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#17 「違い」と「視点」を意識しながら授業をつくりたい

今朝 YouTubeで、昔の音楽を聴きながら食器を洗っていたのですが、「なんかいいな」としばらく曲を聴いてしまいました。

その時、「ものづくり」に関して思い出したことがあったので、今回少し紹介してみたいと思います。



私は音楽の専門家ではありませんが、なぜその曲がよかったのか、その理由を自分なりに考えてみました。

・メロディーに対する言葉の乗せ方
・歌った時の唇の動かしやすさ
・言葉と言葉の新しい組み合わせ方
・ある言葉が別の言葉にも聞こえるという面白さ

まだ他にも理由はありそうですが、これらの視点が、自然な文脈(流れ)で作品としてうまく成立しているからかなと思いました。

今回紹介したいのは、「昔の音楽は素晴らしかった」という安易な懐古ではなく、

ものづくりをする時には「違いの言語化」と「様々な視点の発見」が重要ではないかということです。


では「違い」「視点」とは何なのか、私の考えを少し例をあげながら説明してみたいと思います。



最近は、AIがニュース原稿を読んでいる番組などがありますが、ひと昔前と比べて、人間が読んでいるのか区別がつかないほど精巧に読まれるようになりました。

それはなぜでしょう。

もちろん「技術の進歩」ということもあるのですが、先ほど紹介した「違い」と「視点」に開発者が気づけているからではないかと思います。


病院の待合室などで
受付の方が「36番の方~」と呼ぶのと

ロボットが音声案内で
「サン  ジュウ  ロク  バン  ノカタ」と呼ぶのは何が「違う」のでしょうか。

「人間の話し方」はロボットと違って
・声の大きさに強弱がある

・適切な間がある

・言葉のイントネーションがある
・意味としてのまとまりがある
・感情がこめられている

開発者がこういった「違い」に気づき、改良する時にその「視点」をプログラムすることで、音声案内の技術が進歩したのだと思います。


日常生活で「アイス」という単純な言葉を言う場面だけでも、いろんな読み方があると思います。

「あ」と「い」と「す」を、ただつなげて読めばいいというわけではなく・・・

・「アイス」という冷たい食べ物
・口に入れるとキーンとするイメージ
・アイスという英語本来の意味

こういったニュアンスを意識して話し手は「アイス」という言葉を人に伝えています。

アイスを食べたいという意味の「アイス~」なのか、アイスを取ってきてほしいという意味の「アイス!」なのかによっても言い方が変わってきます。


人を「愛す」の「あいす」も「アイス」も文字の並びとしては一緒ですが、これも全く違う言い方になるはずです。

このように「違いは何か」や「些細な違和感」を考えていくことで「新たな視点」が見つかります。



つまり「なんか違うな」「この表現じゃ伝わりにくいな」といったように「違い」や「違和感」を深く分析して言葉にしていくと、「強弱」「間」「発音」…といった「視点」が生まれ、様々な場面で応用しやすくなります。

昔は楽曲制作の過程でも、アーティストがこういった「違和感」を深く意識しながら、

「どうしたら心地よく聞こえるか」「どうしたらもっと滑らかに歌えるか」「よりよい言葉の乗せ方は他にないか」・・・と言語化していくなかで、曲をよくするための「視点」を一つひとつ見つけていったのだと思います。

(ここまで「言葉についての視点」のみを説明してきましたが、「曲作り」には、それに加えて「メロディーの視点」「リズムの視点」なども組み合わさるので、「ものづくり」としてはかなり複雑だと思います。)

最近は、技術の進歩によって、曲作りに限らず、文章でも、絵画でもこの「違和感」や「視点の発見」を飛ばしても、作品が完成してしまう場合があります。

つまり、作り手に違和感や視点がないと、昔の
ロボットの音声案内のような無機質な作品になってしまう気がします。

教師である自分もこの部分を注意しなければと思っています。


なぜなら「授業づくり」でも同じことが言えるからです。

どんなに素晴らしいアプリを使っても、どんなに最先端の教具を使っても

私たち教師が、子ども一人ひとりに「自分と友だちの違い」を考えさせるような、課題の出し方や、問いかけ方を意識していないと、全て「同じような答え」になってしまいます。

また、子どもたちも「今までの自分の考え」や、「友だちの考え」と何が違うかということが意識できていないと、
結局それは「アプリの機能が作り出した形だけの答えや作品」になってしまうと思うのです。


タブレットや、最新のアプリを使うことを否定しているわけではありません。

「よいもの(作品、答え、アイディアなど)」を作るには、「今までと何が違うかを言語化できているか」「その違いを生み出している視点に気付けているか」が大切な気がします。


よく「将来、生成 AIが人間よりも素晴らしい作品をつくるのでは」という議論を耳にしますが

私個人の考えですが、「それはない」と(現時点では)思っています。


その理由として、少し回りくどい説明になりますが、

AIがつくった作品を「素晴らしい」と気づけるということは、受け取る側(人間)がすでに「素晴らしいとわかる視点」をもっているということです。

そして「AIがつくっている視点」が世の中で当たり前になってくると、「なんかこれってAIがつくった文章(や音楽、絵)っぽいよね」というマンネリがみんなの中に生まれてくると思うのです。

人間は「今までと違ったもの」を好みます。常に「なんか今までと違うぞ」という「新しい違和感」を求めていると思っています。

人間の中にこのような「感動したい」「ワクワクしたい」という本能的な欲求がある限り、AIには思いつかない「新しいもの」を常に生み出していけるのではないかなと思っています。

(これは私のものづくりに対する願いでもあります。)

#15で紹介したことにもつながりますが、

今までのセオリーやルールが「ずれた」時にこそ「心地よい面白さ」が見える時があります。


その「面白さ」に気づけたら、今度は「その理由や視点をまた言語化して、ルールを見つけて…」という作業を何周もしていくことに「ものづくりの楽しさ」があると思っています。

子どもたちとの授業も不思議なもので、何年やっても、ごちゃごちゃとした活動の中に「何か新しくて面白い視点」を発見することができます。


これからも新しい視点を探し続けて、noteなどで紹介できればと思っています。

最後まで読んでいただきありがとうございました。