やっぱり信心が足りないのか?
働いても働いても生活が一向に良くならない、
資格を取ってもスキルを磨いても仕事が望むようにうまくいかない、
同期がどんどん昇進昇格していくのに自分は未だこの有り様、
あの人は悠々自適なのに私はいつもぱっとしない人生、
一生懸命に祈りお布施をし信仰心を持っていても何も良くならない、
夢を抱いてリスクを取ってガンガン攻めてるのにちっとも成功出来ない…
何故だろうか?
「やっぱ、日頃の行いが良くないんじゃないの?」
「こんな時にうまくいってる人って、きっとどこかでずるいことしてる人だよ。」
「自分には学歴も何もないんでこの社会ではやっぱり無理なんですかね…。」
「やだ!お祓いしてもらった方がいいんじゃない?たぶんそれ何か憑いてるよ。」
「あいつは要領がいいんだよ。世渡り上手っていうか。おべっかをうまく使ってる。」
「仕事は出来るけど、性格がね…っていう類なのかなあ…うまくいかないのはその所為?」…
このような時、己はどう考える?
やっぱり信心が足りないのか?
スキルや能力、知恵、努力が足りないのか?
それとも運がないのか…。
人間の運、不運は、信仰の有る無しや、信心不足によって左右されたりするものではない。
実質の成果を出すために足りないものがあればそれは努力して補うしかない。
しかし思いもよらぬことが関係している。
実相は極めて単純明快。
それは、他人の目に見えないところで自分が一体何を考え何をしてきたかが結果に表れる。
これ三元の理と云う。
人間、ここの意識がまったく欠落している。
感性が恐ろしく鈍い。
己の一挙手一投足は、誰もいないところであっても見られている。
ここに何か不足はないか。
微悪はないか。
完善であるかが起因している。
「いや!それは勘弁!そんなところまで気が抜けないなんて、寿命が縮むどころか、人生嫌になってしまいますわ!」
まあ、これまでうまくいっていないのだから、試しに意識してやってみるといい。
誰も見ていない時ほどに、善く在り、善く考え、善く行動してみる。
たったこれだけで、人生確実に好転していく。
試してみよ!
そのことを肝に銘じ、独り在る時の自分自身の思考や行いを見つめ、正しく在るように心掛けていきます。
有難う御座います。