「劇場グラフィー」はじめました。④


劇場で俳優の写真を撮り始めてから、数か月が経ちました。

ついこの間まで、真夏の日差しに耐えながら劇場に通っていたのが、遠い他人事に感じられるくらいに、すっかり寒くなりましたね。

靴下を履いて寝なければつま先が冷えるし、お風呂に溜めた湯はあっという間に冷める。トイレの便座に座ることも慎重になります。

こういった、寒い時期特有の感覚一つとっても、暑いうちは何故か忘れてしまい、季節が廻るたびに体感することで、「ああ、これこれ、この感じ」と思い出すのです。

本当に、時が経つのは、あっという間ですね。

画像1

model:八井綾(@RyoYatsui)

待つ人のいない劇場は、時間の流れがとても穏やかです。

舞台公演の仕込みをしている時なら、ご飯も食べずに働くスタッフさんがいたり、手すきだけど仕事ありますかと聞く、手持ち無沙汰なキャストがいたりと、時間に追われ混沌とした空間になるのですが、撮影に来ている時は、おしゃべりしていても、ぼーっとしていても、気ままにご飯を買いに行っても、怒る人は誰もいません。

写真を撮っている最中は、そんな劇場あるあるを話すこともあれば、普段何をしているのかとか、どんな風に育ってきたのかとか、演劇以外の色々な話をします。

不思議とカメラ越しなら、コミュニケーションが得意でない自分でも少し積極的になれて、会話がとても楽しいです。

写真って、良い画角を見つけるだけでなく、さまざまな角度から、人を知ることが出来る時間なのだなと思います。

画像2

その人はどんな目で世界を見ていて、何に関心を持ち、どう身体に現れるのか。交わす言葉だけでなく、その姿から発されるもの一つ一つに、人がよく現れているようです。

一演劇関係者としても、「ただ写真を撮るために劇場を使う」ことに意義を感じられます。役者も、物語の登場人物も、舞台の外で確かに生きているのだと、過ごしてきた時間に思いを馳せることが出来るひとときです。

劇場で見られる俳優の姿は、人生の過程にあるほんの一部分でしかありません。

それでも俳優は観る人に、その人がこれまでを確かに生きてきて、そして今まさに、板の上で生きているのだという生きざまを、観客の目に焼き付けようと表現をします。

いま、そこで、繰り広げられているという緊張感や生々しさは、同じ時間と空間を共有しなければ伝わらないものがあるのではないでしょうか。科学的根拠はないですが。

画像3

model:佐白啓(@Noimnotex)

観劇によって体験したことは、思い出となり、いずれ他人事のように、色あせていく記憶かもしれません。季節の廻りのように、同じ瞬間がまたやってくることもありません。

こうした劇場での体験を一枚の写真に収めること自体、実際のところ意味のないことなのかもしれませんが、それでも体験しなければ思い出せないことを体験するために、私は写真を撮りに行っているのかもしれません。

この場所にいなくても、人は確かに生きているけれど。

ここが一番、私にとっては、生きてるって「実感」できる場所なのです。

瞬間を切り取った写真であっても、私たちがここに生きたことは事実であって、これからを生きる糧になっていることを、この活動を通して少しでも共有していけたらと思っております。

せっかく劇場で写真を撮るのですから、出来るだけ生き生きとした俳優の一面をお届けしていきたいです。

画像4

自分はいかんせん今年カメラを始めたばかりの素人なので、技術・知識の足りなさに少々病んだりすることもあるのですが、下手でもなんでも、ここで得られる体験によって、俳優が輝くことに変わりはありません。

遺すことに価値があるのだと、今後も楽しんで取り組んでいけたらと思います。

早くこの感動を、舞台で、お客様と共有したいものですね。


↓劇場で撮影した俳優のお写真を、一部通販で扱っております。よろしければ是非ご覧になってみてください。

https://gekijyography.booth.pm/


それではまた、そのうちに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?