カニナ

風景写真を撮ることと文章を書くことが大好きです。 時々俳句も詠んでいます。

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マガジン

  • my俳句あれこれ

    自身の俳句や俳句に関する”あれこれ”をまとめてみました。

  • my青い手帳より

    愛用の青い手帳メモをヒントにした記事をまとめてみました。

  • my music

    「音楽を伴う記憶」や「好きな音楽」についての記事をまとめています。

最近の記事

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willy-nilly! 行きあたりばったりも、たまにはいいね

本を読むのと同じくらい英語を学ぶのが好きです。 英語でどうこうしたいとか明確な目的はないのですが、「そうか、そうなのかぁ」と感嘆するような言い回しを知ると嬉しくなります。 特に、これまで勉強してきたことが覆されたときなどは、感嘆の度合いも大きく跳ね上がり、この感嘆こそが私が英語を学ぶ理由です。 たとえば、She is my friend.は、ネイティブの人には、なんとなくよそよそしい感じがして、This is my friend.の方が自然な感じと知ったときの驚き。

    • 夏の木陰で一句

      信号を待つつかの間の夏木陰 うだるような暑さの中、建物の影ができる方(片陰)の道を選んで歩き、陰が途絶えた交差点で運よく木陰が見つかれば、そこはつかの間の避暑地となります。 ――そんな木陰のひと時。 休日の昼下り、食材をまとめ買いするスーパー近くのバス停では、学生とおぼしき女子二人組が木陰でバスを待っている姿が、のんびりと寛いでいるように見えました。 二人とも手にはスマホで、各々スマホの画面に見入っているのですが、時は流れても、古今東西、人は木陰で休み、それが今も脈々と続い

      • フジコ・ヘミングさんフォーエヴァー

        フジコ・ヘミングさんの訃報が報道されたのは先月の5月2日。 今年の3月から療養中で、4月21日に逝去との急な事態は、近親者のみで執り行われた葬儀後の公表となりました。 フジコさんの公式サイトで「神の御許に旅立たれました」と記されていた【ご報告】を目にしたとき、天国や神さまについて語っていらしたフジコさんの声が耳に浮かんで、わたしはやっと永遠のお別れを実感しました。 ◇ フジコさんの演奏、フジコさんのことばにオイオイと魂が震えた一人として、ここにフジコさんのドキュメンタリー

        • 「なるほどな」な世界

          最近、停滞気味となっていた英語の勉強を再開しました。といっても、独学の、ゆるりとした勉強です。 過去に2回ほど駅前留学しましたが、会話らしい会話を果たせないままの帰国(?)となり、今にいたっています。 英語を学ぶのが好きな理由を過去記事から引用してみました。 そして、この頃お気に入りの勉強方法が、写真の本を利用した、名付けて「文法も単語もまとめて覚えよう作戦」です。 本のサイズが分かるよう、横にシャープペンを置いてみました。 本を開いた最初のページに記されているとおり、

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        willy-nilly! 行きあたりばったりも、たまにはいいね

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        記事

          涙にまつわるエトセトラ

          前々回『"泣いてもいいやん!"な曲』、前回『泣くわたし』に引き続いての今回、最終回です。短いながらも、いつかは挑戦してみたかった三部作。 タイトルを「泣」の字で揃えたかったのですが、迷いに迷い『涙にまつわるエトセトラ』に決定。聴くと元気になれるPUFFYの曲の「渚」を「涙」に一文字変えて、涙にかんする諸々をまとめてみました。 涙と泪とさんずいへん この際だからと、”涙”と”泪”を漢和辞典で調べてみました。 泪という字を目にしたときにチラリと頭をよぎる、”涙”と”泪”の違い

          涙にまつわるエトセトラ

          泣くわたし

          前回の記事『”泣いてもええやん!”な曲』で予告しました『泣くわたし』ですが、あれから3週間が経とうというのにタイトル以降の入力が一向に進みません。あれもこれもと思うことが湧いてきて、どこから手をつけていいのかまったくお手上げ状態なのです。 もうこうなったら、思いつくまま気の向くまま入力してみよう! と都合のいい言い訳を見つけたところで、Here we go ! 思いつくまま気の向くままいってみます。 *** 内弁慶を少しもじって、内泣きっ子なる造語を思いついた。 子どもの

          泣くわたし

          ”泣いてもええやん!”な曲

          いつか、京都に関係することを書きたいと思っていました。 ただ、その糸口が見つからず、ずっと手つかずのままでした。 何といったらいいのでしょう。 親元を離れ、京都で過ごした学生時代の記憶は色濃くあるのに、それは幻みたいに断片的で話が広げられなかったのです。 漠然と、最初に京都のことを記事にするなら京都ゆかりのバンド「10-FEET(テンフィート)」か、ご近所だった「右京区中央図書館」のどちらかだろうとは思っていて、あとはそのタイミングを待つのみ……でした。 そして、新生活の雰囲

          ”泣いてもええやん!”な曲

          桜の花を撮るのはここまで

          3年前の春、「桜の花を撮るのはここまで」と決めました。 そんな決めごとが必要なくらい、桜の花の撮影にいそしみすぎて、のんびり桜を眺めることを忘れがちだったからです。 今は、桜の花を撮るも撮らないも成り行きまかせ――の気持ちでいますが、余程いそしみすぎた反動なのか、もう少しこのままでいいかな、というのが本音に近い気もします。 昔の人の歌と句をお借りすると、写真を撮るのにいそしんでいたときは、 ”世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし” だったのに対し、意を決して桜の

          桜の花を撮るのはここまで

          赤毛のアンでGo!

          先日は『何度だって、赤毛のアン』にて、わたしの好きな場面を熱弁しました。今回はそんな一冊、『赤毛のアン』から影響をうけたこと。『赤毛のアン』で試してみたかったこと。この2つに焦点をあてたいと思います。 *** ◇ 影響をうけたこと それはズバリ、”紫水晶(アメシスト)”と”ばらの花”です。 いかにもアンらしい表現ですが、こうして記事にすることで、ある共通点に気がつきました。それは―― と、どちらも、美しいものの名前にこだわるアンの一面が垣間見えるのです。紫水晶のくだ

          赤毛のアンでGo!

          何度だって、赤毛のアン

          つねづね、『赤毛のアン』は大人の読み物でもあると思っているのですが、今回の投稿にあたり、こんなにも知りつくした本をWikiでちらりと見てみたところ、なんだか嬉しくなることが書かれていましたので、嬉しかった部分を太字にして引用してみます。 そしてこれは、わたしが持っている新潮文庫『赤毛のアン』の訳者あとがきでも触れられていることですが――。 と、ありがたくなったところで、本日は感謝の気持ちを込めて『赤毛のアン』です。なぜ本日なのかは、”おわりに”で後述します。 アンを知っ

          何度だって、赤毛のアン

          そういえば、そう。

          日々の生活の中で、「そういえば、そう」を体感することがあります。 そして、この「そういえば、そう」は、シンプルであればあるほど説得力が増し、わたしの中にストンと落とし込まれます。 とくに記憶に残っているのは「押して駄目なら引いてみな」で、文字通り、ドアを押しても引いても埒があかなかったところ、横にスライドしてみたら無事に開いたという実体験です。厳密には「押しても引いても駄目ならスライドしてみな」となりますが、言おうとするところは同じです。 「あれ?あれ?あれ?」ぐらいで済ん

          そういえば、そう。

          梅と小鳥で一句

          梅の花とまり木となる小枝かな 梅の花の細い小枝も、小鳥にとっては立派なとまり木になることに感動し、その気持ちを詠んでみました。 *** 春告げ鳥と呼ばれるウグイスを意識して最初に浮かんだのは、「梅の花ちらりと顔だす小鳥かな」でした。 ただ、「小鳥かな」の「小鳥」になんとなく違和感を感じて調べてみたところ、小鳥は秋の季語だと知りました。 多分、わたしの感じた違和感は、「梅の花」と「小鳥」は春の二重季語になるかもしれないという心配だったのですが、まさかの季重なり(一句に季

          梅と小鳥で一句

          わたしの思う”世相”曲

          わたしは車に乗っているときにラジオをよく聞きます。 自分の車を持っていた時期もありましたが、一度手放してからはすっかりペーパードライバーで、今は相方の運転する車の助手席に座り、ラジオを聴きながらドライブするのが楽しみの一つです。 家でも、たまに、ラディコ(radiko)でラジオを聴くこともありますが、わたしのラジオの時間はだいたい車の中となっています。 昨今は、楽曲をスマホに認識させて曲名を検索できますが、そんな便利機能がなかったときは、ラジオで聞き逃してしまった曲名を調

          わたしの思う”世相”曲

          エンドロールで広がる世界

          昨年といっても、2ヶ月前の11月に、わたし史上初のゴジラ映画を観てきました。 タイトルは『ゴジラ-1.0』。 山崎貴監督による泣けるゴジラ映画との評判どおり、2回ほど目頭が熱くなりました。 その一方、橋爪功さんのわずか数秒だけの登場に驚き、エンドロールではどのように表示されるのかをチラリと考えてしまう場面もありました。 そしてそのエンドロール。結局、出演者のクレジットから橋爪功さんの名前を発見できずじまいでいたが、この好奇心はわたしだけに限らなかったようで、「ゴジラ-1.

          エンドロールで広がる世界

          好きな文字で一句 feat.ふるさと

          吾のこころ形づくるよ雪と雲 本年最初のnoteは、ふるさとの山をヘッダー画像にすると決めていました。 キタヤマと呼んでいましたが、こうして見ると、小高い丘と呼んだほうがぴったりの風情です。子どもの足でも10分程で登れる山で、神社側から登るとアスファルトの道がゆるくカーブしながら頂上まで続き、住宅地側から登ると途中から土の階段に変わって頂上へと繋がります。 写真は住宅地側から撮影したもので、見た目よりあんがい奥行きがある頂上から神社のある方を眺めると、”小京都”と呼ばれる古い

          好きな文字で一句 feat.ふるさと

          心もとなく白い雪

          メモ魔のわたしが言うのもなんですが、深く共感しました。そしてこれも、忘れないようにと青い手帳に記録していたもので、上記のみを上記順番で記していました。わたしは新聞をとっていないので、どこかでこの記事を目にしたのですが、それがどこであったのかは思い出せません。 理由は、メモをとるときに補足として残すのが”日付”と”参照元”だけだからなのですが、「これをメモしたい」と思った気持ちはメモしていなくても、ちゃんと思い出せます。 このときは、ちょうど「自分がメモしないこと」についてあ

          心もとなく白い雪