マガジンのカバー画像

本気で生きているか

897
人生の在り方について問うています。なぜ、人は生きるのか。何のために生まれてきたのか。なぜ、この時代にいるのか。みんなの素直な思いを共有して下さい。
運営しているクリエイター

2023年8月の記事一覧

この人間の本能というシステムの作用を知っていれば

人間には、良くなろうとする力が皆々に備わっている。 これ、即ち本能。 然し、大概、この力を使えていない。 それどころか、この力を知らず信ぜず、他力本願となっている。 これでは良くなるものも良くならぬ。 特に病気。 自分の良くなろうとする力を態々使わず、外力にのみ頼ろうとする。 これでは治るものも治らぬ。 更に云うならば、本能には、良くなる力だけではなく、悪くなる力も在る。 従って、自分次第で、いくらでも悪くなれる。 良くなる力は時間がたっぷり掛かり、悪くな

人間、クリアすべきそれなりの条件がある。

この超大宇宙には、神気が充満している。 これ、全てのものの成長、発展、生成化育に作用している。 神気、即ち、生きるために必要な“養分”でもある。 人間は、この養分の提供によって、生かされ乍ら、生きて(活きて)いる。 この素晴らしき「養分」の潤沢な供給を受けるためには、人間、クリアすべきそれなりの条件がある。 従って、その条件をクリアできない者には、供給されない厳しさが、この実相にはある。 これを知らずして、安穏と生きる人間よ。 一向に良くならぬのは、この浅はかな

これ自然の法則。

その時、その時で、行うべき事の折り目、節目を付けていく。 これ即ちけじめ。 「けじめ」とは、連続したものが変化したときに認められる、前と後との質的な違い、物事の移り変わり、変動。 云うなれば、物事の境目、境界、区切れ。 人間、これによって己の成長を実感することが出来る。 然し、この折り目、節目が付けられぬ者もいる。 だらだらと、いい加減に、曖昧なままが楽ということか。 これ遅かれ早かれ先細りとなり意図せぬ折に終わる。 物事、折り目があるから勢いが増す。 節目

良心とは、誰もが有するものなのか?

良心が痛むという。 「良心」とは、目に見えぬもの。 目に見えぬものが痛むとは、どういうことか。 それは、目に見えぬが“在る”ということだ。 「良心」とは、善悪や正邪を判断したうえで、己の行為を正しく選び取ろうとする心の働き。 即ち、己の心の中にあるもの。 良心とは、誰もが有するものなのか? 答えは唯。 しかし、いとも簡単に濁り、汚れやすい。 これ、放置しておくと良心のセンサーは働かず、痛みを感じず、存在すら失念してしまう。 もはや、この状態、“人”ではない

何のための人生ぞ。

人間、何故、思う様にならぬのか。 何故、不安がつきまとうのか。 何故、苦悩が尽きないのか。 何故、運が啓けぬのか。 何のための人生ぞ。 お主、答えられるか。 何処ぞに行っても、誰に聞いても分からない、納得出来ない、良くならない。 なぜか。 「だって、結局、原因はあの人にあるんだから、あの人が変わらない限り、何も変わらないし。」 「いやあ、人じゃないんじゃないか?この社会のシステムというか、法律とか、制度とか、そういうものが根底にあって、それが良くないから、み

左脳領域の開発ばかりが行われている

未熟な人間社会の部分理論をいくら学んだところで、片手落ち。 物金の世界の知識を得、満足したところで、片方の翼で飛ぼうとしているのだから、くるくると回り、落ちていくのは自明の理。 いくら力技で飛び続けようとしても、バランスを欠いてしまっているから、そのままだと力尽きて失墜するしかない。 実相には、超大宇宙を司る全体理論が存在する。 人間の人生の善し悪しは、これにアクセスし、いかに修得できるかに掛かっている。 この全体理論は、左脳領域には落されることはない。 即ち、右

これは超大宇宙における大問題だ。

人間、12年、あるいは16年の歳月をかけて学校教育を受ける。 一人前なったと思って社会に出るが、思う様にならないのが現実。 なぜか。 「確かに、社会人になっても、ほとんど何も分かっていない自分に愕然とします。必死についていこうとしても、だめな自分に嫌気が増す毎日。やっぱり自分には合わないのかと、転職先を探しています」 「なぜって、学校で教わることと、社会に必要なことが全然違うからでしょ?学校で勉強している時も、なんでこんなことをやり続けるのか、まったく意味不明だった。

人間如きが、地球や宇宙を乱しているなどと思うことは愚の骨頂。

この世とは、平穏無事の場として、人類に提供されている訳ではない。 これが真実。 勘違いするでない。 人間如きが、地球や宇宙を乱しているなどと思うことは愚の骨頂。 身の程を弁えた方がいい。 その大きなうねりが前提となる中で、人間は、必死にもがきながら、安寧を求め続ける。 ここに宇宙の真理がある。 即ち、人間が苦しみながらも諦めず努力をし、知恵を絞り、互いに協働することで、全ての生命と調和に向かおうとする、その力動こそ、人生の大いなる意味があるのである。 この神髄

人生設計図がいる。

人生は、建設作業と同じ。 設計図がいる。 設計図のない建物はない。 人間で云えば、今世、どう生きるかの人生設計図。 これ無くして、良い人生など送れるはずもなし。 然し、往々にして、人間、この人生設計図を見出せていない。 「私にもありますよ。人生の設計図。学校を卒業し、大学に進学して、就職して…。結婚して家庭を持って、子供も二人授かって。会社ではそれなりに昇進して、立派に勤め上げたい。引退したら、退職金で、それまでにやりたかったことをやる。人生100年を想定して、健

これからもっと悪くなる。

人間の質、即ち人間性が、世界中で落ちてきている。 これ、お主らのことよ。 これ末法の世ならば起きる現象。 「いやいや、確かに世の中悪くなってきていると思いますが、私は違いますよ!」…。 こう言い放つ輩ほど、それに当て嵌まること自明の理。 もはや、既に世が荒み、乱れ、崩壊していくのは秒読み段階に入っている。 これからもっと悪くなる。 もの云わぬからと言って、我が物顔で、好き勝手放題生き続けていると、いとも簡単に命の梯子を外される。 己が望もうが望まなかろうが、も

この関係の交差するところに秩序が存在する。

人間、どの世界にも上下関係は存在する。 実相も同じ。 より厳しい。 この主と従の関係。 これを蔑ろにし、自由と称し、好き勝手、いい加減な関係などは存在しない。 上か下か。 大か小か。 右か左か。 この関係の交差するところに秩序が存在する。 余程、己の立場の自覚をきちんと付けておかねば、大いなる仕打ちに会うことになる。 時に人間の横柄さには我慢がならん。 いくら財産があろうとも、権力を持っていようと、先に生まれていようと、上には上が在るということを推して知

物金を貯め込み、執着したところで、何の意味もない

人間にとっての本当の財産とは何か? 金か? 土地か? 物か? はたまた人か? お主はどう考える? 「いやあ、金でしょ!金しかないでしょ!だって、金で買えないものないし、金があれば、何だって出来る。何処へだって行ける。何だって手に入れることが出来る!これ以上のもの、ないっしょ!」 「ああ、私にとっては、この先祖代々受け継がれてきた土地です。政策とか何かで大分削られましたが。幸いなことに、息子がこれを継いでくれることになり、正直ほっとしています。私らは、この土地によ

違う種類の会社も存在する。

会社における創造主。 これ即ち社長。 社長には、天より絶対的な権限が与えられている。 それを役目として付与され、会社を天より任されている。 従って、社長は天から雇われた身。 社長自身がこの道理を真に理解し、会社運営にあたれていれば、絶対に潰されることはない。 これ社長と社員との関係にも当てはまることを、こと社員においては肝に銘じた方がいい。 「いやあ、そうは言いましても、ウチの社長、私はあまり信用していないんですよ。言っていることは朝礼暮改だし、給料はいつまでた

感情に支配されず、今、この時に集中し、ただ在るということ。

今。 “今”とは何か。 今とは、過去とも未来とも言えない時。 即ち、ただ今。 今ここに在るとは、眺め観察し、気が付くこと。 今この瞬間の自分自身の在り様、身体感覚、感情に気づくこと。 従って、今に生きるとは、四六時中、過去への後悔に苛まれたり、未来に不安を感じている生き方とは違う。 感情に支配されず、今、この時に集中し、ただ在るということ。 そこには、後悔も不安も存在しない世界。 “空”の状態であるとも云える。 空とは自然。 即ち、今ここにあるとは自然で