はないとしている。
 さらに、孔子は、生きている間のことを問題にするべきであり、死後のことは考慮する必要がないとも語っている。
 『論語』に、次のような記載がある。「季路、鬼神に事(つか)うることを問う。子曰く、未だ人に事うること能(あた)わず、焉(いずく)んぞ能(よ)く鬼に事えん。曰く、敢えて死を問う。曰く、未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。」
 孔子は、鬼神に対しては、自らの態度を保留しており、否定はせず、また肯定もしていない。しかし、人は現実生活の中の問題を解決する努力をするべきであり、鬼神に向かって祈祷する必要はないとしている。
【3】

 上文では、『論語』からの引用が二箇所ある。一つ目は、「雍也」篇から引いたもので、弟子の樊遅に「知」について質問された際に、孔子は「民のためにするべき正しい道に務め、鬼神(祖霊、神霊)には敬意を払っても、一定の距離を置く。それが知者だ」と語っている。

 二つ目は、「先進」篇からの引用で、弟子の子路の問いに答えたものである。子路が鬼神の祭りについて尋ねると、「生きている人につかえることもろくにできないのに、どうして死んだ人間につかえることができようか」と孔子は答えている。
 続いて、子路が死について尋ねると、孔子は「生のことさえわからずに、どうして死のことがわかろうか」と突き放している。

 儒家は、基本的に現世のみを問題にする倫理道徳思想であり、上の二つの問答は、それを端的に示している。

 儒家思想は、今この世に生きている人間とその社会についてのみ語る修養論、処世論であり、来世のことや超現実的な事柄は、否定はせずとも敬遠してあえて触れないのである。中国人の現実主義、現世第一主義の根源がここにある。

「剛健自強」と「以和為貴」

 中国文化の基本的精神として、第三番目に挙げられているのが、「剛健自強」である。

 先秦の儒家は「剛健自強」という人生の準則を掲げた。孔子は「剛」の品徳を重視し、「剛毅木訥、仁に近し」と語っている。「剛毅」とは、すなわち意志が固く揺るぎないことである。(中略)
 古代哲学の中で、「剛健自強」と密接な関係があるのは、「独立した意志」、「独立した人格」、そして「原則を固く守るために自らの生命を犠牲にできる精神」と関わる思想である。
 孔子は、人には誰でも独立した意志があることを肯定し、「三軍は帥(すい)を奪うべきなり。匹夫(ひつぷ)も志を奪うべからざるなり」と語っている。(中略)
 孔子はさらに、仁の徳を実践するためには、個人の生命を犠牲にすることができるとして、「志士仁人は、生を求めて以て仁を害する無く、身を殺して以て仁を成す有り」と語っている。
 孟子は、さらに一歩進めて、「生も亦我が欲する所なり、義も亦我が欲する所なり。二者兼ぬるを得べからずんば、生を舎(す)てて義を取る者なり」と論じている。(中略)
 自己の人格の尊厳を固く守ること、それが「剛健自強」を達成するために、第一に求められることである。
【4】

 ここでも、『論語』から孔子の言説が引かれている。一つは、「子路」篇に見える言葉で、「剛毅木訥は、仁の徳に近い」と述べている。「剛・毅・木・訥」の四字は、それぞれ意志が強いこと、果敢であること、質朴であること、口数が少ないことをいう。
「学而」篇に「巧言令色、鮮(すく)なきかな仁」(「学而」篇)とあるが、ちょうど逆の視点から、同じことを述べている。

 次に、「子罕」篇にある言葉で、「大軍であっても、その大将を捕らえることは可能だ。しかし、一人のつまらぬ男でも、その志を奪うことはできない」と語っている。

 さらに、「衛霊公」篇から、「志ある者、仁を行う者は、命を惜しんで仁をそこなうことはない。命を犠牲にしてでも仁をまっとうしようとする」と語った一節を引いている。

『論語集解』

 続いて、『孟子』「告子上」の一節を引いている。その中で、孟子は、「わたしは生命を欲する。同じく義も欲する。だが、両方を得られないのであれば、命を捨てて義を取る」と述べている。

 孔子・孟子の説く「仁」を行い、「義」を貫く精神は、人としての自己の尊厳を守ることでもあり、そこに何ものにも譲らないという強さが生まれるとするものである。

 なお、「剛」という概念に関しては、儒家と道家は、正反対の立場を示している。道家思想では、「柔弱は剛強に勝つ」(『老子』第三十六章)などとあるように、「剛」と相対する「柔」の方を重んじる。儒家と道家の相違については、第四章で改めて取り上げる。

 さて、四項目の最後に挙げられている基本的精神が「以和為貴」(和を以て貴しと為す)である。

 古代中国では「和」を最も価値あるものとしている。
 孔子は「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」と語っている。孔子の言う「和して同ぜず」とは、自分の意見をしっかりと持ち、人の言ったことの受け売りをしない、ということである。
 「和」の概念は、多様性の統一を肯定し、異なる見解の容認を主張するものである。(中略)
 儒家の「和」を尊ぶ思想は、歴史上、民族の団結を促進し、民族の凝集力を強化し、そして民族の融和を促進し、民族文化の同化力を強化するという積極的な働きをもたらした。(中略)
 中華民族は、多元の統一体であり、中国文化もまた、多元の統一体である。多元の統一こそ、まさに中国古代哲学で言うところの「和」を体現するものである。
 いわゆる「和」というものは、矛盾するものの対立を承認しないということではなく、矛盾を解決してさらに高次元の統一に到達すべきという考え方なのである。
【5】

 『論語』の中には、「君子」(有徳の為政者、もしくは立派な人格者)と「小人」(無徳の庶民、もしくは卑小な人間)について、両者を比べた孔子の言葉が散見する。

 ここでは「子路」篇からの引用である。孔子はこう語っている。「立派な人間は、人と調和するけれども、付和雷同はしない。つまらない人間は、付和雷同するだけで、人と調和することがない。」

 「和」と「同」は、似て非なるものである。「和」とは、調和すること、周囲の人々と仲良く協調することであり、一方、「同」は、付和雷同すること、軽々しく周りの意向に同調することをいう。

 元来は、処世の徳、あるいは人間関係における心得として説かれている「和」の議論であるが、張岱年は、これを民族団結という政治的宣揚に応用して語っている。

 現代中国が、漢民族とその他五十五の少数民族からなる「多元的統一体」であることを強調するものであり、チベットやウイグルなどで民族問題を抱えている中国政府の地方自治の諸問題が背景にあることは明白である。
 
 ちなみに、張岱年は、もともとこの「中国文化的基本精神」一文の中で、儒家のみならず、道家や墨家など、他の学派にも言及している。

 ところが、張氏の没後、『党的文献』(中共中央文献研究室編纂)に転載された一文では、他の学派の言説の引用は、すべて削除されて、儒家一色になっている。『老子』など、道家の文献からの引用や、張氏が中国伝統文化の悪習として指摘した部分は、すべて削られている。

伝統思想の功罪

 この論文で述べられている四つの基本精神は、いずれも儒家的伝統文化の優良なる一面であるが、これらは、あくまで中国人が理想として古来掲げてきたスローガンであり、古い時代、あるいは今日の中国社会において、必ずしも実現されているというわけではない。
 むしろ、実現されていないことの方が多く、そうであるからこそ、スローガンとされてきたと考える方が実情に近いであろう。

 また、中国の伝統文化が、必ずしも優良で健全なものばかりではないことは、張岱年自身もしばしば明言している。

 「世界文化与中国文化」(『張岱年文集』第一巻所収)と題する一文の中では、次のように述べている。

「中国の古い文化には、いったいどれほどの優秀なものがあるのだろうか。正直に言えば、古い文化の中の良いものは、悪いものと比べてみると、数量の上では圧倒的に少ないのである。一つまた一つと盛られた糞土の中で、ごくわずかなダイヤモンドが光り輝いているようなものだ。」

 また、その他の論文においても、以下のように、伝統文化の悪習や弊害について、さらに具体的に語っている。

「中国の伝統文化の中の根深く強固な思想意識は、すなわち等級観念である。儒家と法家は、いずれも上下貴賤の等級差別を強調した。」
(「中国伝統文化与現代社会」『哲学研究』1994年4月)

「漢代以後、専制王権は、名目上は儒家を尊重しながら、その実、儒家の名義を借りて、専制独裁を維持擁護した。」
(「中国文化優秀伝統内容的核心」『北京師範大学学報(社会科学版)』1994年第4期)

「中国の伝統文化において、最も大きな欠点が二つある。一つは、実証科学が発達しなかったことである。もう一つは、民主主義が欠如していることである。」
(「中国伝統文化的分析」『理論月刊』1986年第7期)

 儒教は、中国人の精神世界を支配し続けてきた伝統思想である。倫理的に人間関係を保ち、社会秩序を安定的に維持するのに有効な教えではあるが、その一方、科学的・合理的精神に欠け、創造性に乏しいなど、マイナス面も少なくない。

 儒家思想は、中国のみならず、広く漢字文化圏において、人々の生活の中に深く浸透している。『論語』に見える孔子や弟子たちの言説は、人としての修養の要諦、社会における行動の指針など、処世訓や座右の銘として、現代社会においても、知恵の宝庫として有意義である。

 しかしながら、儒家の教条や礼法の中には、不条理な教えやしきたりも多く、抑圧的な社会環境をもたらす結果にもなる。
 礼教道徳が、人々の心を縛り、自由な精神の発露や自立的な思想の発展を阻害する桎梏となることも多々あるのである。

引用原文

【1】
现今时代, 做一个中国人, 最重要的是具有爱国意识, 而爱国意识有一定的思想基础。只有认识到祖国的可爱, 才能具有爱国意识。而要认识到祖国的可爱, 又必须对于中国文化的优秀传统有正确的理解。几千年来, 中国文化长期延续发展, 虽曾经走过曲折的道路, 而仍能自我更新, 继续前进。这发展更新的思想基础, 就是中国文化的基本精神。

【2】
天人合一即肯定人与自然的统一, 亦即认为人与自然界不是敌对的关系,而是具有不可割裂的关系。所谓合一是指对立的统一, 即两方面相互依存的关系。(中略)人是自然界的一部分,人可以认识自然并加以改变调整, 但不应破坏自然。这种“天人合一”的观念与西方所谓“克服自然”、“战胜自然”有很大的区别。

【3】
以人为本是相对于宗教家以神为本而言的,可以称为人本思想。孔子虽然承认天命, 却怀疑鬼神。他说:“务民之义, 敬鬼神而远之, 可谓知矣”。认为人生最重要的是提高道德觉悟,而不必求助于鬼神。孔子更认为应重视生的问题, 而不必考虑死后问题。《论语》记载:“季路问事鬼神, 子曰:‘未能事人, 焉能事鬼。’曰:‘敢问死'。”曰:‘未知生, 焉之死。’”(中略) 孔子对于鬼神采取存疑的态度, 既不否定, 亦不肯定, 但认为应该努力解决现实生活中的问题, 而不必向鬼神祈祷。

【4】
先秦儒家曾提出刚健自强的人生准则。孔子重视“刚”的品德, 他说:“刚毅木讷近仁。” 刚毅即是具有坚定性。(中略)在古代哲学中, 与刚健自强有密切联系的是关于独立意志、独立人格和为坚持原则可以牺牲个人生命的思想。孔子肯定人人都有独立的意志, 他说: “三军可夺帅也, 匹夫不可夺志也。”(中略)孔子更认为, 为了实行仁德可以牺牲个人的生命, 他说:“志士仁人, 无求生以害仁, 有杀身以成仁。”孟子进而提出“生亦我所欲也, 义亦我所欲也, 二者不可得兼, 舍生而取义者也。”(中略)坚持自己的人格尊严, 这是刚健自强最基本的要求。

【5】
中国古代以“和”为最高的价值。孔子说:“君子和而不同, 小人同而不和。”(中略)孔子所谓“和而不同”, 也就是保留自己的意见而不人云亦云。“和”的观念, 肯定多样性的统一,主张容纳不同意见。(中略)儒家以和为贵的思想在历史上曾经起了促进民族团结、加强民族凝聚力, 促进民族融和, 加强民族文化的同化力的积极作用。(中略)中华民族是多元的统一体, 中国文化也是多元的统一体。多元的统一, 正是中国古代哲学所谓“和”的体现。所谓“和”, 不是不承认矛盾对立, 而是认为应该解决矛盾而达到更高的统一。


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