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“考える葦”だけでは片手落ち

「人間は、考える葦」ということをある哲学者が言っている。その意味は、「人間は自然の中では葦のように弱い存在である。しかし、人間は頭を使って考えることができる。考える事こそ人間に与えられた偉大な力である」としている。確かに人間には、“思考”する能力を持っている。しかし“葦”のような存在でもある。葦はアシともヨシとも読む。アシは悪に通じるのを忌み、「良し」に言い替えることも出来る。即ち、人間、良くも考えるし、悪くも考える。であるから、善悪の分別を知り、善に徹する生き方が大切なのである。更に「葦の髄から天井を覗く」という諺もある。即ち、細い葦の茎の管を通して天井を見て、それで天井の全体を見たと思い込むこと。自分の狭い見識に基づいて、自分勝手に判断すること。人間の見識が狭く偏ってしまうのは、人間の雑学に塗れ、見えるものだけを信望し、真理への見識に欠けてしまっているからだ。更に人間は、この“考える葦”だけでは片手落ち。善い思考を縦軸に、横軸として良き行動、体験に結び付けなければならない。要は、頭で考えて分かっているつもりになっている人間があまりにも多過ぎる。行動し、体験せねば、「結果」は出ない。これが実相の、単純であるがパワフルな仕組み。このことが真に理解出来ていれば、思考と行動を一体化出来、実相にとって分かり易い人間、つまり輝いていて、見つけ易くなるのだから、それは天からの引き立てに遇うこととなる訳だ。従って、人間は、確かに考える葦であるが、行動体験する光でもある。


そのことを肝に銘じ、良きに思考し、考えるばかりでなく、どんどん行動し、体験し、悟りを得れるよう心掛けます。


有難うございます。

幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者