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『リアルワールドのみなさん、はじめまして。』

あけましておめでとうございます。新年の抱負でも。。。

というこのタイミングを活かして、いつものシリーズ系から離れて、「リアル」という言葉を切り口に、2020年の振り返りと2021年の抱負を書きたいと思う。

(写真は先日IKEA港北に行ったときに撮ったもの。普段は京急縛りなので、ここぞとばかりに使いますw)

今、リアルを感じたい

2020年、僕らはリアルワールドで多くの制限を受けた。
少なくともテレワーク三昧となった僕にとっては、生活スタイルの変化は大きな制限だと感じた。

バーチャルな世界、アナザーワールドとも言える別の世界へ。
そこでの過ごし方、人との関わり方、働き方を模索した一年だった。

コロナの感染者も増える一方。
ますます僕らはこのリアルワールドの制限を意識するはずだ。

現在、僕が見ているアナザーワールドは狭い。窮屈だ。
映し出される映像はパソコンやスマホのフロントカメラが捉える世界。
さらには「アナザーワールドに行っているリアルワールドの自分自身」は、家の中にひきこもり。
リアルワールドで見える景色でさえも、とても狭い。

欲張りだろうか。
これまで見ていた景色が広すぎたのだろうか。

世間ではいろんな声が聞こえる。

「テレワークスタイルになってむしろとてもやりやすくなった。必要な会話だけで済むから楽だし、社交辞令の気が乗らない飲み会にも行かなくてよくなった」というようなテレワーク称賛の声も聞く。

ほんとに?それだけ?

確かにそういう飲み会が横行している会社にいたら、そう言いたくなるのもわかる。

でも、それ以上にこの世界の狭い感じに僕はとてもウンザリしていて、悲鳴をあげたくなっている。

リアルとはなにか

それじゃあ、リアルワールドでなにかをしていればなんでもいいのかというと、そうでもないこともわかってきた。

特に写真においては。

2020年は、「リアルとはなにか」について様々考えるきっかけがあった。
特に「ゲーム世界」というキーワードがそれを考える切り口となった。
バーチャルを真剣に考えることで、「リアル」の本質が見えてくる、と思った。それ自体がSF的手法でおもしろい。

まず前提として、ゲームが作り出す世界やその中で生きる可能性についてとても興味を持った。きっかけはこちらのNewsPicks動画。

クラスターCEOの加藤さん語る「SNSの次はゲーム。人々はゲームの中でつながり、様々なイベントや出会いがゲームというプラットフォーム上で幅広く行われるようになる」という話はとても説得力を持ちながら、新しい未来をかなり明確に示していると思った。僕がそういう世界観が好きだということもある。

そんななか、僕の価値観に影響した映像がもう1つある。
今更ながら一気見した「ソードアート・オンライン」(以下SAO)だ。
まさか、こういうちょっとオタクっぽい(失礼)アニメに自分がハマるとは…。(でもハマったので許して)

このnoteで「リアルワールド」という言葉を使っているのもSAOの影響だ。

見たことのない人のために簡単に解説すると、SAOはVRMMORPGゲーム、つまり「VRゲームの世界でたくさんのプレーヤーがオンラインでつながり、生きる」という世界を題材にSF的に現実世界への問いかけをしている作品で、小説からアニメが展開され大変な人気を博した作品である。
小説の連載が2002年から始まっているというのだから、驚きだ。
MMOという世界の可能性にそんなに早くに想像を膨らませていた人がいたなんて。

もう少し詳しく概要を知りたい方はこちら(ネタバレあり)

作品のメッセージ性としては、「『何がリアルか』に正しさなんてない。自分が今感じられるもの、感じたいものが一番リアルだよな!」というころだと思っている。

写真に話を戻しても、同じことが言えると思った。

僕が感じるものがリアルなのであって、何に対してどう感じなければいけない、なんて正しさはないのだ。

ただ、まだまだゲーム世界は自分自身が感じるには足りない部分が多い。自分の感覚、没入感など、SAOでいう「フルダイブ技術」に近いものが完成しないと、リアルワールドに匹敵する「リアルさ」は感じられないだろうと思う。
まだまだ今の僕らはこのリアルワールドの中で、なにかを感じることを続けていくフェーズにある思う。

本当にそれはリアルか

先日開催された有名イベント、今をときめくSNS界隈のフォトグラファーがこぞって出演していたようだったのだけど、「知っておいたほうがいいんじゃないか」と思っても、どうしても参加する気になれなかった。

「違う。こっちじゃない。」

今、日本のアマチュアフォトグラファー界では、多くの人の写真がハイレベルになり、ポートレート風景写真を中心にいくつかのテイストに分かれて大勢の人が流行りを追っている。

お世辞抜きに本当にレベルが高いと思うし、僕自身到底追いつけていない。

ただ、好みで言えば好きになれないものが多い。
というか、少し前は「素敵、かっこいい」とも思っていたが、どこかで違和感を感じて、少なくとも自分がそれらのいくつかのトレンドに乗って写真を撮りたいとは思わなくなった。

僕にはそれらの多くが「美しい写真でみるアナザーワールド」に見える。なにか、世界の上澄みをすくったような印象に、本当にそれでよいのだろうか、と思ってしまう。

「なにか、目を逸らしてない?」って。

そんなわけで、多くのイケてるtwitterやinstagramアカウントのフォローを解除してしまったこともある。

僕の写真の原点は森山大道の「新宿」だ。

高校生のときにたまたま地元の図書館で「新宿」を見たときの衝撃。感覚だけがダイレクトに伝わるような感覚、そこに生まれる興奮や嫌悪感。こういった感覚が僕には「真似したい」ものだった。

人はリアルさが好きか

写真を見せて、みんなに好かれたい?

僕は今はそう思わなくなった。

僕が森山大道の写真にイメージする感覚がストレートに伝えることを「リアル」だとすると、それを見た人の反応は必ずしも、「きれい」「美しい」「感動した」となることはないと思う。

coyoteの2018年春号(No.64)の森山大道インタビューを読んでいたら、ウィリアム・クラインやロバート・フランクの写真がアメリカでは好意的に捉えられないという話がでてきておもしろいとおもった。

目の前の世界をシニカルに描写してしまうときっとそうなるのだろうと思う。でもそれくらいじゃないとなにかを感じさせることって難しいんじゃないかと思う。彼らのように有名になるかは別として、自分が写真をやる意味として、自分がどう感じるのかを整理し、表し、なんなら共感されたり批判されたりしながら会話をする、そういうことができる写真であったほうがおもしろいじゃないかと思う。

2021年の抱負は、自分は何を感じているのか、静かに集中して考えること、それをできるまで粘り強く一つの場所で立ち止まったり、振り返ったりすること、そして写真を撮ること。

それはこの世界への好奇心と敬意を持ち、なるべくまっさらな気持ちでこの世界を見て、聞き、嗅ぎ、味わい、触れ、感じること。

『リアルワールドのみなさん、はじめまして。』
こんなスタンスで2021年は過ごしたい。


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