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「物」と「人生」の話。

「物」は分かりやすい。


目で見え、実態が掴めるから認めやすい。


分かりやすいから、世間も認めやすいから嵌まる。


持っていると優越感を持てるから更に填まる。


然し、いくら「物」を極めたとしても、人生は極めることが出来ない。


人間の存在意義は、「物」を極めることに非ず。


「人生」を極めることにある。


これに異議を唱えられる者はいるか?



「はい、異議あり!世の中、物カネの世界なんだから、それを極めて何が悪い!っていう感じです。人生なんて何それって?感じ。抽象的すぎてよく分からないし、視えないし、つかみどころがないし、誰もちゃんと説明出来ない。大人に人生のこと聞いても、ちゃんと教えてくれない。そんなものを信じるほど、生きるの甘くないんじゃん?」…。



ほう、そうか、お主、「物」や「カネ」がそんなに好きか、信じれるか。


それは良かった。


ならば、見事、手に入れられたその物や金、お主が死んだらどうなる?


あの世に全部持って逝くか?



「あ、いや、死んだらどうなるとか、あの世とか、そういうの知らないし。死んだら人間終わりなんじゃないの?だから、生きている間にめちゃくちゃ儲けて、稼いで、何でも買いまくって、何不自由の無い生活を手に入れて遊んで楽しみまくって…。え?それの何が悪いの?この世の中の幸せって、それしかないじゃん!?」…。



世の大人たちよ。この若者に、人生とは何かを教えてやってくれんかのう…。



「いや、この子の言う通りですよ。人生とか語って、自己啓発とか宗教とか、いろいろ試しましたけど、何ひとつうまくいってません。生活は一向に良くならないし、成功のせの字も得られていません。そうこうしているうちに、まわりでは投資やったらい副業やったりで儲けて、人生謳歌している人いるし。結局は物カネがないと幸せになれないんですよ」…。



人間の本性見たり。



この世が一向に良くならないのは、こうした思考、考え方が蔓延してしまっているからに他ならない。


よいか。


実相は、物心両面が存在している。


従って、物だけを極めても片手落ち、片翼飛行でふらふら生きることになる。


心、即ち見えないものを感じる力。


これ無くば、安定飛行を行い、自由自在に生きることは出来ぬ“仕組み”になっていることを推してしるべし。


これ、実に簡単な構造。


このことが分れば、浮力を増し、己の道を意気揚々と進むことが出来る。





そのことを肝に銘じ、心を整え、感性を高めることで、「物」とのバランスを取って生きてみます。





有難う御座います。

幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者