くらら

嶋垣くららです。舞台に出演したり、その他活動の記事を書いています。お酒と筋肉が好きです…

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嶋垣くららです。舞台に出演したり、その他活動の記事を書いています。お酒と筋肉が好きです。よろしくお願いします。

最近の記事

一人で出来る事には限界がある。

だけど、一番信じられるし、甘えたり厳しくなれるのも自分自身だったりするので、 他人に自分の心を開き、想いを委ねるには恐怖心があります。 少し演劇から距離を置き、生活環境も変わった今、何故か「他人との繋がり」とか、「心の通わせ方」についてよく考えるようになりました。 舞台に関わっていると仕事の性質上、心の深いところまで語り合う事が珍しくもなかったり、コミュニケーションが密な物になりやすいため、それが無い生活でこんなにも心が置いてけぼりになる感覚に襲われるのだと実感しています

    • ちょっとしたご報告です。

      お芝居と関係ない私的なご報告ですが、 2024年6月24日に入籍しました。 それと、色々思うところがありまして、来月には関東を出て、地方に生活の拠点を移す事になりました。 ここ数ヶ月、転居と転職と結婚の準備をいっぺんに進めていたため非常に忙しない日々でしたが、それでも進んで行動出来たのは、私自身ちゃんと自分の選択に納得しているからだと思います。 今後どうなるかわからないので明言はしませんが、やはり演劇とは、少し距離を置く事になるかもしれません。 完全に離れたい訳ではないの

      • 「言い訳ができない」事について。

        はい、わかりました。すみません。頑張ります。 本当は言いたい事が沢山ありました。 「でも」って言いたくても言えませんでした。 私の身近に、都合の悪い事を言われると言い訳したり、癇癪を起こす人間がいます。 感情的になって否定すれば自分を正当化でき、そして誰も立ち入れなくなります。 私はそれを見るたびに、とても嫌な気持ちになりました。 自分を守る事ばかり優先し、相手が傷ついたって構わない。自身を顧みず周囲の意見を拒絶するのは、自分の問題を他人に押し付ける事と同じだと思ったか

        • 舞台『アウターゾーン』を終えて。

          終幕しました。 とは言え、来月から配信もありますが。 まずは、ここまで本当に長かったです。 元々3年前に上演予定だった舞台で、稽古も一ヶ月ほど進んでいたのですが、ちょうどその年に未知のウイルスがやってきて延期を余儀なくされました。 それから長く再開の見通しが立たない状態だったため、多くのキャストが座組を離れました。 最後まで一緒に走りきれなかった事は悔しかったですし、何だか、寂しいとも違うのですが、一部を失ってしまった様な何とも言えない喪失感がありました。 そういう状

        一人で出来る事には限界がある。

          舞台に臨む"姿勢"について。

          今までこういう話をあまりした事がなかったのですが、ちょっと話してみたくなりました。 人によっては「頑張ってるアピール鬱陶しい」と感じてしまうかもしれませんので、どうか興味のある方だけ読んでいただければ幸いです。 noteの良いところは、そういうところだと思います。Twitterだと、時に見たくない情報も目に入ってしまいますから。 先日、物凄く久しぶりに舞台に立ちました。 ご観劇くださった方々、本当にありがとうございました。 私は本番前、必ずやっているルーティンがあります

          舞台に臨む"姿勢"について。

          美しさは見つけるもの。

          私は写真を撮られる事が苦手です。 はい。俳優として致命的だと思います。 芝居にしてもそうですが、他人からどう見えているかを気にし過ぎるあまり、自然に振る舞えなくなってしまうのです。 鏡を通して自分自身を見つめる時は、良いところだけ見ようとするけれど。 他人は良いところを見てくれる人ばかりではありません。何なら積極的に粗を探し出す人だっています。 ですから悪いところを見つけられ、否定される事をいつも恐れていますし、理想の自分と、誰かのファインダーを通した自分とのギャッ

          美しさは見つけるもの。

          劇場グラフィー撮影会のご案内

          はじめに「劇場グラフィー」とは、新型コロナウイルスの流行を期に立ち上げた、劇場でのポートレート撮影企画です。 舞台活動がままならなかった期間、俳優仲間と劇場で撮影を楽しむ時間は、コロナ禍だけで終わらせるには惜しい、そう思えるほど充実したひとときでした。 この楽しさを是非、多くの舞台好きの方や、写真好きの方にも共有したい。そんな思いから、この度初めての撮影会を開く運びとなりました。 舞台観劇の際、撮影は禁止されている事が多く、舞台上の俳優を観客が撮影できる機会は多くありません。

          劇場グラフィー撮影会のご案内

          嫌われてしまえばいい。

          先日、久しぶりに舞台関係者とサシ飲みをしました。 最近になって気付きましたが、自分は大人数でわいわい飲むより、二人で飲む方が好きなようです。 大勢で話をしている時って、自分が話の中心になるのはどうも気まずくて、つい聞き役に回ってしまうのですが二人なら平等にお互いの話が出来ますよね。「あー、話した!」って充実感が感じられて好きです。サシ飲み。 コロナ禍になってからというもの、ただでさえ積極性がない自分は、更に人と会って話す機会が減ってしまいました。 自分にとって「飲み会」っ

          嫌われてしまえばいい。

          何故「本番」は一回しかないのだろう。

          最近では“緊急事態”って何だったっけ、なんてよく思うものですが、言葉が意味を持たなくなるって実際よくあることで、私達は日頃から言葉の力に依存していたりします。 建前の誉め言葉、謝罪、感謝なんかもそうですし、そのくせ誰かの悲痛さや切実さには鈍感です。誰かにとって都合の悪い話題には「嘘でしょう」なんて見て見ぬフリされる。そんな世の中です。 さて、そんなひねくれた価値観を持った人間がどうしてnoteを投稿しているかと言うと、私自身言葉の力に依存しているし、伝えるのが難しい、経験し

          何故「本番」は一回しかないのだろう。

          私が容姿の褒め言葉を素直に受け取れない理由。

          先日、とある人に 「どうして美人と言われることに、そんなに否定的なのか」と聞かれました。 これは本当に、本当に自慢だと受け取って欲しくないのですが、私は容姿を褒められることが少なくはありません。 そういう時は、決まって「いやいや」なんて返すのだけれど、これには謙遜も、まあ無いとは言い切れませんが、それよりも多分に本音が含まれています。 実際のところ、自分自身の容姿についてどう思っているのかと言うと、 「好きな部分もあれば、嫌いな部分もある」と思っているし、 もっと

          私が容姿の褒め言葉を素直に受け取れない理由。

          言葉の尽くし方を考える。

          学校の課題で、文章を書くことが大嫌いでした。 どのくらい嫌いだったかと言うと、中学生の時、林間学校の文集に載せる俳句で 「きれいだな、ああきれいだな、きれいだな」 とか書いてしまうレベルです。 尾瀬の豊かな自然を、「ああ」と「きれいだな」、たった二つの単語でしか表せないほどに、語彙力がありませんでした。自分の言葉で何かを表現するということに、恥ずかしさもあったのかもしれません。 ↑これは最近行った箱根の山です。ああ、きれいだな。 当時の自分にとって、朝読書はしぶし

          言葉の尽くし方を考える。

          「役を預かる」ということについて。

          「君は、役者タイプか女優タイプで言うなら、女優の方だね」 と、かつて言われたことがあります。 その方が言うには、「自分を役に寄せていく」のが役者タイプで、「役を自分に寄せていく」のが女優タイプなのだとか。 確かに自分は、後者の方だったなと思います。今もそうかもしれませんね。 役と自分との共通点を探しては勝手に運命を感じ、役と自分自身を混同しているような感覚。 日常生活の中から役作りのヒントを探すこと自体、決して悪いことではありません。むしろ、そうするしか無いのですか

          「役を預かる」ということについて。

          「劇場グラフィー」はじめました。④

          劇場で俳優の写真を撮り始めてから、数か月が経ちました。 ついこの間まで、真夏の日差しに耐えながら劇場に通っていたのが、遠い他人事に感じられるくらいに、すっかり寒くなりましたね。 靴下を履いて寝なければつま先が冷えるし、お風呂に溜めた湯はあっという間に冷める。トイレの便座に座ることも慎重になります。 こういった、寒い時期特有の感覚一つとっても、暑いうちは何故か忘れてしまい、季節が廻るたびに体感することで、「ああ、これこれ、この感じ」と思い出すのです。 本当に、時が経つの

          「劇場グラフィー」はじめました。④

          「劇場グラフィー」はじめました。③

          先日、二回目のセルフポートレート撮影をしに、小劇場に行ってきました。 前回は三脚を倒して、今年初めて買ったばかりのミラーレスを壊してしまい、今回はどうなることやらと不安でしたが、何とかカメラは負傷することなく無事に撮影を終えられました。 その代わり、今度は新しく買ったばかりの三脚をぶっ壊しましたが(笑) 一人で不慣れな舞台照明に四苦八苦したり、調整のために脚立やカメラを何度も行き来して、その合間にお化粧を直したり…。 全てをワンオペで行っていると、一日中ずっと動きっぱ

          「劇場グラフィー」はじめました。③

          「劇場グラフィー」はじめました。②

          あの日、幕の袖から見た「光」が、ずっと忘れられません。 それまで、「きれいだな」くらいにしか思っていなかった劇場の光が、すごく特別な、私自身の心も、人生も照らしてくれるような、そんな希望の光に見えました。 何を大げさなことを言っているのかと、引かれてしまうかもしれませんが、本当に、その時にはそう感じられたのです。 何とも言葉にし難いのですが、「私って此処に立っていいのだろうか」という心境でした。あんなに舞台の照明が、キラキラと輝いて見えたことはありません。 23歳にな

          「劇場グラフィー」はじめました。②

          「劇場グラフィー」はじめました。

          劇場グラフィー。 この名前は、フォトグラフィー(Photography)という単語から取りました。 ネットで調べてみたところ、この語源はギリシャ語から来ているらしく、「Photo」は「光」を、「graph」は「描く」を指すことから、「Photography」は、「光で描かれたもの」を意味するそうです。 劇場は、真っ黒で殺風景な空間ですが、そこに創造力を働かせることで、物語を照らし、人物を照らし、観る人の心を照らすことができます。 新型コロナウイルスが猛威をふるう中、つ

          「劇場グラフィー」はじめました。