先のブログで数学を学ぶ意義について,仲間との議論で考えを深めたお話をしました。
今回この仲間との議論を収録するにあたり,面白い気付きが2つありました。
1)ChatGPTも対話仲間の一人
議論に先立って,問いのオーナーであるお父さんがChatGPTに今回の問いを聞いてくれました。
役に立つよ(実用性)→楽しいよ(娯楽性) という回答。
お父さんしっくり来なかったようで(笑),問いの角度を変えました。
今度は,楽しいよ(娯楽性)→役に立つよ(実用性) という回答。
前者は主語が大人,後者は主語が子ども(学びの当事者)。
今回,私たちがよりしっくりくる回答としては,後者のほうでした。
ChatGPTの登場によって,危機感を指摘する記事も散見されますが,
私的には,人間が問いの立て方を工夫することで,
対話の心強い1パートナーになり得ると感じた機会でした。
2)対話とスポーツと演劇に共通するもの
今回,課題として収録を提出するにあたり,チームで3回同じテーマで議論をしました。
1回目は,企画会議。
収録でどんなことが話せそうか,ネタ出しの会議です。
色々ネタがあることが確認でき,これは収録が盛り上がる予感しかない。
2回目で,初収録(Take1)。
1回目の企画会議でのネタ見せを再現しようとするが,ぎこちなさが抜けない。
ぶっちゃけ,1回目の企画会議の面白さが伝わっていない感覚。
1回目と2回目の差分を,仲間の皆さんで振り返った時に,
私たちの2回目の議論には,「創発性(※)」が足りなかったのでは,と。
※何か新しいものを作り出すこと。還元不能性,意図の不在の意味が含まれる。(「私たちはどう学んでいるのか(鈴木宏昭著)」より)
それぞれ仲間の皆さんが活動されるフィールドに置き換えると…
例えば,演劇の世界。もちろんシナリオはあるのですが,演じる時には,舞台上での相手にその場でどう対峙するかのライブ感が,演劇を面白くするそう。
また,スポーツの世界。もちろん試合運びの戦略はあるものの,人が感動し,引き込まれるのは,闘う相手や自分とどう向き合うかシナリオのないその場での展開だからこそ。
私たちの2回目の議論には,それが欠けていたのです。
3回目の収録(Take2)。
最初の問いの導入とその直後の話は事前に確認したものの,
その後は,空気感に任せて楽しみましょう!とすり合わせて,スタート。
おかげで,2回目よりよい議論を展開することができました。