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4話「まほう」


「もう会えない。」


そんな現実に気づいたのは、メールを送ってから約一週間後のことだった。


放デイをやめたあと、僕は狂ったようにいろんなことを始めた。


YouTubeに動画を色々投稿してみたり、ブログを一新したり、新しいブログを作ったり、アフェリエイト始めてみたり、スポーツジムに通い出したり。
思い返してみれば全部、現実逃避でしかない。


無理だと思った。

俺は人間社会に向いてないと思った。

迷惑かけてしまうと思った。

僕は一人で生きると決めた。


もう保育なんて絶対やらない。

もっと楽に生きよう。

 


子どもたちのことも、全部忘れよう。


忘れよう。  






そんなこと、できるわけなかった。


寝るとき、仕事中、運動中、何をしていても。どうしても思い出してしまう。 

子どもたちとの思い出が。

コウタ君の笑顔が。

大好きと言ってくれたやんちゃな声が。



僕はいてもたってもいられなくなった。

バイトはずっと上の空でお客さんに怒られた。体の半分がもぎとられてしまったようだ。

世界が真っ暗闇にひっくり返った。あまりの変わりように、自分でもびっくりした。


「これじゃあ苦しいままじゃないか・・・」


感じたことのないような、吐き気がするほどの罪悪感に押しつぶされる。もはやどんな娯楽も、遊びも虚無にかえった。



「僕は裏切ってしまった。」

ある日の夜、ふと我にかえる。
酷いことをしたと思った。

子どもたちはどう思っただろう。

あの約束や新しいマジックを心待ちにしていたコウタ君はどんなショックだっただろう。

僕がもう来ないと知ったとき、どんな顔をしただろう。

どんな気持ちになっただろう。



ずっと避けてきたものと向き合った。
いろんな思い出、いろんな笑顔が一気に再生される。

すると、涙が無性にあふれて止まらなかった。
なぜこんなに出るんだろう。
こんなに泣いたのはいつぶりだろう。

子供のようにワーワー泣いた。

寝ながら泣くと、喉に詰まって息ができなくなるんだと初めて気づいた。





「・・・このままじゃいけない。」

そう思った僕は、勇気を出してカネイさんに電話した。

とにかく謝って、もう一度働きたかったから。どれだけ怒鳴られるだろうと思った。

怖くて怖くて、今すぐ飛び降りたほうが楽だと思った。
様々なパターンの台本を紙いっぱいに書きまくった。


電話ボタンを押す手が震えて、全身汗びっしょりになった。
気づけばそのまま1時間以上葛藤していて、何度か叫んだ。

でも、僕はやらざるを得なかった。


「コウタ君たちのためにできることはある。」


そう気づいてしまったら、目を背けられない。逃げることはできない。
やるしか無いのだ。


コウタ君が僕を、心の底から信じてくれたから。


それを裏切るわけにはいかない。
世界1大切な宝をもらったコウタ君を裏切ってしまったら、この世に大事なものなんて一つも無い。


そんな世界になんの意味があるものか。



どれだけ自分が犠牲になっても、約束を守ること
信頼を貫くことが僕の役目だと思った。
どれだけ吐き気がしても、電話しない選択肢はもはやなかった。
本能よりも大事なものが、僕を動かしていた。


そして覚悟を決め、心を無にして電話をかけた。

「よくかけてきたねあなた!」
「今更何言ってんのー!?!?」
「あなたはね、社会人として最低のことをしたんだよー!?!?」
「子供達はあなたの話、一切してません!
何を勘違いしてるんですかー!?!?」


罵詈雑言の嵐だったが、僕はただ、必死に謝った。
そして、もう一度はたらかせてほしい。子供たちに謝りたいと懇願した。
だけど願いは叶わなかった。

確かに僕の勘違いかもしれない。
自己満足かもしれない。
何も思っていないかもしれない。


でも僕は無関心に徹するより、親切にし過ぎて失敗するほうが何倍もマシだと信じていた。
どれだけ迷惑だとしても。



電話した後、僕は燃えつきた。体につっかえていた重りが消えた。
やることはやった。
だけどもう恐竜を見せることも、仕事に復帰することも、お別れも謝ることもできない。
そう諦めかけていた時だった。


「・・・他の事業所に手伝ってもらおう」



僕は尻に火がついた。
自分のことはどうでもいい。できることなら何でもやる。
そんな背水の陣で、迷惑を承知で他の事業所へ電話した。

コウタ君や他の子供達が、他の事業所Aにも通っていることを知っていたから。
もちろんこの情報は、私的に利用してはいけない。

だけど、バカな僕はなりふりかまっていられなかった。
大人の都合で、子供達を傷つけることは絶対にダメだ。大人は簡単に裏切るなんて、絶対思ってほしくない。
何があっても謝って、別れの言葉を言おう。約束を守ろう。
可能性が1%でもあったら、どれだけ怖くても、危なくてもやるしかない。


「00君と00君に直接お話しさせて頂けませんか?こういう理由で、どうしても
 謝りたいんです。本当にすみません」
「本当にお願いします!送迎時に1分だけでも良いので!」

「また実は僕、自作の紙芝居イベントを普段行っておりまして、そのついでに
 お話しする形でも・・・」

「お願いします。本当にお願いします!」

吃りまくったし、手足が震えて胸がサーッと熱くなった。
迷惑をかけて本当に申し訳ない。本当はこんな異常な事したくない。
今までずっと、社会常識のど真ん中で怯えて生きてきた身からするとトリハダものだ。

あと、紙芝居イベントなんてやったことはない。さらには作ったことも、読んだこともない。
想像しただけででゾッとする。
でも可能性が1%でも上がればと思って提案した。


そして何度か押し問答した末、最後の最後はコンプラの問題で頓挫してしまった。本当に悔しかった。
途中会えるかもしれないと思った時は、本当に飛び上がる気分だった。
とにかく何でもいいから、1分だけでも時間が欲しかった。


「なぜここまでやる?」
と疑問に思うだろう。やったところで誰に利益があるわけでもない。
何かが変わるわけでもない。むしろ僕はストレスマッハだ。
もう全部やめたい。


でも、そんな損得勘定では到底図れない世界がある。
本当に大切な人のためなら、命だって投げ出せる瞬間がある。
それは言葉では到底表せない。

それを、子供たちからもらったのだ。
絶対に傷つけてたまるものか。
そのためなら、いくら愚者になっても構わない。
できることはまだあるはず。



そして年末ごろになると、僕はまた一つ妙案を思いついた。


「実際に紙芝居イベントをやって、実績をつけよう」

意識の端っこにあった恐ろしいワードを、少しずつ咀嚼いて検討してみる。
すると、段々意識の中心までにじり寄ってきた。
やってみる価値はある。やれる。

実績つけてどうなるかわからない。だけど、本当に読み聞かせしている写真の1つでもあれば先方の反応が変わるかもしれない。僕が怪しい人間ではないことを証明できるかもしれない。まあ怪しいのだが。

そして単純に、コウタ君たちにいつか見せてあげられたら嬉しいと思った。
みんながニヤニヤ喜ぶ顔が、マジックと同様想像できる。



そんな曖昧な算段で、僕は知り合いの放デイの代表へ勇気を出して電話をした。

「私、自作の紙芝居イベントを行っているものでして。ぜひそちらの事業所で発達障害の子供向けの、こんな紙芝居をー・・」

もちろん声は震えて、吃りまくりだ。
そもそも「代表」と話すのはトラウマ級だったから、とんでもなく恐ろしかった。だけど、1時間葛藤したストレスMAXの時を思えば遥かにマシだ。


そして代表は一つ返事でOKしてくれた。
僕はとっても嬉しくて、すぐに紙芝居の制作に取り掛かった。

と言ってもどうやって作ったら良いか見当もつかない。
100均で色鉛筆やクレヨン、色紙を何枚も買って、直接絵を描くことにした。

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内容は、鬼滅の刃のコラボ(勝手に)だ。
様々な呼吸(個性)を持ったキャラクターが、お互いの短所を補い合って生きるコメディ活劇を漫画紙芝居として描いた。
漫画やイラストを描いてきた経験が思わぬ所で役立った。



紙芝居イベントは大成功だった。
その日は極寒の豪雪で頭も真っ白だったけど、あたたかな職員や子供達に囲まれて本当に嬉しかった。

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最初思いついたとき「絶対無理だろう」と諦めかけたけど、やってみたら紙芝居中は全く吃らなかった。気づけば、みんなの前で楽しく語っている僕がいた。
子供達と色んな話をして帰り際、ハイタッチを何度もして帰った。
何だかすごく久しぶりの心地よさだった。


一昔前の僕なら、全く信じられない状況だろう。
今日、保育の現場に携わっている人には、本当に痛いほどわかると思う。

思い返せば手品や紙芝居を始めたのは、好きだからではない。
全部子供達の笑顔のためだ。それだけなのだ。


その夜、僕は忘れかけていた記憶を思い出して再び泣いた。
人は大切な人のためなら、いくらでも強くも弱くもなれるもんだと思った。
いくらでも変われると思った。

弱いままじゃいけない。」


もっともっと強くなろうと、心の底から思った。
大切な人を守ることができるように。

そして僕は最後の施策に出た。




「やめた事業所に手紙を送ろう」

それは僕にとって、計り知れない勇気が必要なことだった。
それはトラウマと向き合うことであり、どれだけ自分が傷つくかわからない。

でもやっぱり、送らないという選択肢は無かった。
ずっと避け続けてたけど、向き合わなきゃいけないと思った。

内容は、事業所への意見書と子供達への手紙。
そして紙芝居イベントの提案。



正直恐怖で死ぬかと思った。
意見書には、率直に僕が感じた事業所の構造的な問題点と、その改善案を具体的に書いた。二度と同じことが起こらないように。

事業所を辞めてから2ヶ月後。僕は冷静になって考えたのだ。
なぜこのようなことが起きてしまったのか?
これは偶然起こった事故なのか?


これは僕の心の弱さだけの問題ではない。事業所のマネジメントにも構造的な欠陥があると気づいた。
信頼関係の欠如や、報連相しづらい環境、曖昧な仕事内容、代表のモラハラ、パワハラに準じた言動。
やりたい仕事なのに、辞めざるを得ない環境。

また子供たちが悲しむのではないか。


そう思った僕は、恐怖心なんてどこかへ吹き飛んだ。

僕は身を投げる気持ちで、子供たち全員への手紙を添えてアウトロー極まる意見書を送った。嫌味が言いたかったわけではない。
再発防止を徹底して欲しかっただけだ。また犠牲者が出ないように。

そして何より子供達に謝って、お別れがしたかった。大人は簡単に人を裏切ると思って欲しく無かったから。
頭がおかしいことをしていることは百も承知だ。だけど今更止まれなかった。

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「あなた何様ですか!?」
「あなた別の事業所に連絡したよね。個人情報漏洩ですよー!」
「法的手段に出ますよー!!!」

投函した次の日、僕はカネイさんから電話で猛抗議をくらった。
構えてはいたから、あまり驚くことはなかった。

僕は個人情報を私用したことは確かだ。
今さら、どんなペナルティがあっても適切に受け入れる。

とにかく意見書について「参考にする」と一言、言って頂けたのは嬉しかった。
手紙は子供たちに渡して頂けたか、今となってはわからない。
少しやり過ぎてしまったかもしれないけど、これを機に少しずつ事業所が変わっていくことを祈っている。



結局、子どもたちと再会は叶わなかった。最善を尽くしたけど、お別れも謝ることもできなかった。守れなかった約束もそのままだ。

これ以上はもう深入りしない。


今頃みんなは何をしてるだろうかと不意に思う。
それぞれの顔を思い出す。その笑顔に、思わず背筋が正される。


僕にできることはまだまだあると。

➡「まとめ」へつづく


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