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【青森県十和田市】馬のテーマパーク「駒っこランド」にある馬の博物館「称徳館」は馬好き必見スポットだった

 以前、岩手県奥州おうしゅう市にある牛の博物館の記事で「北東北には各地に馬にまつわる文化や風習があるのに馬の博物館はないのだろうか」と書いた。
 記事を書いた際は調べ方が足りずに知らなかったのだが、該当する施設は青森県十和田とわだ市に存在していた。

 十和田市は奥入瀬おいらせ渓流を郊外に有する上北かみきた地方の中核都市だ。
 現在も農業が盛んな街であることに加え、市街地近くには映画にもなった『犬部!』の舞台である、北里大学の獣医学部がある。

こちらはかなり前に撮った写真だが
十和田市の中心街には蹄鉄をモチーフにしたモニュメントや
馬のブロンズ像などが多数存在しており
近隣の市町村と同様に現在も馬が象徴的な役割を持つ

 この街の中心部から20分ほど離れた場所にある場所にある十和田市馬事公苑ばじこうえん、通称こまっこランドにある称徳館しょうとくかんという施設が馬の博物館としての役割を有している。
 田園地帯を抜け、小さな山を車で登るとその山頂に広がっている広大な公園が駒っこランドであり、街のイベントなどがよくここを会場に開かれているようだ。

小さな山ながらも山頂にある公園の雰囲気は清々しい
広大な芝生が広がるほか、遊具も完備されており
子供たちが遊ぶ姿も見られる。
奥の方には全長217mもの長さを誇る
巨大なローラー滑り台もある
公園内にある交流館は休憩スペースとしての役割はもちろん
冬季を除く日中は蕎麦やラーメンなどの軽食も販売している
駒っこランド案内図。中央にあるのが称徳館だ。
かなりの広さである。
交流館の前にある巨大なモニュメントはその名もUMA。
駒っこランドの象徴的なモニュメントであると同時に
滑り台なども兼ねている遊具でもある

 馬のテーマパークを自称するだけあり、馬をモチーフにした遊具や博物館のみならずもちろん馬も多数飼育されている。

表の広場に出ている馬はその日ごとに違う
おやつをあげるのはもちろんのこと
体験乗馬や馬車、引き馬体験もできる
ピンク色の鼻が可愛い希望。
希望と書いてのぞみと読むサラブレッドだ。
人間への意思疎通が上手い賢い馬だ
ミニチュアホースのルナ。
特に人懐っこい印象を受けた
こちらは和種のさくら。
もう一頭出ていた小春のお母さん。
サラブレッドの希望とくらべて小柄で
安定感のある体格だ
さくらの娘で同じく和種の小春。
女の子だがハンサムと言いたくなる
ボーイッシュな印象を受ける

 さて、今回のメインの称徳館があるのは牧場や交流館を少し登った先。
 建物などに隠れているので少しわかりにくいかもしれないが、看板に沿って歩いて行くと立派な和風建築が現れる。

武家屋敷を思わせる建物。
名前と見た目だけではまさか馬の博物館とは思わないだろう
入り口には毎年8月下旬につがる市で開かれる
馬市まつりで使われる馬のねぶたが展示されている
称徳館は建物そのものが馬蹄を模した独特な形状をしている。
昭和天皇の御愛馬であった
白雪号の蹄鉄

 最初のエリアは驥北きほく館の名がつけられている。
 驥北とは冀州というかつて良馬の産地だった中国北方の地域を語源としており「良馬の産まれる北の地」を意味する言葉だそうだ。
 ここでは古代中国と馬の関係や、日本の驥北と呼ぶべき北東北と馬との関係性についての歴史が展示されている。

最初にあるのは古代中国で出土した馬を模した土器など
古くから続く東アジアでの人と馬との関係性を
表したコーナー

 北東北と馬の関係性は古く、蝦夷えみしと呼ばれていた時代から既に非常に高い弓馬の技術を身につけているという記載が『続日本後紀しょくにほんこうき』の中にある。また、平安時代にいくつかの和歌で詠まれた「をぶちの駒」の「をぶち」の意味には諸説あるが、十和田市の北にある現在の六ヶ所ろっかしょ村を指しているという説もあるらしい。

中尊寺金色堂で知られる奥州藤原氏の繁栄の背景には
金山や北方の交易のみならず良馬の生産も
あったとされている
岩手県北部から青森県東部にかけては
一戸から九戸までの市町村が連なっている
(四戸だけは地名としては現存していないが
苗字には現在も見られる)
この地名の由来は諸説あるが
一般的には馬を飼育していた牧場が由来とされている
明治以降は外国産馬が積極的に導入された為に
南部駒そのものの血統は既に途絶えてしまっている

 そしてここ十和田市の中心部である三本木さんぼんぎは江戸時代の終わりに馬市が開かれて以降は太平洋戦争終結まで軍馬の育成地であり、馬産を中心に地域の経済発展が続いていた。
 現在も続く青森県立三本木農業学校はこの流れを汲んでできた学校だ。また十和田市役所十和田市現代美術館などがある十和田市中心部の官公街通りは「駒街道」とも言われており現在も多数馬をモチーフにしたモニュメントが見られるが、ここも元々は旧日本陸軍の軍馬補充部三本木支部があった場所なのだという。

かつての三本木の風景と当時使われていた道具たち
源頼朝が部下に与えた名馬の
「いけづき (漢字表記は多数あり)」と「磨墨」は
現在の青森県で生まれたという説があり
これをモチーフにしたねぶたも展示されている

 驥北館に続くのは馬具館。こちらは読んで分かる通り、馬に装着する様々な装身具などが展示されているコーナーだ。

馬具館へと続く廊下には、蹄鉄や蹄鉄を装着するための
動画が多数展示されている
蹄鉄を嵌める際に使われていた道具。
蹄鉄は人間で言うと爪に取り付ける道具なので
マニキュアを塗る前に爪を磨くなどして整えるのと同様に
取り付ける前に爪を綺麗に削って整える必要がある
平成初期に活躍していた競走馬
ナリタブライアンの蹄鉄も展示されていた

 馬具館ではくらくつわあぶみはもちろんのこと、祭事で馬を着飾らせる装束なども多数展示されている。
 現在でも旧南部藩地域のお祭りの時期では、町によっては着飾った馬が神輿と共に街中を練り歩く姿が見られたり流鏑馬奉納が行われたりする。
 中でも代表的なのは、岩手県の滝沢たきさわ市と盛岡もりおか市で毎年6月の第2土曜日に行われるチャグチャグ馬コだろう。農耕馬の日頃の労働への感謝と馬の無病息災を祈る目的で始まったこの行事で、鮮やかに着飾った60頭もの馬が鈴の音を響かせながら田園地帯から街中を歩く姿は北東北に夏の訪れを告げる風物詩となっている。

展示されている馬の装束。
左から江戸時代のチャグチャグ馬コの衣装
嫁馬装束、武家装束だ。
嫁馬装束や武家装束は地域の祭りで時折見られる
今度からはどちらを着ているのか気にして見てみよう
乗馬に欠かせない道具の1つである鞍の実物展示と
中世の馬具の図解。
飼料提供元とある馬の博物館は横浜市にある施設だ
(2024年現在建て替えのため休館中)
こちらは唐鞍と呼ばれる中国風の飾馬装束。
かつては外国使節の接待などで使用したらしい
轡や鐙といった馬具の数々。
武家の鎧はは漆塗りで美し区飾り付けられている
鳴り鈴、別名馬鈴。馬鈴薯の名前の由来がこれだ。
馬の体に取り付けられた鈴の音は
「チャグチャグ」などの擬音で表される。
チャグチャグ馬コの語源であり欠かせない存在だ。
ただの装飾品ではなく、放牧中の馬の居場所を知らせたり
人工的な音を鳴らすことで狼避けにしたりと
かなり実用的な道具だったらしい

 さて、この馬具館に展示されているものの中でも特にスペースを割いていた面白いものが馬の良し悪しを見極めるための文献や資料などだ。
 現在も伯楽という言葉があり、よく人間に対して人間を見抜く能力がある人という意味で使われるが、元は良馬を見定める能力がある人を意味する言葉だった。今ならば競馬に携わる人や趣味にしている人でもない限りは馴染みのない能力であるが、馬と人間の生活がより密接だった時代はより身近な能力だったのだろう。
 ただ、当時の馬産事情もあり現在のように主に馬の血統や普段の様子などから予想するのとは少し事情が違う。馬相ばそう、つまり人相や手相のように馬の見た目で性質や性格、果ては縁起の良さなどを判断しておりそのための指南書なども多数書かれていたようだ。

 現在は青森県東通ひがしどおり村の寒立馬かんだちめに当時の文化の名残が見られるが、かつて南部藩で行われていた馬産では広い場所に馬が自由に走り回ったり繁殖したりできる状態にさせておき、その中から良さそうな馬を捕まえて武家に売るという半野生状態での放牧が行われていた。
 そういったやり方では現在のように普段の様子や血統などを参考にするのは難しく、その馬の外見で良し悪しを区別する必要があったのは想像に難くない。
 そもそもかつての日本で農耕馬や軍馬に求められていた性質と現在の競走馬に求められる性質とは異なり、飽くまでも「かつてはそういった迷信があった」程度の話ではあるのだが、新馬戦の時などはこれを気にして見てみると面白いかもしれない。

実に多数の吉相凶相が分類されてきた。
展示されているのはつむじの例のごく一部
書籍だけではなく、こういった左右で吉相凶相を表した
馬像も作られていた。
雌雄モザイクならぬ吉凶モザイクだ

 次のエリアは玩具館。
 日本のみならず、世界中の馬のおもちゃなどが所狭しと展示されているコーナーだ。

日本全国の伝統的な馬の玩具。
日本中至る所で個性豊かな玩具が作られている
十和田市からも程近い八戸市の八幡馬は縁起物として
土産の定番の1つになっているだけではなく
地元の画材展である彩画堂でここ数年は毎年
地元のアーティストによる個性豊かなオリジナル八幡馬の
展示を行っているなど
美術が盛んな青森らしい取り組みが盛んに行われている
日本各地から集められた馬のおもちゃが
素材ごとに並ぶコーナー。
この数でも土製のもののコーナーの一角に過ぎない
世界に目を向けると更に多種多様な玩具がある。
アジアは勿論のこと、ヨーロッパにアフリカ、アメリカ大陸
世界各国のおもちゃが所狭しと並んでいる。
ドイツのコーナーだけでも写真の量だ
そして勿論、馬をモチーフとした切手も世界中にある

 そしてこれらの展示の最後には、十和田市とその近隣で行われている馬にまつわる行事や十和田市の馬の玩具が展示されていた。

岩手と青森の県境付近に広く見られる
真冬の行事えんぶりも馬と関わりが深い文化だ。
特徴的な烏帽子は馬のたてがみをモチーフにしたもので
農具を元にした祭具を手に五穀豊穣を祈る。
農耕馬が生活に深く根付いていた時代を感じさせる祭りである
十和田市や八戸市、五戸町などこの周辺の地域に
広く伝わっている南部駒踊りの様子を描いた玩具。
以前訪れたごのへ郷土館でもジオラマなどが展示されていた。
放牧している馬を捕まえる様子が
駒踊りのモチーフになっているらしい
十和田市のきみがら馬。
ここでいう「きみ」とはとうきび
つまりとうもろこしのことを指しており
きみがらはとうもろこしの皮のことだ。
かつて馬産が盛んだった十和田では馬の飼料となる
デントコーンの栽培も広く行われていた。
残ったきみがらを利用する為に
こういったきみがら細工が生まれたらしい。
現在はきみがら製のきみがらスリッパが土産物として有名。
手間がかかるため少し値段は張るが、見た目も美しく
履き心地も良いらしい

 玩具館の奥のエリアは絵馬堂。
 企画展の際にはここが展示スペースになるようだ。

絵馬堂で有名な京都の北野天満宮の模型
色とりどりの絵馬が展示されている
血管まで彫り上げられた見事な彫絵馬。
写実性はもとより、気品と共に愛らしさを感じる顔立ちに
馬への愛情を感じられる

 そして絵馬堂に連なっているのが馬の信仰館だ。馬そのものを信仰の対象とするもの、馬の健康を祈願するために信仰するもの、北東北では実に様々な形で馬と信仰は結びついてきた。

神の乗り物として奉納される神馬。
日光東照宮のものなどが有名だが
かつてはもっと多くの神社で見られたとのことだ。
特に雨に関する祈祷として神馬を奉納した例は
『続日本紀』にも記されており
旱魃の時には黒い馬、長雨の時には白い馬を奉納したらしい。
左奥に見られる背中に御幣を乗せた2頭の馬の像は
まさにその典型だろう
当初は生きた馬を奉納していたのが簡略化されて馬の像となり
そこから板を馬を模った形に切って彩色した板立馬となり
最終的には馬小屋を模した形に切った木の板に
馬を描いた絵馬の形に落ち着いたらしい
木や土は勿論、稲藁やマコモもまたかつては身近な素材であり
これらでも多様な馬が形作られた。
現在でこそこの伝統を受け継ぐ地域は数少ないが
無病息災や五穀豊穣、さらには縁結びなど
実に様々な願いが込められたという
北上市のみちのく民俗村でも解説されていた
観音菩薩の1尊である馬頭観音。
元々は荒々しい姿をした菩薩で
煩悩を排除したり悪いものを打ち倒す存在だったようだが
その名前から後に農民達からは馬の守護者として信仰された
馬頭観音の石碑は特に昔から農業が盛んな地域では
現在でも北東北に点々とその姿を見ることができる。
写真は岩手県紫波町の県道13号沿いに点在している
馬頭観音の石碑の1つ
元々日本にあった山岳信仰と
全国にある「駒ヶ岳」や「駒形山」といった山の名称が
結びつき、それらの山の神が馬を守護する存在とされて
駒形信仰となったらしい。
馬頭観音といい「名前がそれっぽい」という理由で
様々な存在が馬の守護者とされたようだが
それだけ馬の健康は人々の生活と直結していたのだろう
こちらも馬を守護する存在として東北地方で信仰されてきた
蒼前にまつわる展示。
しかしこの信仰についてはまだまだ謎が多いようだ
神仏のみならず、同じ動物である猿もまた
馬の守護者と考えられていた。
かつては馬の安全を祈願して猿を厩で飼う他に
厩近くで猿を踊らせる祭祀が行われており
これが現在も残る猿回しの起源となったらしい
十和田市に程近いおいらせ町にある氣比神社は
元々馬の守護に御利益がある神社として信仰されていた。
現在も例題祭では絵馬市が行われている
以前訪れた氣比神社。
昔ながらの住宅街の真ん中に立つ立派な神社だ。
米軍基地を擁する三沢基地も近いためか
訪れた際は米軍関係者と思わしき外国人も観光に来ていた
駒っこランド周辺に現存する馬に関係する信仰の残る神社。
地域を絞ってもこれだけの数がある

 ここに続くのが語り部館。
 この日はやっていなかったが、4月から11月の第2・第4日曜日と祝日には1日2回ボランティアの方による民話の朗読が行われる。

結構しっかりしたセットとステージが用意されている
上演のない日も録音された音声を聴くことができる

 この奥には和室と洋室の休憩スペースがある、特に洋室の休憩スペースからは駒っこランドとその奥に見える十和田市の田園地帯を望むことができ、特に天気が良い日はぜひ見てほしい。

晴れた日に望む駒っこランドと田園地帯。
新緑や紅葉の季節はなお絶景だろう

 そして最後にあるのは、馬と人間の暮らしについてフォーカスしたコーナー。
 自動車がまだ普及していない時代、馬は人間の生活と非常に密接に結びついてきた。その様子が写真や実際に使われてきた道具と共に垣間見えるコーナーだ。

馬の感情ごとの耳や首や尻尾の動き、鳴き声など
表現の一部を再現したロボット。
人間以外の動物は無表情だと言う人も多いが
馬は人間以上に表情豊かな動物だと思う
実際に農耕馬が引いていた農具と当時の写真。
祖父母から昔はどの家にも馬がいたという話を
幼い頃から聞かされてきたが
まさにこういった光景が北東北の日常だったのだろう
馬を飼っていた厩の中の様子。
これが多くの農家にあったのだと思うと不思議な感じだ
実際に使われていた馬車。
現在は主に自動車や電車が担っている物の運搬も
かつては牛馬が担っていた

 今回の記事で紹介したのは展示物の一部に過ぎない。歴史や文化といった様々な面から馬について知ることができる称徳館は、馬が好きな人や北東北の信仰や文化に興味がある人に是非訪れてほしいスポットだった。

 また、駒っこランドで行われるイベントに行く際は、是非称徳館も訪れてみてほしい。ふれあい牧場にいる馬達は勿論のこと、十和田市やその周辺で見られる神社や祭りなどを、より深く楽しめるようになるはずだ。

まさにこの記事が投稿される予定になっている週の日曜には
駒っこランド秋祭りが開催される予定だ

【余談】

 2024年9月現在、iPhoneのマップアプリで駒っこランド周辺を調べると「雪中行軍記念碑」なるものが確認できるが現地にそれらしいものは存在しない。ただし駒っこランド近くに周辺には「雪中行軍案内者顕彰碑」があり、これを指しているものと思われる。
 恐らくデータ的には座標ではなく住所で登録されており、かつ登録上の住所が「青森県十和田市大字深持字梅山」で切れていることから、住所が「青森県十和田市大字深持字梅山1 -1」になっている駒っこランドの中に存在するものとして扱われているためこのようになってしまっているのだろう。
 蛇足ではあるがせっかくなのでこちらについても紹介したい。

 雪中行軍案内者顕彰碑、あるいは東道旌表碑とうどうせいひょうひ八甲田はっこうだ山雪中遭難事故に関連する碑文だ。
 この石碑があるのは駒っこランドを出て県道118号を左側に進み、突きあたりの県道40号を左に曲がってすぐのところだ。市街地とは反対側になるが、駒っこランドからは車で5分もかからない。因みに県道40号は十和田と八甲田山を結ぶ道路でもある。

 八甲田山雪中遭難事故の詳細は上記の八甲田山行軍資料館の記事を読んでもらうとして、映画などにもなっているのでご存知の方も多いだろうが明治時代、八甲田山で陸軍の訓練中に大量の犠牲者を出した遭難事故が発生した。
 この時、遭難した青森隊と同時期に、更に長距離を少人数で行軍しつつも1人の犠牲者も出さずに生還した弘前ひろさき隊が存在する。
 青森隊に対して弘前隊が生還した理由の1つとして「弘前隊は冬の八甲田に詳しい案内人を雇っていたから」というものが挙げられるのだが、この雇われた案内人は三本木のマタギの若者たちだった。彼らを讃えるのがこの雪中行軍案内者顕彰碑だ。

雪中行軍案内者顕彰碑周辺は綺麗に草が刈られており
地元の人たちから大切にされていることがわかる。
因みに台座部分は老朽化のため
10年ほど前に取り替えられたようだ

 無事生還した弘前隊が英雄として扱われた一方で過酷な道中を街が見えたら置き去りにされてしまうなど案内人達の扱いは杜撰なもので、凍傷を負い中には歩行できなくなるほどの重傷を負ってしまった者、後に若くして亡くなった者もいたという。
 青森隊の悲劇とほぼ時を同じくして起きていたもう1つの悲劇は、有名な小説などでは美化して書かれていることも手伝ってか事故の知名度に対してあまり知られていない。

顕彰碑横にある看板。
案内人が後年まで青森隊の遭難を目撃したことを語らなかった話は
当時から現在まで美談として語りつがれている

十和田市馬事公苑 (駒っこランド)
住所 :青森県十和田市大字深持字梅山1-1
開苑時間 : 8 : 30〜18 : 00
     (11月〜3月は17 : 00まで)
称徳館開館時間 : 9 : 00〜16 : 30
        (入館は16 : 00まで)
駒っこ牧場開場時間 : 10 : 00〜15 : 00
交流館開館時間 : 9 : 30〜17 : 30
     (11月〜3月は16 : 30まで)
休苑日 :毎週月曜日(祝日の場合は翌日)
    年末年始(12/29〜1/3)
称徳館入館料 :一般 310円
       高校生・大学生 105円
       中学生以下 無料
                    (団体料金あり)
アクセス :十和田市中心部から車で約15分
     七戸十和田駅から車で約20分
     八戸駅から車で約50分

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