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【岩手県北上市】今熱い北上市で「みちのく民俗村」の古民家量に圧倒されてほしい

  岩手県北上きたかみ市は、岩手県南部にある町だ。
 鬼剣舞おにけんばいで知られる「鬼の町」であり、郊外には鬼専門の博物館「鬼の館」を有することでも知られている。

 最近ではポケモンSVのDLC「みどりの仮面」の舞台であるキタカミの里のモデルが恐らくこの町であるほか、呪術廻戦じゅじゅつかいせんでも非常に印象的なシーンで大きく取り上げられた。

呪術廻戦内では「地元民以外知らない」と言及された鬼剣舞。
ポケモンのモチーフになる前の知名度が窺い知れる
北上駅東口と西口を繋ぐ連絡通路
連絡通路は中々広い。
さくら野百貨店は西口側にある

 駅周辺は北東北の中では比較的開けている北上市であるが、中心街から少し離れると自然豊かな場所が広がっている。
 特に北上川の河畔にある北上展勝地は春には桜の名所として知られる場所なのだが、このすぐ近くに「みちのく民俗村」という場所がある。

 主に中心となっているのは、岩手県内の各地から移築された古民家である。
 一応、古い民家を移築した施設そのものは九戸くのへ村にあるふるさと創造館など北東北各地に存在している。

 しかしこのみちのく民俗村は規模が凄まじい。7万平方メートルの敷地の中に茅葺かやぶきの民家だけで10棟、他にも北上市立博物館や現在資料館になっている旧黒沢尻くろさわじり高等女学校など他の施設なども含めると、計28棟もの建物が軒を連ねている。まさに「村」という規模が相応しいボリューム、いや古民家のわんこそばだ。
 しかも入場は中にある北上市博物館を除いて無料である。
 更に岩手県の面積は北海道に次いで全都道府県中で2位。その広さ故に気候上も地域性に富んでいることに加え、南部藩と伊達藩の間に位置し、地域ごとに特徴ある住居が存在しそれらが展示されている。
 そのボリュームゆえに今回はあえて、こうした移築・復元された民家や邸宅に絞って紹介したい。なお、北上市立博物館などについては後日別の記事にて紹介する。

駐車場近くにあるみちのく民俗村の看板。
今はなきニュージーランド村などと違い
本当に村と言えるような規模である
駐車場の真横の坂を登ると陣ヶ丘がある。
桜やツツジの季節には北上川の景色がより一層美しく見える
北上市は様々な歌人と縁深く
現代詩歌文学館という施設も有する。
みちのく民俗村周辺にも句碑や詩碑が点在している
民俗村入り口にあるバッタリ。
水が溜まると先端の杵が下がって
真下にある穀物を突くようになっており
かつてはこれを利用して精米や製粉をしていたらしい

 まず駐車場にあるのは今野こんの家住宅
 江戸時代の終わり頃、現在の奥州市に建てられた商家だ。比較的整備された場所の通り沿いに建てられた家であり、言ってしまえば街中の店舗兼住宅として作られた家である。比較的都市部の住宅ということもあってか、この住居は他の住居とは少し離れた場所に位置していた。

旧今野家住宅外観。
北上市の指定文化財とのことだ
元々通りに面している場所は商店だったことを活かし
以前は受付にも利用されていたが
現在は向かいにある休憩所にその役割を移している。
この日は無料で飲める水が設置されていた
傘などもここで貸し出されている。
屋外がメインの施設なのでありがたい
店舗の奥は住宅になっている。
北上市というだけあり鬼剣舞の仮面が飾られていた
作られたのが比較的最近ということもあり
住居スペースは現代の感覚でもかなり快適だ

 今野家の前を右手に進み、坂を登ると北上市立博物館がある。その途中に右手に登るとこれまた坂があり、続いて向かう旧菅野すがの家住宅はこの先にある。
 地図上ではかなり近く見えるが、実際は少し高低差がある。

北上市博物館へ向かう坂
北上市立博物館。
ここも面白かったが、ここについての記事は後日
博物館の向かいにある坂。
上に見えるのが旧菅野家住宅だ。
みちのく民俗村では坂や道などに名前がつけられており
この坂は金精様昇り道の名がつけられている。
写真左側にあるのが金精様だ

 金精様こんせいさまは見てわかる通り男性のシンボルを模した形をしており、村の境や辻などを守るとされる道祖神の一種だ。道祖神の形状は地域によって異なるが、岩手県内では金精様 (金勢様とも書く)と呼ばれるこのタイプが多いようだ。

 そして坂を登った先にあるのが旧菅野家。北上市内でも伊達藩と南部藩の中間あたりに作られていた建物だそうだ。
 こちらは1720年に作られた記録が残っているらしく、先ほどの旧今野家住宅よりも更に100年以上昔に建てられた家らしい。
 岩手県内にある建築された年がわかっている古民家では最も古いものらしく、こちらは国指定重要文化財である。
 大胆煎おおきもいりという村の役人の家だったとのことでかなりの豪邸だ。

旧菅野家住宅外見。
写真では分かりにくいがかなりの広さだ
近くにある説明の看板。
薄暗いのは当時存在した窓税 (間口税)対策らしい
もちろん中にも入れる。
中では以前ごのへ郷土館に関する記事で触れた
南部裂織の道具などが展示されていた
前述した窓税のために窓は少ないが
現在は照明が設置されている。
とはいえ当時はかなり不便だったことだろう

 更に坂を登っていくと、今度は宝珠院ほうじゅいんという修験道の一派の道場 (祈祷場) だった建物が現れる。こちらは江戸時代に建てられたもので北上市でも伊達藩側にあったものが移築されたものらしく、かつてはどの村にもこういった道場があったものの明治時代に廃仏毀釈の煽りを受けてほとんどが失われてしまったのだという。
 北東北を調べていると各地に修験道にまつわるものがあり、特に庶民の間ではかつてはそれだけ盛んに信仰されていたことが窺える。

宝寿院と説明看板
この建物については中に入れないので注意だ

 更に坂を登っていくと、道中に馬頭観音ばとうかんのんを祀った石塔がある。
 馬が農民の生活に欠かせなかった時代、馬にまつわる信仰もまた盛んだった痕跡だ。

馬頭観音を祀った石塔

 そして坂を上り切った先にあるのが、仙台藩寺坂御番所せんだいはんてらさかごばんしょだ。
 南部藩との境界にあり、ここで出入りする人や馬や物資などの監視を行っていた関所だ。現在の国境のように、道路ごとにこういった関所がそれぞれの藩に作られていたらしい。
 交代制で勤務していた場所であり、住居ではないので決して大きい建物ではないものの、武家屋敷に近い建築方法が見られるとのことだ。

仙台藩寺坂御番所の説明看板
うまや。
建物の大きさに対して結構な広さだ
少し暗いがこちらも住居スペースは比較的快適だ

 この御番所は移築されたものだが実際にこのあたりはかつての伊達藩と南部藩の境界地点だった場所だ
 御番所のすぐ正面には小川が流れているのだが、この小川の手前側が南部藩、奥が伊達藩だったらしい。

御番所前にある小川。橋を渡ると向こうは伊達藩である。
木に半分隠れてしまっているが、左上にあるのは旧お駒堂。
金ヶ崎町にある駒ヶ岳の山頂に
かつて存在したお堂を再現したものだ。
現在現地にはコンクリート製のものが設置されている
領境塚の看板
この辺りにははさみ塚もある

 ここからは下り坂だ。
 まず現れるのは旧大泉おおいずみ家住宅。北上市の口内くちないという場所にあった、1817年に建てられたと伝わっている住宅だ。
 口内はかつて要害と呼ばれる重要拠点だった場所で、浮牛城ふぎゅうじょうという城もあった。この家は浮牛城の城主の家老を務めていた一族の家で、典型的な武家屋敷らしい。

大泉家外観
庭木も美しく整えられている
説明看板とかつての口内の様子
もちろんここも中に入れる

 この先は先述した黒沢尻高等女学校の校舎を利用した民族資料館 (詳細は北上市博物館と合わせて後日)や体験工房が続く。

民族資料館。こちらの詳細は後日
ガス釜などが設置されている体験工房。
みちのく民俗村では陶芸や地元の伝統料理など
様々な体験ができるイベントをかなりのペースで開いている。
みちのく民俗村を歩いていると
地元の人と思わしき人が散歩しているところとも
よくすれ違い、地元の人々の憩いの場でもあることがわかる

 そして坂を下り切り、再び平地が広がる地点で目に入る景色は中々に壮観だ。
 この辺りは古民家が特に集まっている場所であることに加え、畑や池などもありまるで江戸時代の北東北にタイムスリップしたような感覚さえ覚える。
 実際はこれらの家一軒一軒は元々建てられていた地域ごとの特徴があり、しかも豪邸とされるものがほとんどなので当時の光景そのままとは言い難いパッチワークのようなものだ。それでもこれだけの数の古民家が並んでいる景色というのはなかなか見ない。

まさに村である。
写真では伝わりにくいが歩いてみると中々にインパクトがある

 さて、坂を降りて最初に左手に見える住宅は旧菅原すがわら家住宅 (豪雪農家)。隣にある古民家も元々菅原姓の一族が住んでいた為、区別するためにこちらは豪雪農家、隣は県南民家とつけられている。
 明治時代に建てられた住宅で、こちらは旧湯田ゆだ町 (現西和賀にしわが町)から移築された住居だ。
 これまでの民家は平野部に建てられたものがほとんどであったが、この住居があったのは秋田県との県境にも程近い山間部の豪雪地帯だ。

旧菅原家住宅 (豪雪農家)外観。
明らかにこれまでとは雰囲気が異なる剛健な雰囲気だ。
実際、3メートルにもなる豪雪に耐えられるよう
かなりしっかりとした作りになっている
説明看板。
やはり馬の世話が前提となった作りだ
入ってすぐの場所にある薪の数々
かつての湯田の写真も中に展示されていた

 そして隣にある旧菅原すがわら家住宅 (県南民家)の方なのだがこちらは小川の向こう、つまりかつての伊達藩領にある。

(かつての)国境越えの旅路 (徒歩30秒)

 こちらの旧菅原家住宅は、現在の一関いちのせし市から移築された建物で江戸時代中期に建てられたものとのことだ。
 こちらは伊達藩の上層農家の家であると同時に、屋敷内に金烏きんからす神社を祀っており祭祀も務めていたという。
 金烏神社ができたきっかけはこの屋敷で砂金が取れたことに由来しているらしい。東北地方で砂金といえば現在の宮城県北部で日本で最初に砂金が産出し、この金が東大寺の大仏に使われたり遣唐使の滞在費として使われたと言われている。この金は北上山地に由来するものだと言われているので、もしかしたらここで見つかった砂金も同じ場所から流れてきた金だったのかもしれない。

旧菅原家住宅 (県南民家)外観
旧菅原家住宅 (県南民家)説明看板
立派な家ながら、みちのく民俗村でも
古い建物ということもあり素朴さを感じる作りだ

 続いての古民家である旧佐々木ささき家住宅も同じく一関市から移築されたもので、タバコを栽培していた農家のものだ。
 現在は喫煙者もめっきり減り (かくいう自分もたまにVAPEを嗜む程度だ)生産量も年々減少しているタバコだが、かつては換金作物として盛んに栽培されていたという。
 ちなみに都道府県単位でタバコ栽培が盛んなのは熊本県などの温かい地方だが、市町村単位で日本で一番タバコの栽培量が現在多いのは岩手県の県北にある二戸にのへ町らしい。

旧佐々木家住宅の説明看板
中はタバコを乾燥させるため広々としていて風通しが良い。
夏場は快適だが、冬はそれなりに過酷な環境だっただろう
邸宅の前には実際にタバコが植えられている
訪れた時には実が膨らみ始めていた。
これほど間近で見るのは初めてだった

 向かいにある旧小野寺おのでら家住宅は、うって変わって岩手県の県北である八幡平はちまんたい市から移築された住居だ。
 明治時代に建てられたものだが、母屋の中に厩があり、長方形の直屋すごや造りであり同じく岩手県北の古民家を移築した九戸村のふるさと創造館と近い作りをしている。

小野寺家住宅があるのは南部藩側。
再び国境越えだ
小野寺家住宅の説明看板
入ってすぐにあるのはもちろん厩。
ふるさと創造館とは建てられた地域も年代も近いのだが
20年から30年程度しか離れていないにも関わらず
こちらの方がかなり古風な印象を受けた
旧小野寺家近くにある建物はトイレ。
雰囲気を壊さないようにしている

 そしてトイレの隣には、小さな建物がポツンと一軒だけ建っている。
 この建物はがん小屋という建物で、葬儀道具などはここにしまわれていた。死を穢れとして忌避する感情から、独立した建物が作られていたらしい。

がん小屋。
かなり小さいのだが、遠目からもよく目立つ場所にある
中には葬儀に使われていた道具が展示されている

 さらに進むと左に見えるのは、遠野市から移築された旧北川ほしがわ家住宅。江戸時代中期に建てられた由緒ある山伏の家なのだが、なんと遠野物語に登場する北川清の家であり、柳田國男など名だたる民俗学者が実際に訪れた家なのだという。
 まさか現存し、しかも北上市に移築されているとは思ってもいなかったので非常に驚いた。
 造りとしては典型的な曲がり屋であり、直屋とは異なり出っ張った部分で馬が飼育されていた。

旧北川家外観
旧北川家住宅の説明看板。
遠野物語に登場した話の舞台の地図もある
この家では実際にオシラサマも祀られていた。
そしてオシラサマと縁深い馬の姿も看板ながらあった
この家の庭もかなり綺麗に手入れされている
旧北上家住宅の手前には
マセ小屋と呼ばれる北上地方から遠野地方で
かつてよく見られた小屋があるのだが
行った時ははビニールシートで覆われていた。
屋外で穀物を乾燥させ、中で脱穀するための建物だそうだ
北上家の手前には演舞場もある

 そしてぐるりと回って戻りながら、最後に見える大きな民家は旧星川ほしかわ家住宅。
 盛岡もりおかから程近い矢巾やはば町から移築された古民家でこちらも曲がり屋だ。

旧星川家住宅外観
中の様子。
時代を感じさせる作りだ
駐車場から近く、さらに広さもあることからか
昔のおもちゃなどがたくさん置かれていた
馬が飼育されていたスペースでは
現在ヤギが飼われているらしい。
この時は外に出ていたらしく会えなかった

 移築された古民家は以上だが、駐車場に戻る途中には竪穴式住居が並んでいる。こちらは再現された建物で、平安時代に庶民が住んでいた家だ。
 平安時代の建築というと貴族の住んでいた寝殿造りが有名であるが、実際に庶民、つまりほとんどの人はこういった場所で暮らしていたのだ。

竪穴式住居。
広さも過ごしやすさも800年で大きく変わった

 さて、古民家の量とそれぞれの濃さの素晴らしさを長々と解説したが、みちのく民族村は何より雰囲気のいい場所だった。
 豊かな自然に囲まれている上に先述した通りこの辺りの人々の憩いの場にもなっており、多少高低差こそあるものののんびりとした時間を過ごすだけでも楽しい場所だ。

 ここ数年の間で様々な作品で取り上げられ、今熱い (気がする)北上市。聖地巡礼の折には、こういった場所も訪れてみてほしい。

みちのく民俗村
住所 : 岩手県北上市立花14 地割62 −3
入場料 :無料
   (北上市立博物館のみ有料)
営業時間 : 9 :00〜17 :00
休業日 : 4月1日から11月30日までは無休
    12月から3月までは毎週月曜日
           (祝日の場合はその翌日)
           年末年始 (12月28日から1月4日)
アクセス : 北上駅から車で15分
     いわて花巻空港から車で45分



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