自分の写真を再定義する|街スナップの意味が変わった僕の自己分析
前回は自分のごぐ個人的なテーマで写真を撮ること、コンプレックスやトラウマをテーマに写真を撮ることについて、僕なりの考えを書いた。
写真は自分のコンプレックスやトラウマを表現する手段にもなり得るということ、またその考え方が自分にはしっくりきていて、僕にとっての個人的なテーマとは、「母の価値観」であり、僕はそれをとても嫌っていることを書いた。
今回はその続きを書こうと思う。
前回の記事を読んでいない方はこちら。
前回の記事を書いてみて気づいたこと
これまで、街の写真を撮ろうとすると、「街の紹介記事」みたいなものを書こうとしている自分がいた。
少なからず今まではそういった目的を持って街の風景を撮っていたところもある。
ドキュメンタリー的な意味が強かったのだと思う。さらになにか気概をもって取り組もうとすると、ジャーナリズムにも近いものを感じる。
でも、前回の記事を書いたことで僕の中での「街のスナップ」も、それを使って文章を書くことも、読者にとってのブログ記事自体も意味が変わったのだと思う。
写真を撮る行為は自分がひっかかっている何かを見つめ直す行為であり、文章とセットにするのはそれが何なのかを分解していくことであり、読者との関係はより細かいターゲットが存在する状態、そのひっかかりになにか類似する共感をしてくれる人が僕の写真を見てくれればよい、ということだった。
母の生きた時代と、その生き方に感じるもの
改めて、僕にとってのひっかかり、もはや僕はコンプレックスと言っているけれど、それは母の考え方や生き方からの影響である。
母の現在は70手前。
戦後復興の中で、友人のツテから運良く不動産を手にした祖父母。
その元に生まれ、幼少期は新宿界隈で急速に発展する都市と、その裏で渦巻く猥雑な街の姿を横目に、そういう環境の中で自身はだいぶいい暮らしをしていたらしい。
しかし、引っ越しからその世界が一転する。
引越し先は同じ都内でありながら、ハイソサエティな環境。お嬢様学校に入った母だが、家にはそこまでの経済力がなかったものだから、ひどく惨めな思いをし、強烈な劣等感に繋がったようだ。
学生時代は音楽に没頭し、60年代〜70年代のカオスな世界観と、アートがより強い力を持とうとしている中で、自分もそのストリームの中に身をおいて、さぞかし多感な仲間がいたことだろうと思う。
しかし一方で就職は大企業。高度経済成長真っ只中の中で、その蜜を吸いながら仕事をしていた話が盛りだくさんだ。もちろん、そのスピード感の中でガツガツ仕事をする苦労もあるだろうが、当時の思い出を母は美談のように語る。
母の若い頃は、時代の流れにうまく沿っているようにも見えるし、違う見方をすれば翻弄されているようにも見える。
60年代、70年代のカオスに身をおいたら、多くの人がそうなってしまうかも、とも思う。
ただ、母は母なりに、小学生時代に感じたコンプレックスを自己解決するために、その時代の、どちらかというと濁流のほうに見を投じつつ、その中で一般人としてもがき、幸運にもどうにかなって勝っていったのだろうと思う。
こんなことから、母の価値観には高度経済成長期の日本が生んだ、個人レベルの歪みのようなものを感じたりする。
混沌とした時代への陶酔。
その中から発生した強弱関係への恐れ。
無理矢理にもそれを解決しようとしたときの虚勢。
その戦いの中で思慮を深めるほど余裕もなく、強者側回ったものが、弱者に対して感じる侮蔑。
そんなようなものである。
僕は何が嫌なのか、それは本当に自分の考え方なのか
そんなこんなで、たとえば、母はやたらと人や地域にレッテルを貼りたがる。
南武線と東横線に乗っている人は違う、とか、京急の街は嫌い、とか、中国人がどうだ、とか、工場労働者はどうだとか。
自分は勝った側の人間なのだ、と自覚したいのだと思う。
でも、自分と違うそれらの人を、そうやって蔑みつつ、なにか恐怖を感じているようだった。
こういう考え方は今でこそ冷静にそれを聞けるようになったが、社会知識が少しずつ付き始めた中学生くらいから、かなり違和感を感じ始めていた。
言わんとすることはわからなくもない。
住む地域やバックグラウンドにある文化によって、相入れないなにかが発生することはきっと起こることはわかるが、少なくとも学校教育上ではそんな攻撃的な言い方はしてこなかった。
優等生だった僕は、そんなことを言っている母がとても低レベルに感じたものだった。
それもまた、平和なことを言っているようで、何も生まないものだとも思うのだけれど。。。
そんなわけで、僕は10代からかなり母の考え方を批判し、自分がその影響を受けていないかと警戒していた。
そのまま結局、大して何も行動を起こさず、若さも徐々に失い、優等生を捨てきれずに大人になった。
でもどこかでずっとその警戒心は消えずに残っている。
そろそろそれをちゃんと自分の中で整理しないと次に進めなさそうだ、と思ったのが最近のこと。
母が嫌った世界。教科書の中で得た価値観でそれを「違う」と言ってもしょうがないわけだ。
自分自身でそれをちゃんと見て判断しよう。
それを写真を撮る活動として、表現していこう。
こんなことを最近思って、京急の街を撮っている。
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