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人間だもの(笑)

生涯、「善人」として生きたくはないか。それとも「悪人」として生きたいか?「いやあ、私は善人じゃあございません。ましてや悪人でもありません。これでいいんじゃないですか?人間だもの(笑)」「善人なんてまやかし。完全な善人なんて、この世にいる訳がない!善人ぶってる人、そういうのを偽善者って言うんだよね。」「流石に悪人にはなりたくないし、悪人って思われたくもない。法律があるから、それにひっからなければ、悪人とは言われないよね。」「一日一善ってやつでしょ?やってるよ!ゴミは分別して出してるし、電車で高齢者が目の前に立った時は席を変わるようにしているし。こういうことじゃないの?」「この世の中、何が善で、何が悪なのかさっぱり分からない。大人たちを見ていると、善人ぶって主張していることが、本当にそうなのかなあって思ったりする。だって、自国が正しいと正義を主張して、戦争を続けたりしているアレ。犠牲になっているのは兵士だけでなくその多くが一般市民なのにね。そうしたことを牽制し合って、戦え!とかテレビで熱く演説をしている国のリーダーたちや、それを容認したり、影で武器を供与している他の国の人たちや企業も頭おかしいよ。見ていて呆れて笑っちゃう。だって完全に人殺しの悪人じゃん!」「善か悪かなんて、二項対立の考え方自体が良くないと思う。世の中、白か黒かなんて、きっぱりと決められないことがほとんど。この対立構造そのものが社会をおかしくしてるのでは?私は、常に中庸がいい。右でもなく左でもない。そんな生き方が私にはちょうどいい。」「善悪の分別を付けられる人なんて、この世界にいないんじゃないの?そういう菩薩のような人は、この世には生まれて来ないのかも。でも一体どうしたら、善悪の分別が付けられるようになるのだろうか…」。これが人間社会の現実だ!とでも言いたのだろう。そうして、自分に言い訳をしている。そう。善で生きることはシンドイ。善は面倒。善は生き辛い…。こうした意識が悪の容認を生み、必要悪などというものが社会を覆うことになる。人間は、そもそも善悪の両方を兼ね備えているから人間。これ宿命。それを理解した上で、善で生きることを求められている。その修業のための今世。善で生きることのしんどさも、面倒さも、生き辛さも分かって生まれてきている。その真実を忘れ、そのまま中途半端に生き続けていると、いずれ深い後悔の念に苛まれることになること確実。そのことを今ここで押して知るべし。


そのことを肝に銘じ、人間の宿命を理解し、その克服のため、性根を入れ替え生き直します。


有難う御座います。

幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者