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自己紹介(主に服について)

改めまして自己紹介します。
kaninohiことカニと申します。カニと呼んで下さい。
団塊ジュニアの40代。子どもが小学生から高校生まで3人おります。
読書やアート鑑賞、旅行など好きですが、主に今回は、服の歴史が自己紹介です。

ファッション通信を中学生から見ていた田舎の服好き娘。
塾に通う時は、毎日違うコーディネイトになるようにその日のファッションをメモしていたという自意識過剰気味な性格。
とにかく人と同じ格好や持ち物は嫌で、シャーペンも樹脂で作って自作したものを愛用。高校生でも校則ギリギリにベージュの麻のハイカットシューズとか、誰も学校に履いていかないようなものが大好きだった。
進学は、もちろんファッションデザインコース。専門学校卒だと高卒になる?のが嫌で、芸術短大へ。
入学式はマサキマツシマの奇天烈なファッション。クラスメイトはおしゃれでハイセンス。夏休みのバイト代でY'sのコートを買う。近所の子どもに「魔女が来た~!」と言われる。基本的にトラッドが好き。
卒業の冬に、学校主催の世界一周旅行なるものに参加。ロサンゼルス、ニューヨーク、ローマ、フィレンツェ、ミラノ、パリを約2週間で巡る。
それまでに行った海外は、シンガポール、マレーシア、香港。海外旅行にその後ハマル。

就職氷河期に唯一採用された会社へ入社。婦人服の販売へ。販売はこの1社のみしか受けておらず、後はアパレルやウエディングの企画デザイン等受けていた。生意気にもMDになりたいと言ったら、学校が紹介してくれたのに、低価格量産ブランドだから受けず。世間知らずで実力と頭の中のやりたいことが短大の2年では全く出来ていなかった。短大は実質1年ほどで就活するのでパターンも思うように引けなかった。

販売はしたいことでもなかったのに、はじめから売れまくる。面白すぎて夢中になる。1年目から全国転勤し、駅ビルのオープニングスタッフを2度経験。3年で6店舗の異動の中で、店長職は入社2年目から3店舗。
最終的に23歳で、全国約30店舗のうち全国1、2を争う関西の一番店の店長へ。

その後会社が解散し、大手アパレルへ転職。社ではじめての駅ビル直営店舗の店長へ。その後、百貨店でブランド変え配属され、売れに売れまくる怒涛の半年。スタッフ3人、フロアで一番の売上。百貨店優待除外ブランドなのに、優待の日はなぜかまたフロアで一番売れる。(ブランドの商品作り、企画力が素晴らしかった)

1年で退職し、恩師の先生のご縁で、25歳の時、ハイブランドのセレクトショップへ転職。
すぐにセカンドショップの店長になり、パリコレクションとミラノコレクションへ買い付けに同行。MARNIなど買い付けてました。子どもの頃にファッション通信を見て憧れたファッションショーを生で見れる日が来るなんて!と夢のような経験をさせてもらった。(この時の話はまた別の記事にします。)
遠距離通勤、体調不良で2年弱で退職。

そこから、「元販売員の事務経験なしの私の事務職までの道」に続くのである。

実は、服の仕事を離れてから、何を着て良いのか良くわからなくなった。子どもも出来たし、例外なく30代は特におしゃれ迷子突入だった。変にハイファッションを知ってしまうと、世の中全部コピーに見えて、何も買えなくなった。20代でマノロブラニク、ジルサンダー、マルニ、ドルチェ&ガッバーナ、マルタンマルジェラ、ドリスヴァンノッテン。普通の仕事してたら買えないし着れない。ヴァレンティノで働いてる子はプライベートは、ハイブランドの古着を着てると聞いたことがあった。わかるわ。

現実は本当に厳しく辛い。お金もないし、その後は、地元で生活していけるなじめる服、自分がどんなファッションが好きだったか、思い出せない期間だった。今は割と好きなもの、見えてます。

アパレル業界を離れたのは色々理由がありますが、また別記事にします。

まとまりない自己紹介、最後まで読んでくださった方、ありがとうございます☆



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