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努力はつい「当たり前」にしてしまいがち。その理由と、改善策。

泳いでいる魚を「すげー」という人は稀です。
魚は泳ぐもの、そう進化してきたわけです。

なるべくしてなっているものには驚きません。
凄いと感じても、種の特徴が対象でしょう。
それだけで個体を褒める人は、まずいません。


もちろん、同じ種の中で、
ずば抜けて泳ぎ上手な個体がいたら、
それは驚きと褒めの対象になるでしょう。

それには比べる対象が必要です。
同じ土台で、同じ能力、同じ時間を経て、
それによってどう違いが出たかが、
評価のポイントとなるのです。

人が驚き褒める点は、努力のエネルギーです。


無名の人が、一人で短距離走をしていても、
きっと誰も興味を示しはしないでしょう。

たとえそれが、世界で一番速かったとしても、
「君って速いよね」くらいで終わるものです。


オリンピック選手という肩書きがある世界で、
過去の世界記録や、人間の平均記録、
練習の記録、サポータの後援、
そして、今隣で一緒に走っている選手がいて、
やっと、「一位」の人の凄さがわかります。
「ワー!」という歓声が轟くようになります。


じゃあ、私たちの人生はどうでしょうか?
私の人生は、誰かの人生と比べられますか?

いいえ、比べられません。
同じ人間であっても、やりたい事は別ですし、
持って生まれた能力も、目指す先も違います。

人生は、競技として成立しないのです。

比べられるとしたら、それは何かがおかしい。
もし、人生を比べられた気がしたのなら、
比べているのは人生ではないかもしれません。


今、人生は競技にできないと伝えましたが、
競技でないものは、驚きも褒めもできない、
というわけではありません。

他者と比べる事ができなくとも、
過去の自分と今の自分を比べるなら、
そこで比較が可能になり、
驚きも褒めもできるようになります。

日々の向上は驚きと褒めの対象になり得ます。

ずっと隣でそれを見届けていられたなら、
見届けた人も驚き褒める事ができるでしょう。


「アインシュタインは天才なんだから、
 相対性理論を発見できて当然でしょ?」
なんていう人は、なんだか冷めた人ですよね。

でも、あかの他人なのだから、
彼の努力と向上は、共感できないものです。
アインシュタインは魚。だから泳ぎが得意。
そういう自然の摂理と感じるのは、自然です。
その反応が、ごく普通であり、自然なんです。

むしろ「あんな発明できるなんて凄いよ!」
と、言った場合、凄いと感じているのは
自分にとって難解な「相対性理論」であって、
その人の努力や情熱でない可能性が高いです。

つまり、そういう事をいう人が比べたのは、
自分の人生と「相対性理論」であり、
そこに、アインシュタインは関係ないのです。


しっかり事情を共有できる人もいますが、
一般的に、人に驚き、人を褒めるのって、
本当に奥が深くて難しい、という事です。


ここは、
この宇宙は、特に気を配っていなければ、
なんでも当たり前になってしまう世界です。
ええ、それは、なんとも寂しい世界ですね。

せめて自分自身の事くらい、自分で見届けて、
驚き褒めてあげたいものです。

そしてそれに値する毎日が過ごせますように。

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