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本気で生きているか

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人生の在り方について問うています。なぜ、人は生きるのか。何のために生まれてきたのか。なぜ、この時代にいるのか。みんなの素直な思いを共有して下さい。
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2023年1月の記事一覧

「何をキレイごとを!」

なぜ、この社会には、契約書の類が存在するのか。それは、人間、未熟だからである。未熟が故に、人間同士の信頼関係は希薄で、殺伐としたものとなり、互いの約束事への不安から契約書の類が必要になってしまう。なぜ、そのようなものが、親子や兄弟関係にも必要となるのか?口伝、口約束がなぜ成立せぬ。これは現代社会の程度の低さがそうさせてしまっている。「見えるものだけが正」とする社会は、何と生き辛いことか。見えないものを感じ、認知し、信じることができる人間性と互いの信頼があれば、口約束は立派に成

厳しい咎め

人間、二度裁かれる。実相の判別に基づいた悪事に対する「罪」は、受け入れようが受け入れまいが、この世とあの世で二度裁かれることになる。やったらやられるの真理。大きい小さいは関係ない。微悪も大罪もだ。従って、悪事は働かない方がいい。それは己が自覚していようが自覚していまいが、隠そうが隠すまいが裁かれる。即ち、全て見られているということだ。もし、罪を隠し通せた、逃れられたと思っていても、そうは問屋が卸さない。この世で咎めを受けずに済んだとしても、あの世では倍返しだ。特に、国や国際政

その真実は「真実」なのか?

「真実」とは何か?己、「真実」を知りたくないか?嘘偽りのない、本当のこと。それは絶対の真理であり真如。それは、仮や建て前であるはずもなく、ましてや人間社会における事実とされることが全て「真実」であるとは限らないということを推して知るべし。「え?事実は真実ではないの?だって、本当のことなんでしょ?それが真実でなかったら何を信じたらいいの?」「辞書や教科書に書いてあること、新聞やニュースで報道されていることは全部真実でしょ?だって、それが元で社会や法律や、受験問題とかが成り立って

それは人間だけ。

自然界は、人間には窺い知れない見えないところで、“努力”を粛々と続けている。それは生きるための営み。自然界には、姑息に掠め取ってやろうとか、一気にせしめてやろうとか、楽をして得をするなどという行いはない。それは人間だけ。人間は、見えないところはどうでも良いと思ってしまう。見えないから何をやっても良いとも思ってしまう。人間は、姑息でいい加減で自分のことばかりで、すぐに諦め、営みを放り出してしまう。だから、道にゴミを捨てる。人間のほとんどがこのような類の性質を克服できず、自然の営

人間だもの(笑)

生涯、「善人」として生きたくはないか。それとも「悪人」として生きたいか?「いやあ、私は善人じゃあございません。ましてや悪人でもありません。これでいいんじゃないですか?人間だもの(笑)」「善人なんてまやかし。完全な善人なんて、この世にいる訳がない!善人ぶってる人、そういうのを偽善者って言うんだよね。」「流石に悪人にはなりたくないし、悪人って思われたくもない。法律があるから、それにひっからなければ、悪人とは言われないよね。」「一日一善ってやつでしょ?やってるよ!ゴミは分別して出し

自然と対話をしてみたくないか。

自然と対話をしてみたくないか。喧騒の世でも、どこでも自然は見つけられる。自然とは何ぞや?自然は生き物。人間も生き物。それらは別ものではない。全ては一体。即ち実相。人間は紛れもなく実相の中で生かされている。だが、人間は、自然を意味なく嫌う。本音は違えど、建て前ではそう振る舞ってしまう。そう。人間社会が不自然なのだ。意識が人間社会の中にどっぷりと漬かり過ぎてしまうと、自然の中にいることを忘れてしまう。従って、自然の一部である自分自身とも乖離し、自分が自分で無くなっていってしまう。

火・水・木・金・土の元素すら

この世の全ては天授。天より授かりしもの。この自然も、人間も、何もかもがそう。人間が一から創造したものなど何一つない。己、そう思い生きているか?己の才、性質、そして生命そのものも天授。その一つひとつには、細部に至るまで親心が働いている。より良く生きてほしい。より良く在ってほしい。その思い、届いているか?この世の現状は、天の意志、思いとは全くと云ってよい程に、違った様相に成ってしまっている。なぜか。最も愛すべき人間自身が、その親心を感じれなくなっている。その感性の乏しさ故に、いい

感覚を超えた甚だしい力

人生の達人になりたくないか。これ「達人大観」「大人大観」「真人大観」と云う。物事を深く極めた者は、広く全体(大局)を視ることが出来、判断を間違えない。達人、大人、真人とは、道理を弁え、深く物事に通じている者のこと。己は如何に?人生の達人は、常に純真、純粋、素直、正直、謙虚で在り、日々の営みの中で心を清め、自らの感性を磨き続けている。しからば達人は、生命の根源である「勘」(感覚を超えた甚だしい力)を備えている。これ即ち人間の本来の力、本質。目に見えないもの、人の持つ本来の潜在能

人間の作った中途半端で利己的で刹那的な秩序

この世は見えない世界が動かしている。これ、即ち「実相」。この現実社会の中での「常識」は、残念ながら実相に沿ったものには仕上がっていない。なぜならば、人間の作った中途半端で利己的で刹那的な秩序の上に、それぞれの「常識」が建てられているからである。この社会の在り様は、力による支配であり、人間の拵えた法律やルールや慣習の類で雁字搦めにされている。この社会の常識で生きていくには、その未熟な社会に則った行動が求められるが、そのことが実相・真理に則ったものかどうかを見極める目、感性を持た

「自分らしくって言われるのうざい」

自由に自己表現が出来る世界。自分が自分で在り続けられるための真の自由の世界を創造したくないか。今の己はどうか。鏡を見て自分自身を見てみよ。真の自由を得られているか?自分らしく生きれているか?そして自分自身を思う存分に自己表現出来ているか?このことが100%実現出来きている生き方をしたくはないか。 「いやあ、私なんぞ何も取柄もなく、平々凡々の凡人。おまんま食べれるだけで幸せです。」「私なんて何の価値もない人間。存在感も薄いし、がんばって発言したとしても誰も聞いてくれていない。

生きていることが嬉しくなるような世の中を

生きていることが嬉しくなるような世の中を創りたくないか?所詮、独りでは生きていけない世。皆がどうすれば良くなっていくか周囲のことも考えて、互いに協力し、支え合い、励まし合いながら日々を営んでいく。自分だけが悪者になるとか、自分さえ頑張ればとか、自分がヒーローになればなんてことは考えなくて良い。世界は、私はあなただし、あなたは私なのだ。神も聖者も善人も、悪魔も犯罪者も悪人もみな同じ。誰かを支えれば自分を支えたことになる。誰かを助ければ自分を助けたことになる。誰かが悲しければ私も

虚構、捏造、法螺の類

実相の世界は、実にシンプル。この原理は、簡単な仕組みで出来ている。しかし、なぜ、人間にはそれが分からないのか。それは、一元しか見えていない、見ようとしない、認めていないからに尽きる。見えているものだけを信じ切っていて、見えていないものを感じることが出来ない。厄介なことは、見えている世界が虚構、捏造、法螺で塗れていて、本来感じれた糸口も感じれなくなってしまっている。これは大問題だ。現代社会が手に負えない程に混乱しているのは、このことが起因している。まずは、世に溢れている虚構、捏

何も信じられない!

世の人間様よう。人類全体として、人間の質、即ち人間性が落ちている。時間が経てば経つほどに、悪くなっている。なぜか。この超大宇宙には、不変の真理というものが存在する。それが実相。これを人類は感じれなくなっている。心が離れてしまっている。理解できる感性が鈍くなっている。このことを己どう感じるか。「私は大丈夫ですよ。だって、毎日、真面目に仕事をしているし、世の中に迷惑など掛けたことは一切ありゃせんので。」「私も大丈夫だと思う。家族にも恵まれ、毎日、幸せに暮らせています。何も不自由に

世の社長さんよう。

世の社長さんよう。何のために社長という役割が与えられているのか、考えたことはあるか。「それは激しい出世競争に勝ったからですよ。」「必死に業績を上げて、会社に貢献したからだと思う。」「単なる世襲です。」「誰も手を挙げる人がいなかったから…。」「社長って、なんか格好いいでしょ?みんなから注目されるし。」「社会を変革するためです。社会変革には起業がうってつけです。」「世の為、人の為になるようなことを何かしたかったからです。」…。見たところ、自分はいい大学出て、頭が良くて、賢くて、結