見出し画像

「雨の思い出」で一句

甘酒が夏の季語と知り、久しぶりに俳句に挑戦したくなりました。
きっかけは甘酒ですが、梅雨の季節にかけ、お題を「雨の思い出」にしての挑戦です。

真っ先に思いついたのは、天日干しをしている傘で遊ぶのが好きだった、幼き日の自分でした。
雨上がりの天気の良い日、家族人数分の傘がぱぁっと広がる様子が楽しくて、開いた傘の幾つかで円陣を組み、円陣の真ん中にできた隙間にしゃがみ込むのがたまらなく面白くて、繰り返し遊んだことを覚えています。
想像力でできていた私にとって、それはまるで小さな傘の家だったのです!
小さな体でなければ入れない隙間ですから、小学校に上がる前後の記憶なのでしょう。姉と妹も一緒だったのかどうか……。おそらく一人だったような気がします。
そういえば、傘が干されている光景をあまり見かけなくなりました。
濡れた傘は干してから傘立てに入れる私も、外で傘を干すことがなくなりましたし……。

次に思いついたのは、中学校2年か3年生だった時、母親とケンカして、ふらっと家を飛び出し、夏の激しい夕立に遭遇したことです。
夏休みだったと思います。
突然降りだした激しい雨から逃れ、町外れにある開店前のスナックとおぼしき店の軒先で雨が止むのを待っていると、雷までもがとどろきだして――。
このまま自分は雷にあたってしまうのではないかと怖くて怖くて、自分の両手で自分を抱きしめて空を見上げたというほろ苦い思い出です。夏の夕立は通り雨。雨があがった後、私はどんな顔で家に帰ったのやら……。
余談ですが、高校1年の夏休みにも激しい雷雨に遭遇したことがあります。
男子部員はそれなりの人数、女子部員は1年生4人のみという山岳部に入部して初の夏合宿で、テントの中、女子4人、肩寄せ合って(正しくは寝袋にくるまりながら)雷雨が過ぎるのをじっと待ちました。
令和の時代、山岳部が存続する高校はどれだけあるのか……。私が在籍した母校の山岳部はすでにもう存在していません。

最後に思いついたのは、これもまた中学生の時の話です。
家族みんなで父が運転する車に乗って、地元のホームセンターに行ったのですが、買い物の途中、生理痛で気分が悪くなった私は先に車に戻って、後部座席に一人座り、雨粒が車の窓をつたって落ちるのを眺めていました。
それだけのなんの変哲もない出来事です。
なのにどうしてこんなにも明確に覚えているのか不思議ですが、「梅雨時は生理痛がひどくなる」と母から習ったのが多分この時で、面倒だな、嫌だな、と思ったことが一緒くたになって心に残ったのだと思います。
これもまた余談ですが、昭和も平成に近づいていたその時代に、父の車は日産と合併前プリンス自動車の2代目スカイラインでした。
しかも私が12になる年、父は母に内緒で昭和43年の2000GTRを購入。プリンスの方は日常使い、母も軽のアルトを買ったばかりで、「こんな車どうして……」と嘆く母に「これは車じゃない、マシーンだ」と普段は無口な父が一言。このときは、いつも前向きな母もしばらく立ち直れませんでした。

以上、断片的な3つの思い出。
「梅雨晴れ」「夕立」「梅雨」はいずれも夏の季語。どれにしようかと迷い、今回は「梅雨晴れ」の思い出に決めたところで――。

お題から一句。

梅雨晴れに家の干し傘たわむる子


***

「たわむる子」を当初は「たわむる子ひとり」として自由律俳句みたいだったのですが、読み返しているうちに「たわむる子」に落ち着きました。

***

noteを始めた頃に、母娘孫三代が登場する1800字ほどのショートストーリーを公開しましたが、孫のかな子のモデルは天日干しの傘とたわむれていた頃の私です。新聞に掲載された85歳女性の短い文章に感銘を受け、母方の祖母を想って書き上げました。

家族のことを話すのはニガテでも、実家にいた頃の思い出は、自分にもちゃんと”そんな時”があったと思える良い機会になりました。
これを機にちょっとずつ、家族のことにも触れてみたいような気持ちが湧いてきました。でもその前に、まずは目標であるPhoto俳句にチャレンジ!
ゆるり、年内の投稿を目指しています。

*** 

【追記】
いつもだったら、「年内の投稿を目指しています」で The end のところ、本日はあともう少し続けたい気分になりました。

一つは、雨宿りした町外れのスナックとおぼしき店についてです。
先月、GWに帰省した際、久しぶりにその道を通る機会があったのですが、思い出の場所には真新しい家が建っていて、それがなんとも感慨深く、今回のお題はそんな深層心理が大きく働いたものと思われます。

そしてもう一つ。父の車に対する姉と私の温度差です。
家を継いで両親と同居、新たな六人家族でヒマワリみたいな存在の姉が、父の車を良くは思っていなかったこと。父の「マシーン」発言を、家族の中で姉だけは笑い話にできなかったこと。私だけがずっと知らずにいました。

「カニナ姉ちゃんは、離れて暮らしているから……」と、良い頃合いに地元にUターンした妹に言われたことがずっと心に引っかかっています。
妹に悪気があったわけでもなく、すべては私の深読みしすぎる性格が原因なのですが……。

英語では大人になると兄弟のことを単にbrother/sisterと呼び、自分より年上であるとか、年下であるとかとは無関係だ。だから、たとえば老人になっても「兄」「弟」「姉」「妹」と呼び合う日本人の感覚とは異なる。

ロバート・キャンベルさんが、石川啄木の姉と弟が登場する歌を英訳した際に上記意見を述べられていますが、私たち三姉妹は「姉」「妹」と呼び合いながらもどこかアメリカナイズされた関係かもしれないと拡大解釈。
「見た目はアジアン、時々アメリカン!」と唱えれば、長年の心の小骨もとれそうな気がしますが、これは、次回の記事で啄木の歌を題材にするため、参考資料を探していて出会えた副産物です。

明日は父の日。
片道約2時間20分の高速バスに乗り、私の元気な顔を見せに家に帰ります。
買ったばかりの、きれいな藤色の夏ニットを着て、娘の顔で家に帰ります。
日帰りのため、滞在時間はわずか6時間ですが、ふつふつと楽しみです。
観光地と観光地を結ぶ高速バスであるゆえ、最近は乗客の9割が外国の方となっていますが、想像力でできている私は海外旅行の気分になれるあたり、干し傘と戯れた子どもの頃からまったく変わっていません。

追記が長くなりました。
自分の中では、「俳句に挑戦する記事はなるべく短め」をモットーとしているのですが、今回ばかりは例外です。
次回からは「俳句をしゅ」とするスタンスに戻りますので、どうぞよろしくお願いいたします。


この記事が参加している募集

#noteの書き方

29,474件

#つくってみた

19,676件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?