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「役を預かる」ということについて。


「君は、役者タイプか女優タイプで言うなら、女優の方だね」

と、かつて言われたことがあります。

その方が言うには、「自分を役に寄せていく」のが役者タイプで、「役を自分に寄せていく」のが女優タイプなのだとか。

確かに自分は、後者の方だったなと思います。今もそうかもしれませんね。

役と自分との共通点を探しては勝手に運命を感じ、役と自分自身を混同しているような感覚。

日常生活の中から役作りのヒントを探すこと自体、決して悪いことではありません。むしろ、そうするしか無いのですから。

しかしここで問題になるのは、

「役はどうしたって創作物であり、自分自身ではない。あくまで他人である」ということです。

そもそも自分自身を見せるために舞台に立つのでは、何のために演技をしているのかという話にもなります。

振り返ってみれば、演じた「つもり」になって舞台に立つことが、今までに沢山あったように思います。その時は一生懸命やっているつもりだったけれど、それでもやっぱり演技というものに、きちんと向き合えていなかったかもしれません。

役者タイプか女優タイプ、どっちが良いだとか、そういう話がしたい訳ではないのですが、あくまで自分にとっては、役を自分に引き寄せることがやり易い方法であり、「逃げ」でもあった、そんな気がしているのです。

そんな自分が、役を一人の他人として意識させられたきっかけが、「2.5次元舞台」というジャンルでした。

私が初めて2.5次元舞台に携わったのは、恋愛シミュレーションゲーム『ドリームクラブ』に登場するキャラクターを演じる『劇団ドリームクラブ』です。

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男性向けのゲームだけあり、可愛くて、プロポーションも良い女の子でなければ場違いだろうか、そんな不安を抱えながら、ダメ元でオーディションを受けたことを覚えています。

結果合格し、一年間の活動期間の中で様々な経験をさせていただいたのですが、中でも特に印象に残っているのが「ファンの方々との交流」でした。

劇団に入っての最初のステージがワンマンライブだったのですが、咳やくしゃみをするのも憚られるような舞台の客席とは全く違った、お客様の熱気にあふれる空間を体験しました。これが初めての出演ですから、私自身のファンなど殆どいません。原作コンテンツを愛する方々の、「役」に対しての期待に満ちたまなざしや声援です。

私がそもそもこの劇団のオーディションを受けようと思ったのは、自分自身も2次元のキャラクターを本気で好きになった経験があるからでした。

中学三年生の頃、とある女性向けの恋愛ゲームに登場するキャラクターにどハマりしていたのですが、本気で恋するあまり、例え妄想であってもキャラクターに相応しい自分でありたいと、ダイエットもするほどののめり込みようで、その年に学校で書いた「20歳の自分への手紙」では、そのキャラクターのことをずっと好きでいるよね?とも書いており、実際20歳になってその手紙を受け取った自分は、複雑な心境になりました(笑)

当時のことを思い返すと、学校が終わればすぐに帰宅してパソコンを開き、当時よくあった同人サイトで、二次創作漫画や小説を読み漁り、ゲームやアニメを深夜まで楽しむなど、四六時中その事で頭がいっぱいでした。

画面の向こう側にいる、実在しない人物に恋した経験が無い人からすれば、何て無駄な時間を過ごしているのだろうと思われるかもしれません。

ですが、2次元だろうと現実だろうと、恋をしたら人は努力をします。お金を稼いで、ダイエットをして、その人は何をしたら喜んでくれるのかを考えます。

他人に夢中になれるって、人を成長させ、明日への生きる活力を生み出してくれることなのです。

だからこそ、『劇団ドリームクラブ』の活動でも、皆の理想に恥じない自分でありたいと思いましたし、原作ファンに負けない愛を育まなくてはならないと思いました。

みんなが望んでいるキャラクター像はどんなだろう、どんな所が好きなのだろう。私以上に、この役を愛している人がいるのですから、自分の主観だけで役を捉えず、女優である前に「一人のファンとして」役と向き合いたいという気持ちになりました。

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私は「受付さん」というゲームキャラクターを通し、ファンの方々の原作愛に触れることで、作品や役に対する、愛情の注ぎ方を学んだような気がしています。

役は、決して演じる自分ための物ではない、その作品を楽しむ、全ての人の心に住まわせる物なのです。


次に原作のあるキャラクターを舞台で演じさせてもらったのが、漫画動画と同時進行で見せる、企画団体Domixさんの「2.2次元舞台」でした。

私はそこで、漫画『ZOMBIEMEN』のキャラクター『ショボクロ』を担当していたのですが、ゲームキャラクターと漫画キャラクターでは、また違った難しさがありました。

それは、「原作でそのキャラクターを演じる、声優の存在がいない」ことです。

つまり既存のイメージがなく、自分から「こういう表現はどうだろう」と発信をしなくてはなりませんでした。とは言え勿論、自分自身で舞台に上がる訳ではありません。考えたものを提案し、実践し、自分なりにイメージしたそのキャラクターの「器」を作る必要があります。

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オリジナルの舞台でもやることは一緒なのですが、「読者のイメージとそぐわなかったら、相応しくなかったらどうしよう」という不安との戦いで、非常に濃い稽古期間を過ごしていました。

最終的には、自分自身の持つもので表現をするしかないのですが、例え辛くても、他人の価値観に思いを寄せて、考え悩む時間は必要なのだと思います。

自分と、役と、観客から見た役。

それらは全くの別人であることを理解し、「受け止められないかもしれない、それでもやるしかないのだ」というプレッシャーを背負い立つことで、板の上で役として生きている実感を得ることができたのです。

千穐楽公演で、最後の出番を終えて袖に入った瞬間、涙がどっと溢れるという体験は、この公演が初めてでした。背負っていたものを降ろした時に、向き合う辛さと、別離の寂しさと、それから役への感謝の気持ちがあったのかもしれません。

この感覚は、役と自分とを切り離して考えなければ得られないものでした。


そして今年の5月には、同じ団体で「ジャンプ黄金期」と呼ばれた世代に連載されていた漫画『アウターゾーン』の舞台公演が予定されていました。

(コロナウイルスの影響により、稽古半ばで延期となりました)

私はその漫画を代表すると言ってもいいキャラクター、「ミザリィ」という役を担うことになっています。

『アウターゾーン』の連載が始まったのは、1991年。私が産まれた年です。

私が産まれて、育って、赤ん坊が大人になるほどの年月を経ても、誰かの記憶に残り続けている、親しまれている作品だと考えると、より一層、恐れ多い気持ちになります。

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人は、興味・関心のないことはあっという間に忘れてしまいますから、例えそれが「恐怖」であっても、強い引力で多くの読者の気を引きつけていたのでしょう。「アウターゾーンはトラウマだ」という声もありながら、今になってもう一度読み返してみたいという声を、SNSで何度も見ました。

認知度で言えば、これまでで一番の大きな役かもしれません。

それ故に不安や緊張もこれまで以上にありましたが、原作の話題性に甘んじず、依存せず、これまでの経験で得た実感を活かし、ただやるべきことをまっすぐに見つめていけたらと思います。

この漫画を読んでいた方々は、心の中にどんな『ミザリィ』像を住まわせているのか。どんな想いを寄せているのか。考えても考えても、確固たる正解などないのですが、だからこそ、私だけの物にせず、一つ一つの価値観と向き合い、想像し、共感することで一緒に作り上げていきたいです。

自分以上に、長い年月をかけてこの漫画を読み続けてきた方がいること。

この漫画を産み出し、血のにじむような思いで、連載を続けていた方がいること。

この漫画を舞台化するために、沢山準備してきてくださった方がいること。

共に舞台を作ってくれる、仲間がいること。

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非常に大きなタイトルを扱わせていただきますが、それぞれに感謝と尊敬の気持ちを忘れずに、出演者である以上に一人の『アウターゾーン』ファンとして、「みんなで作り上げている」という心構えで臨んでいきますので、制作の再開がいつになるかは不透明ですが、引き続き見守っていただけたら幸いです。

先日こちらで舞台『アウターゾーン』に関するインタビューを受けて、少し個人的にお話し足りなかったことを、今回こちらで語ってみました。

よろしければこちらのインタビュー記事も、合わせてご覧いただけたら嬉しいです。

https://audition.nerim.info/int-report/int-2020102701.html

毎度、無計画な長文・駄文で恐縮ではございますが、ここまで読んでくださりありがとうございました。

それではまた、そのうちに。


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